ゴブリンの性根

ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー



 突然の足場の崩落、それに伴い体勢を崩して背中から倒れていった。そして味わいたくもない浮遊感が全身を襲ってきた。

 その瞬間が、おいらの目には実にゆっくりとした光景に映り、まるで死ぬ直前の最期の時間だと言わんばかりに時が止まって見えた。

 だが、それは見えているだけで何もすることが出来ない虚無の刹那だった。

 低い草叢、手の届かない場所にある木の幹、顔を打ち付けるような雨粒、風を受けて大きく揺れる枝葉、その隙間から見え隠れするのはもうほとんど明るさを持たない黒い空模様。

 そうして、体が背後へ傾けば傾くほどに視界もそのまま移ろいでいった。

 おいらがそこから得られた事は、助からないという絶望感だけだった。

(なにやってんだ、なにやってんだくそっ、クソクソクソクソぉおおおお!!ふざけんなっ、あと少しでこの子を!)

 唯一出来たのは心内で叫ぶだけだった。

 その間、どれほどの後悔の念を心の中で吐き捨て、何度現実を否定したか分からない。

 自分の家にこの子を連れて帰るだけ。

 ただそれだけの筈が、失敗した。

 川の方向に斜面になっていた土は相当に脆くなっていたのだ。その近くに体重を掛けただけでこの有様だ。あれだけ川に注意していたにもかかわらず、最後の最後でそれを怠ってしまった。

 幼女を探し回ってようやく見つけ出したというのに、よもやこんな結末を迎えようとは。自らが招いた落ち度を悔やんでも悔やみきれなかった。

 昔からそうだった。

 村の中では賢くはないが比較的背が高く、力もあったおいらはよく頼りにされていた。それが嬉しくて、いつしか村の外でも役に立てないかと考えるようになっていった。

 何かしたい、役に立ちたい。誰かのために力を貸したい。

 自分にはそんなすごい力と可能性があるのだと信じるようになっていたおいらは、村を出て街で暮らし始めたのだ。

 だが、それは単なる思い込みに過ぎなかったのだと思い知らされる。役に立ちたい一心でお節介を焼いていたおいらは、いつもことごとく失敗を繰り返していったのだった。

 深林ここへ来たのだって、本当は逃げてきたからなのだ。取り返しのつかない失敗を犯したおいらは、他者と接するのが怖くなり、なによりも自身の不甲斐なさに嫌気が差し、独りになりたいと思うようになっていったのである。

 またその繰り返し。

 おいらは次にどこへ逃げるのだろうか?

 ーーーこの子を川に沈めた後に。

(ーーーーーーッ、そんなーーー)


「ーーーそんなことっ、できるか!アホがああああああああああっっっっっ!!!!」


 川に呑み込まれる直前、おいらは無理矢理身体を捻って抱えていた幼女を岸の方へと投げた。幼女は浅い弧を描きながら宙を舞った。

 するとその時、視界の端で雲が刹那の光を放ち、雷鳴が体の内まで響くほどに轟いた。雲の中を迸った稲光が何か大きな影を写し込み、宙を舞う幼女はそれに吸い込まれていく。

 確認出来たのはそこまでだった。急速に流れる濁流はおいらの自由をことごとく奪い取り、水中へと引きずり込む。


 ーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!


「ぶあああっ、あっぷ、あああ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ、ぶはっ水が水がぁぁああああああああ、…………あ?」


 水中で流れに揉まれていたおいらはパニックを引き起こし、手足をなりふり構わずじたばたしていたのだが、ようやく異変に気が付き閉じていた目を開けた。そこは既に川の中ではなかった。

 おいらの視線の先には、あの時別れたはずの熊がいた。


「グフォオオ」


 アホな声を上げるおいらの様子に気がついたのか熊は正面へと寄ってきた。だがそれよりも急いで身体を起こし、おいらは自分から詰め寄った。


「ぅえ?……おまえ。くま、っ!熊じゃないかッゲホッゲホッゲホッ、ううううゲホっゲホッゲホッ、むせた……、ゲホッゲホッなんで、ここに」

「フオグゥ」


 気管に水が入ってしまったらしくおいらが盛大むせると、仕返しとばかりに熊はぶるると身体を震わせて大量の水飛沫を飛ばしてきた。


「ぶええええ、ぺっぺっ、悪かったって、わざとじゃないってば。っ、そうじゃないっ!おいあの子を見つけたんだ、それで川に飲まれそうになって、咄嗟に岸の方に投げたんだ!探さなきゃ不味い!!」

「グフォオオッ!!!」

「あいたっ、つぅうううう、なに、すんだ……」


 幼女の事を思い出し焦って飛び出そうとするおいらは、叩きつけるように繰り出された熊の頭突きをもろに喰らった。

 頭を抱えてうずくまるおいらは抑えた腕の隙間から熊を睨んだ。

 すると、例の魔獣特有の力ーーー異心伝達により熊からおいらの頭にある光景が送られてきた。


「……そうか、あれはお前だったのか。よかった。あの子も無事の様だな」


 幼女は生きている。それが分かり、肩の荷が降りたように心底ほっとした。

 あの時、どうやらおいらが川岸へと放った幼女は後少しのところで川の水面にいてしまうところらしかった。それを雷鳴と共に川の中から現れた熊が間一髪のところで幼女を咥え、救ったのだった。その後、幼女を川よりずっと離れた草の茂みに隠してからおいらを助けたらしかった。


「フグゥゥ」


 ピカンと緑色に発光する熊の目を見れば、水面に浮き沈みする水龍の鞄の光景が伝わってきた。どうやら、それを目印にしておいらを引き上げてくれたようだ。


「そら、どうもお手間掛けました」


 どうやら呆れているらしい熊に、おいらは軽く頭を下げた。

 そうして、さてっ、と立ち上がった。

 熊が今までどこをほっつき歩いていたのか気になるところだったが、今はそれよりもやる事がある。

 せっかくこいつのお陰で最悪の事態は免れたのだ。元々体調の悪かった幼子をいつまでも雨の吹きすさぶ林の中に放っては置けない。

 熊もそれが分かっているのか、背中をおいらに向けてグルルと鳴いた。

(間一髪であの子を助けて、おいらのことも川から引き上げるなんて、こいつ良いとこ取り過ぎやしないか?)

 熊に跨って幼女を迎えに行ったおいらは、熊の手柄に少し焼餅を焼いたのだった。



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