二度目の捜索

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 洞穴を飛び出したおいらは再び姿を消した幼女を探していた。しかし、そこに熊の姿は無く、熊は熊で何処かへ駆け出して行ってしまったため、風雨の中、また一人で先を進んでいた。

 声を掛け、耳を傾け、また場所を変えて声を掛けていく。

 おいらはそれを地道に繰り返し、捜索していた。起伏の激しい地面の窪みや視界の悪い木々の間などは片っ端から覗き込んで、その有無を調べて行った。

 家を出て彼らを探し始めた時とほぼ変わらない方法だ。しかし、今は確実に違うものがあった。

 それは時間だ。あの子が外へ出て今に至るまでの時間。

 おいらは足りない頭で必死に考えた。

 熊がいつから洞穴を出て山の上にいたのかは分からなかったが、少なくともそれは、住処である洞穴前の足跡が無くなるまでの時間であると言えた。幼女はきっと、熊がいなくなったのにすぐに気が付いてその後を追ったのだろう。当然、幼女の手足の跡はそこになかった。

 大粒の雨が吹き荒ぶ中、その弱った小さな背中が濡れた地面に手足をつけて熊の後を追う。そんな姿が嫌に想像できてしまった。そこに浮かぶ表情は言わずもがなだ。

 そして、おいらがここへ連れてこられる間も幼女とすれ違う事はなく、熊もその道中で彼女の痕跡について気がついた様子はなかった。

 つまり、既にそれほどの時間が経過しているという事である。

 獲物を見つける為の狩りの知識があって良かったと思う反面、そこまで分かっているにも関わらず手掛かりすら見つけられていないことに、おいらは焦らずにはいられなかった。


「っ、あぶっーーー!?っとと、……ふぅ。危ない危ない。足の踏ん張りが、効かなくなってきたな」


 しかし一方で、身体が至る所で悲鳴を上げ始めていたのである。

 先ほどから進む足が非常に重くなっていた。たまに視界が明滅するせいで、地面に足を取られていないのによろけてしまう。息を整えるのもだんだんと難しくなる。膝に手をついて肩で息をすれば体の震えが止まらず、時折、眠くもないのに生あくびが出る始末。

 時間が無く、手掛かりも見つからず、手当たり次第に探し歩いて気力と体力ばかりが削がれていった。

 だがそれでも、諦めようとは微塵も思わなかった。

 ゴブリンである自分は人種ひとしゅよりかは幾分頑丈である。幼い子供と比べるなど以ての外だ。

 自分の心配などどうでもいい。

 きっとここで自分の事を理由に少しでも諦めてしまったら、そこで確実に、あの子とは二度と会えなくなってしまうに違いない。

 見つけられる根拠が無いくせに、それだけは断言出来た。

 ーーーだからこそ。

(早く……、早く見つけないと。……大丈夫だ、絶対に大丈夫だ。必ず見つかる。いや、必ず見つける!)

 体に鞭を打ち、おいらははやる気持ちを必死に抑えながら足を前に出していった。



ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー



 何の手掛かりも無いままに、やがておいらは自分の家から近い下流の岸辺まで来ていた。

 意識が朦朧とする幼子が、その足でこんな離れた所まで来れるはずがない。

 そんなことは百も承知だ。

 では何故ここに来たかというと、正直なところ感だった。

 数日前に一度だけ、熊を連れていない幼女に出会したことがあったのだ。初めて声を聞いたあの日。それがどうしてか今になって思い出され、おいらの胸を騒つかせたのだった。

 どうしてあの時、一人で来ていたのか。あの頭突きは何だったのか。その時いなかった熊は何をしていたのか。そんな取り留めのない疑問が頭を巡っていった。

(……熊は今頃、何処を探してるだろうか)

 ふと、ここにはいない熊の事を思い出す。熊が幼女を見つけていればそれはそれでいいのだが、確認しようもないのですぐに考えるのをやめた。

 今は自分の事に集中しなければならない。

 そうして目の前の茶色く濁った川を見渡すと、その違いに驚いた。昼前に来た時よりも水嵩は上がっており、川幅もだいぶ広くなっていたのだ。いつも釣りをしていた足場など、とうに飲み込まれてしまっている。もし今の川に飲まれでもしたら、確実にひとたまりもないだろう。

 そうして捜索すること暫く、おいらは本当に体調をごまかし切れなくなってしまった。


「はぁ、…はぁ……、くそぉ、しっかりしろい。……はぁはぁ。見つからない。……どこにも、見つからない。頼むから、早く出てきてくれ。頼むから……」


 木に手を掛けて身体を支えると肩で息をする。全身が今まで感じたこともないくらいに重たかった。手足はその感覚が麻痺してしまっているようで何も感じず、ただただ震えている。おまけに喉からは下手くそな笛を吹いたような音が呼吸と共に漏れ出ていた。

(仕方ない……。少しだけ、休憩。呼吸が整うまで……)

 決して座るまいと、木を脇に抱え深呼吸をしていった。

 そのまま、一度空を見る。されどそこから知りたかった情報は得られず、すぐに首を元に戻した。

(あれからどれくらい経ったんだ?)

 太陽の光が曇天によって遮られているせいで、時間の経過が判然としない。洞穴を出てからどれだけ経ったのかが曖昧になってしまっていた。

 するとそこから不覚にも嫌な想像をしてしまった。

 ーーー泥水に体を汚し、変わり果てた姿で息を引き取るあの子の姿を。

 瞬間、心臓がどくんっと大きく鼓動を立てた。全身に鳥肌が立ち、整いかけていた呼吸がまた荒くなっていく。

 不必要な焦りが頭の中に一気に雪崩れ込み、胸の中で不安がどんどん膨らんでいった。

(助からないのか……、助けられないのかっ!もしかしたら、もう、死んで……)


「ーーーーーーーーっ!!」


 それだけはあっちゃいけない。


「おいっ、早く出てこいっ!おいらはここにいるぞ!毎度毎度、呼んでもないのにおいらの飯を取って行きやがってからに!おいらから会いに行ったら居ないなんて、ふざけんなっ!!あれだけで満足すんるんでないわっ!!もっと良いもん食わせてやるっ、だから……、だから頼む……ッ!お願いだから早く出てこい!!!」


 気が付くとそんなことを口走っていた。

 もしこの言葉を幼女が聞いたところで何一つ理解できないだろうに。しかし、何処にいるかも分からない幼女に向けて、そう叫ばずにはいられなかったのだ。

 轟々ごうごうとけたたましく流れる川と雨音に、それは当然掻き消されていく。

 声が届かないことなんて判りきっている。


 ーーーそれでも届いて欲しかった。


 木の幹に回した腕に力を入れ、俯かないようしっかりと顔を上げた。


 ーーーそして。


 視界の端にある草ががさりと動いたのを、おいらは見逃さなかった。

 震える身体に鞭を打つと、おいらは在らん限りに全力で走った。

 増水した川がすぐ横を流れていく、そんな危うい場所。

 そこに探し求めていた幼女が、一糸纏わぬ姿で草の上に身体を横たえていた。


「ぁぁ、……ああ、こんなところにっ。……こんなところに」


 ようやく見つけたおいらは上手く言葉が出せなかった。だがそれは嬉しさからだけではない。目からは入る情報があまりにも辛辣だったからである。

 幼女の全身が雨水に濡れているのは言うまでもない。しかしそれに加えて、顔色は既に青白く、肌は所々枝や葉で切ってしまったのか、赤く染まった細い傷口が痛々しかった。

 それは一見して死んでいるように見え、おいらは息を呑んだ。しかし、それもほんの僅か一瞬のことで、すぐさま幼女の胸にそっと耳を当てた。


 ーーーとくん、とくん。


 息を止めるおいらの耳朶に小さくもしっかりとした鼓動が確かに聞こえてきた。

 間違いなく生きている。

 よく見るとお腹の辺りが上下に浮き沈みを繰り返しており、呼吸していることも確認できる。


「良かった……、生きてる!生きてるぞ!!やったぞ。はは、良かった、本当に……良かった」


 目元に涙を溜めながらそっと膝の上に抱き寄せた。幸いまだ意識があるのか、その小さな身体が僅かに身動みじろぎをした。

 すると、顔に覆い被さった長い髪の隙間から口元がちらりと見える。だが、それは唇や肌の色のそれとは違った、茶色い何かだった。

 その異様な起伏に一瞬ぞっとして、即座にそこから髪を払う。すると、そこには見慣れたものがあった。


「……、おまえ、……たくっ。んなもん咥えて、何してんだべ」


 幼女の口元には下向きに咥えられた木箱があった。それは紛れもなく、おいらが昼食を詰めるのに使っていたものだった。辛そうに呼吸しているにも関わらず、未だにそれを咥えているのだから恐れ入る。

 おいらは、所々欠けてしまっている昼食入れの木箱をそっと幼女の口から取り除いた。それを見ると箱の縁の至る所に歯形がついていて、ここに来るまでに何度も咥え直していたことが伺えた。


「元気になったら、好きなだけ、それも色んなもん食わしてやるべ。でも、その前に家に帰るべ」


 その姿にいろいろ思うところはあったが、感動してばかりもいられなかった。

 事は急を要する。

 幼女に触れると氷の様に冷たかったのだ。それも寒さで震える自分の手よりも冷たいと感じるほどにだ。

 おいらは、すぐさま鞄から布を取り出すと幼女の体へと巻きつけていった。

 流石は水龍の鱗、伊達ではない。これだけの雨に降られても中身は全く濡れていなかった。準備して来た甲斐があったと思いながら手を動かす。

 とにかく今はこれ以上、体から体温を逃さない様にしなければいけない。

 そして、幸いにもすぐ近くに温まることのできる場所がある。


「よし、じゃあ行くぞ。良かったな。おいらの家はすぐそこだ!」


 ありったけの布を巻き付けた幼女を抱えると、おいらは立ち上がった。

(あとはこの子を連れて家に帰るだけだべ)

 家に帰ればいくらでも暖を取ることができる。

 それに、栄養のある食事を食べればすぐに元気になってくれるはずだ。

 この子を助けられる。そう確信していた。

 だが。


「ーーーーーーッ?」


 一歩を踏み出そうとした時、おいらは不意に自身の体が下に落ちていく感覚に襲われた。

 歩き出そうとして片足を残したその地面が突然崩れたのだ。

 だが、それに気が付いた時には既に手遅れだった。幼女を抱えた両腕は何処を掴むこともできず、背中から二人もろとも濁流へと向けて落ちていった。


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