空虚な住処

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 魔獣が世界から一掃されて既に数十年が経つ。

 もういないと思っていたが、さすがは人を寄せ付けない深林である。そう思うと何でも納得できてしまう。というか、あまり深く考えずに済むのだ。そういう事もあるんだと。

 魔獣については少しだけ知っている。

 故郷の村で爺婆じじばばがよく昔話をしていたのだ。


「よいかモンタ。むかぁ〜ぁしむかぁあああし、この世に、酷く恐ろしい獣がいたんじゃ」

「おっと良くないよごめん、婆ちゃん。そうじゃなくてな隣のゼードル爺さんが婆ちゃんのこと呼んでるんだけど」

「そんの獣は不思議な力を使うでなぁ、魔獣なんて呼ばれておったぁ。そんれはまだ、皆が魔法を使えていた頃のことでなぁ」

「だからっお願いだ婆ちゃん、おいらの話聞いてって!ゼードル爺さんが来てんだってば!」

「まだ幼かった頃にーーー」

「一緒に野を駆け回り、魔獣にちょっかい出しては、そぉれはもう、よう追いかけ回されたもんじゃ。懐かしいぃ。うむ、懐かしいの〜」

「ちょっとやめてっ!ゼードル爺さんまで回想に入らんでっ!!」


(ぁぁ、この記憶じゃない……。いらん事を思い出してしまった)

 簡単に言うと魔獣は知性が高く、魔法を使えるのだと。

 熊がおいらに使ってきたのは異心伝達という、彼ら言葉を持たない魔獣だけが使う魔法だ。

 つまらない長話を聞いた甲斐があったものである。

 こんな事を頭で考えているのはうんちく云々を披露する為ではなく、単純に意識を飛ばないようにしている為だった。

 あれから熊は、本当に容赦なく全速で走っていた。

 山を登り始めた時にはその方向に幼女がいるのかと思っていたのだが、それは大いに裏切られた。今は昨日来た花畑を通り過ぎたところである。

 あの大きな山の中に上下に通じる道があるなんて全く知らなかった。この熊はその狭い通路をおいらを乗せながら滑っていったのである。こんなスリルは後にも先にも二度とないだろう。

(きっと人間の握力だったら、とうに振り落とされてるべ……)

 何度熊の毛を掴み直したか分からない。


「っ、ぐっ……、おい熊っ!まだ着かないのかっ!」


 花畑を過ぎて林の中の傾斜を登っているところで、おいらは堪らず声を大にして聞いた。もちろん熊はうんともすんとも言わない。だから、こいつがいきなり足を止めた時、おいらは心の準備が出来ていなかった。

 泥濘ぬかるんだ地面に足を滑らせて勢いを殺す熊を追い越して、おいらは間抜けな声を上げて宙を舞ったのだった。


「痛っつぅううう、……こんのバカもんがっ!!止まるなら止まるで合図くらいしろいっ!ぁぁ、おい、待てっ!熊だか魔獣だか知らないけんど……、な。ここ、なのか?」


 泥まみれになって起き上がったおいらは振り向き様に抗議した。だが、熊はそれを無視してのしのし歩いき、そのすぐ目の前にある大きな洞穴へと入っていってしまう。思ったよりも大きく、一見して洞窟の入り口の様だった。

 おいらは熊の後を追って、急いで中に身を潜らせる。

 ようやく激しい風雨から解放されたが、目的はそれではない。熊が異心伝達で送ってきた、苦しそうに横たえた彼女に会いに来たのだ。

 病人を診ることなんて出来やしないけれど、看病くらいはおいらにも出来るはずだ。


「なぁ、あの子はどこだ?」


 異変に気が付いたのは熊の方が早かった。外の光が何とか届く薄暗い洞穴の中で、熊が落ち着きなく首を巡らせていたのだ。

 声を掛けたおいらに熊は振り向くと視線を合わせてきた。また頭が揺れる感覚、それと同時に枯れ葉を敷き詰めた上に寝そべる幼女の姿がおいらの頭に映し出された。


「ぅ、……。ここでいつもは寝てるのか?」


 熊はフグゥと鼻を鳴らしてそこを見つめているが、しかしそこに彼女の姿はない。

 その事実に、おいらは背筋がぞっと寒くなるのを感じた。

 不味い。不味い不味い、非常に不味い。最悪の事態だ。


「外に出たのか」


 ここの入り口へと視線を向ける。

 もう先ほどから変わることのない、吹き荒れる風と打ち付ける大粒の雨が踊り狂う世界が広がっていた。


「熊ッ、おいらの目を見ろっ!考えを読み取るくらいは出来るだろ!!臭い、臭いだ!あの子の臭いは感じないのか!」


 熊の顔を両側から掴み寄せて頭突きをする様に無理矢理目を合わせた。それに応える様に、獣の瞳が緑光に発色する。次いで掴まれた頭を大きく震わせた。

 おいらは敢なく手を離した。

 ダメと言うことらしい。それもそうだ、こんな天気では全てが流れ落とされてしまう。


「くそ、急いで見つけないと。凍えるどころの話じゃない!本当に死んでしまうっ」



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