おむりぃす

ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー



 白い雲が青い空の中をゆっくりと流れ、その視界の中で鳥がちゅんちゅかぴーぴー鳴きながら飛んでいく。

 夜の内にスコールが二度三度と降ったせいでまだ湿った空気が林の中に漂っていて、そこに少し乾いた風が心地よく通り抜けていく今日この頃。


「はああぁぁぁぁぁ……………」


 おいらはため息が止まらなかった。

 時刻はおそらく、朝と昼の中間あたり。

 普段ならば家から出て菜園の手入れや家畜小屋の掃除、更には林に出て木や竹を切って資材調達するなど色々やるのだが、現在おいらはそれらを放り出し一人頭を抱えていた。


「リンダ?エリ………エー、エー……エリザベス?いや、ハッシュ、……これは男だな。んん〜〜ん、サリー、ベティ、パイン、チュール、セリア、エメレイン、オリビア?……違う、全然違う……!ああぁ、思い付かない」


 それらしい名前を連らねてはしっくりこずに唸り声を上げる。昨夜に日記を書いた時点から考え始めていたのだが、全く進展がなかった。

(名前って、なんだ……?)

 もはや名前という言葉の意味すら脳の中でゲシュタルト崩壊を起こす程に考えつかれていた。

 それでも目を擦りながら、必死に考える。

 そもそもなぜ、おいらが名前を思案しているのかと言うと、それは幼女の呼称に困っていたからだ。

 名前が分からないから呼ぶに呼べず、「おい」とか「なあ」とか適当に声をかける事しか出来なかった。お陰で呼んでもいないのに熊が来たり、牛が寄ってきたりしてしまっていた。幼女はと言えば、呼び掛けにはほぼ無関心である。簡単な事でさえ、コミュニケーションが取りづらかった。

 一方で熊が反応するというせいもあってか、家畜達もよく反応していた。お陰でこの数日の間に「おーい」と叫ぶと、鶏と牛が鳴き声をあげる様になった。それには少なからず感動を覚えてしまった。

 だが、今は幼女が返事を返してくれる方が重要なのである。おいらの生活を支えてくれている家畜達には悪いが、幼女が優先なのだ。

 なにせ、名前を覚えてくれる事をきっかけに、それ以外の言葉も覚えていって欲しいと思っているからだ。

 そう思って考え始めたのだが、ご覧の有り様である。徹夜した甲斐もなく、名前の候補すら決まっていない状態である。だから、せめて候補の一つくらい思い付くべく頭に浮かんだ名前を連ねて言っているのだった。


「くい、……くり、クリス、エリス、リース。……三文字か二文字ばかりだなぁ、いや、覚えやすさを考えれば短い方が……、ぁぁ、これだいぶ前に考えてた事だ……。おんなじ事考え始めてる」


 眠い頭に鞭を打つが、全く幼女に合ういい名前が思い付かない。机に頰杖を付いていたおいらは、遂に突っ伏してしまっていた。


「どうしたら……。本当に思い付かない」

「おろいちゅない?」

「そう、思い付かない……って!?うおわっ!」


 徐に聞こえてきた声の方に突っ伏したまま顔を向けると、いつの間にか机の上に犬の様にお座りしたくだんの少女がいた。おいらはびっくりして反射的に机から頭を上げ仰け反った。

 危うく後ろに転がるところを何とか持ち直して幼女に向き直る。

(いつからいたのやら)

 おいらは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。

 外を駆けていたのだろうか、手足が泥だらけの幼女はおいらの様子を見て無邪気に笑い声を上げていた。机の上に手足の跡が付いていくが、別段怒る事でもない。

 それよりもおいらはやっぱりその姿が気になってしまった。


「おまえさん、また素っ裸で……。あのなぁ、人間の皆さんは服って物を着ていてだな?」

「いんけんの……?みんあふしゅてる?」

「みんな、ふく、きてるの」

「ふしゅきてう?あああ?ふしゅ、ふしゅぅうう」


 おいらの真似をして言おうとしているが上手くいかないらしく、ふしゅふしゅ言い出す幼女はおそらく言葉が示す意味も分かっていないだろう。

 今までにも何回か言葉を教えようと試みていたのだが、今の状態が続き未だに上手く言えた事がなかった。

 言葉を教えるのはいったい通したらいいのか、とんと分からなかった。


「まあいいや。ほら、もう風邪引くぞ。ほらほら、ぉぉ、あれおい、あっちょっとどこいくべ、ってもう……」


 服、もとい布を巻いてあげるために幼女を抱き抱えようと手を伸ばそうとすると、するりと躱されてしまう。そして、幼女はガッターンと机から飛び降りて外へと駆け出していってしまった。


「これも問題だべなぁ」


 額に手を当ててため息を漏らしてしまう。

 名前の思案についての悩みや言葉を覚えさせるといったことは、実はまだ序の口なのだ。

 服を着る、足で立って歩けるようになる、家に入る時は手足の泥を必ず落とす、暗くなったら家に必ず帰ってくる、勝手にいなくならない、危険な事はしない、家の中をめちゃくちゃにしない、肩に掛かる髪の毛をガジガジ噛まない、などなど幼女に覚えてもらう事は山ほどあるのだ。

 残念ながら、今の彼女はとても人間らしいとは言えなかった。


「元気なのはいいんだけんど、あのままじゃどの道生きていけないよなぁ。深林ここでも人の住む街でも」


 幼女がこのまま深林で暮らしていく未来を想像して、同時に街にいる姿を思い浮かべた。

 深林は危険がいっぱいで何が起こるか分からない。反対に、街の中で生活するには人としての常識を身につけなければならない。

 今の彼女の印象だとどっちに転んでもガウガウ威嚇している姿しか思い浮かばなかった。


「ゴブリンのおいらが言うのもなんだが、人の子は人の子らしくあるべきだしな。ゆっくり教えてくかな」


 おいらはそんな独り言を言って肩を竦めると、幼女の後を追うように母家の外に出た。

 遊んでいる幼女を取っ捕まえて、風邪を引かない様に布をぐるぐる巻きにしてやるのだった。



 〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜



 その夜、幼女は機嫌が悪かった。

 原因は昼間に無理矢理捕まえて布を巻いたからである。

 そこからずぅーっとおいらから逃げるわ、ガルルルと喉を鳴らして吠えてくるわで近づくことすら出来なかった。

 そんな様子を熊に見られ頭突きをされたのがつい先ほどで、脇腹が未だに痛い。


「おーい。ほら、もう何もしないよー、怖くないよー」

「ガルルルルルルルルルルッ!」


 そして、現在母家の扉の前でおいらと幼女は対峙しており、おいらは幼女に低い姿勢から威嚇をされていた。


「ごめんな悪かったよ、この通りだべ。だから、もう夜だし家に入ろう。ずっと外にいたら風邪を引いちゃうだろ?」

「グゥルルルルルルルルルルルルゥ゛ッ!!」

「あぁーーぁ、どうしたらいいのぉ……!」


 一応、そんな状態の幼女に説得と謝罪をするものの聞き入れてもらえず、おいらは半ば降参とばかりに空を仰いでいた。そもそも言葉が通じないのだから仕方がないと言えば仕方がない。

 笑顔を見せる時の幼女は本当に愛らしいものなのに、今の表情からはそんな様子は一切見て取れずまさに野生のそれだった。

(幼女に会ったのが熊じゃなくておいらだったら、きっと今頃は楽しくお喋りしてるところなのに)

 続く膠着状態に、内心でどうしようもない事を愚痴ってしまう。


「なあ、いったいどうしたら許してくれるんだべ」

「ーーーぎゅるるるるるるる〜」


 呟きとも独り言とも取れるくらいの声量でおいらが言葉を漏らすと、そこに情けない音が聞こえてきた。

 見れば、幼女が険しい顔を解いて頰を真っ赤にしていた。

(ははぁ〜ん、そうかそうか)

 幼女はどうやらお腹が空いているらしかった。

 それもそうだろう。

 幼女は怒るあまり、夜ご飯を食べなかったのだ。腹の虫が鳴ってもおかしくはない。

 そして幼女はと言うと、威嚇している最中に情けない音がお腹からなるものだから恥ずかしさのあまり、母家の端の角に隠れてしまった。そこから少し顔を覗かせているのがちょくちょく見える。


「よしっ」


 ご機嫌を取る糸口が見つかったおいらは、一人母家に入ると釜戸に火を入れた。

(さて、とっておきを作りますかね)

 おいらはすぐに料理の準備に取り掛かった。

 床下にある食料庫へ降りて、大麦米と卵、トマト、肉の腸詰め、人参、とうもろこしなどなど次々に取り出していった。

 そうして用意した食材を次々と調理していく。

 大麦米を炊いていき、トマトをすり潰し調味料を加えてソースを作り、肉の腸詰めと人参を小さく刻んでいく。しばらくして炊けた大麦米にソースを混ぜ込み、最後に卵以外を一気に混ぜ込んで炒めていった。

 おいらがてきぱっぱっ、と料理を進めていると扉の近くに顔を覗かせる幼女が見えた。だが、おいらは気付かない振りをして手を進めていった。

(さて、ここからは集中していかなきゃ最後が台無しになるからなぁ)

 ビントの葉を数枚重ねて釜戸から上がる火の上に置くと、フライパンをその上に置いて加熱していく。

 弱火程度のほのかに温まった熱がフライパンから伝わってくるのを手を翳して確認すると、溶いた卵をその中に流し込んだ。

 黒い鋼色のフライパンに黄色くとろっとした卵が広がっていき、それを菜箸で玉にならない程度にといて、頃合いを見て余った卵を更に流し込んでいった。


「よいよい、ほうほう」


 フライパンの中の卵の状態を見ながら、つい一人で相の手を入れてしまう。

 そして、フライパンを火から上げると手元をとんとん叩いて卵を丸めていった。

(ううぅん、少し半月みたいに形が折れてしまったべ……)

 丸まった卵の形に顔をしかめたが、もう仕方がない。

 ここで箸で突いて調節でもしようものなら、ぐちゃぐちゃに崩れてしまうのが落である。前回はそのせいでふわとろな卵を作り出せなかったのである。

 おいらは気を取り直し、皿に移した炒めたご飯の上にぷっくりと丸まった卵を乗せていった。


「おおお!いいんじゃない?うんうん」

「ぁぁぁぁあああ……」


 出来栄えに満足していると、扉の方から小さな歓声が聞こえてきた。目を向けると、幼女が口を開けて涎を垂らしていた。


「ほれ、入ってこい。良いもん食わしてやるから」


 手招きすると意外と素直に中に入ってきた。腹に背は変えられないと言う事だろうか。怒った様子は何処へやらである。

 長椅子に上がった幼女の前にそれを置いてやる。幼女の目は釘付けである。

 そんな様子を見計らっておいらは木を削って作ったスプーンを取り出した。


「じゃあいくぞ」


 スプーンを見せびらかす様に幼女の前でチラつかせると、おいらは掛け声と共に卵をすうっと両断して見せた。


「ああああああああああああ!!!!」


 すると幼女が開かれる卵と一緒に感動の声を上げたのだった。

 なんとも可愛らしい驚きの声。

 先程まで唸っていた獰猛な幼女はもうここにはいなかった。

 赤く染まった麦米の上に半熟の卵が黄金に輝きながら、ゆっくりとそれらを覆っていった。少し歪んだ形の卵になってしまったが、成功だ。


「オムライスだべ。前から出来立てを食わせたいと思ってたんよ」

「はああぁぁぁぁぁあ!!!おるりぃす!おるりぃす!おるりぃす!」


 オムライスに釘付けの幼女はもうそれはそれは大興奮で、お皿に覆い被さるほど前のめりになって椅子から腰を浮かせていた。


「ほらほら、椅子の上で立ったら危ないぞ。あと、オムライス、な。落ち着け落ち着け」


 なんとか幼女を椅子に座り直させている間も、「わあああ、おるりぃすぅ」と目を輝かせて口が開きっぱなしだった。

 このままだと永遠と眺めていそうだったので、おいらはその口に小さく切ってすくい上げたオムライスを運んでやる。

 するとぱくっと口が閉じる。


「んんんんんんんんんっ!!」


 スプーンを咥えたまま幼女が唸った。


「美味しいか?」

「んんんんんんんんんん!!」

「そうかそうか、ならスプーンを離してくれ」

「はああああ、おりゅいしゅ」

「オムライスな、ほれ、あーん」

「あああーーーん」


 解放されたスプーンでもう一度掬って食べさせてあげる。するとまたもや「んんんんんっ!」と声を上げた。

 どうやら満足頂けたようである。

 いつもなら幼女は飛びついてワイルドにご飯を食べているのに、今は口に運ばれてくるオムライスを一口一口味わって歓喜をあげる美食な雛鳥状態だった。

 次を催促するようにおいらを見る目がとてもキラキラしていて、なんだかくすぐったくなってしまった。

 そうして程なくしてオムライスは完食されたのだった。

 名残惜しそうに空になった皿を見る幼女の頭をおいらはわしわしと撫でた。


「美味しかったか?」


 聞いてやると、くりっとした目を向けておいらの方へ幼女が顔を向けた。


「んふふふっ、おいしっ!」

「お、……おおっ!オムライス美味しかったか。そっか、また作ってやるからな」


「おいし」と言葉を返してくれた幼女においらは嬉しくてそう約束をした。それに対して、にっと笑顔が返ってくる。

 言葉が分からないのにこうした事はしっかりと通じている気がするのだから不思議だ。

 そう思いながら彼女の笑顔を見ていると、おいらはそこである事を思いついた。


「……ニーナ。名前はニーナにしよう!にー、て言うと笑顔になるだろ?ぴったりだべ」

「いーーあ?」

「ニーナ。にーっ、て口を広げてごらん。にーーーな」


 おいらは自分の口を広げて発音して見せる。幼女もそれに習ってにっと笑うと、その後を繰り返した。


「にぃーーーーあ!」

「そうそう。ニーーーナ」

「ニーーナ!」

「そう、そうだ!ニーナだ!」

「ニーナ!」


 初めてしっかりと言う事ができた。

 その進歩が嬉しくておいらは彼女と一緒に何度も繰り返し名前を呼んだ。


「じゃあ、これはどうだ。ニーナ、オムライス、モンタ」


 おいらは指を刺して言葉が示すものを教えながら、その名前を言って彼女に真似するよう促した。

 なるべくゆっくり、発音良く言ってあげる。せっかく名前が言えるようになったのだ、この機に少しでも言葉を覚えてもらいたかった。


「ニーナ。オムライス。モンタ」

「にぃーな、おるりぃす、むんたっ!」

「ニーナ。オムライス。モンタ、な」

「ニーナ。…オムりいすぅ、ムンタ!!」


(あーーーーー!!ムンタ、惜しいっ!くそおおっ!)


「ニーナ。オムリィス。ムンタ!」

「モンタ」

「ムンタ!!」


(モの発音が難しいのかもしれない。仕方ない。それは仕方のない事だ)

 おいらはそう自分に言い聞かせて、バラバラの順で指を刺しニーナに言わせていくことにした。彼女は指が示す方向を目で追っていき、それを元気よく口にしていった。


「はい!」

「ニーナ!」

「はい!」

「ムンタ!」

「はい!」

「オムリィス!」


 ほぼ完璧である。おむりぃすは可愛いので放っておくことにした。

 若干悔しい思いが残るが、焦る必要はない。

 とりあえずは自分の事がニーナであると認識してくれたのである。上出来も上出来だ。

 先程まであうあうあー、と喃語を言うか威嚇するしか出来なかったのに、これだけ覚えて喋ってくれたのだから大きく前進した事は間違いない。

 それに何より、彼女ーーーニーナ自身が自分の口から言葉を言えてとても嬉しそうにしていた。


「うん、ま、いいか。よし、ニーナ。お湯で手足洗ったら寝るぞ」

「ニーナ、オムリィス、ムンタっ!」


 覚えた言葉を繰り返すニーナを抱えて外に出ると、星明かりが辺りを優しく照らしていた。

 彼らと暮らすようになってから早いもので一週間が経ち、今日ももうすぐ終わりを迎えるそんな時分。

 こうして一日があっという間に終わっていくのか、とおいらは何故だか少し寂しく思ってしまった。

 独りの時はそんなことはなかった。一日が長く、特筆する出来事もさして無い事の方がおおかった。しかし、最近はそれが全て逆である。いろんな事が起き、気が付いたら眠っていて次の日を迎えている。

 きっと今日の日記も1ページでは収まらないだろう。

 そうして書く内容を考えながら、おいらはニーナと寝る準備をしていったのだった。




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