届かぬ声

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 耳を塞ぎたくなるほどの雨音がそこら中で鳴っていた。

 林立する木々のおかげで吹き荒れる風に乗った雨を直接受けることはなかったが、代わりにそれが生い茂る葉に当たり、いくつもの音を重ねている。そのせいで息を上げて走る音でさえ掻き消されてしまっていた。


「おおーーい!!出て来ぉおおい!くぅうーーまあーーーー、よぉおーーじょおおおおーーーお!!……、いや、幼女はおかしいか……。ぁいや、そんなことより。おおーーーい、めぇえしぃいっ、持ってきたぞおおおおぉ!………………、……返事はないか」


 声を張って呼びかけてもこれである。耳を澄ましたところで、呼び掛けに応える声などこれっぽっちも聞こえやしない。

 そもそも呼び掛ける声は一切林の中を通っていかず、まるで自分で自分の声が鳴っているのを確認しているような、そんな手応えしか感じなかったのである。

(どこにもいない。まぁ、元気に雨宿りしてんのならそれはそれでいいけんど)

 それでも、おいらは泥濘ぬかるむ足元に注意を払いながら先に進み、探すのを辞めなかった。

 正直、彼らがいる場所なんてさっぱり分からなかった。出会す場所は点でばらばらで、こうして出会した場所を順に巡っているが影も形も見当たらない。むしろこちらの居場所の方が筒抜けなのではないかとさえ思ってしまう。


「……やっぱり思い過ごしなんかな」


 そんな事を思い始めたのは、探し回って雨に打たれ続けた身体が勝手に震え出した頃だった。もう既に厚手の外套は雨を弾く役目を果たせなくなっており、水を吸ってずっしりと重くなっている。

 体力的に考えても次の場所が最後になるだろう。そこで彼らに会えなかったら、諦めて家に帰ることにしようと決めた。

 心配なのは変わらないが、流石に限界もある。

 それに、とおいらは足を進めながら思う。


「冷静になって考えてみれば、あの熊がいるじゃないか。あの毛皮の塊にうずくまっていれば寒むくなんかないべ」


 笑顔で熊の毛皮に抱きついている姿さえ想像できてしまう。なんと和やかな絵面えずらだ、と自分の妄想についため息を吐いた。

(それならそれでいいけんど)

 もはやこの雨の中を歩いて口癖になりつつある言葉を心の中で溢すと、突き出た太い木の枝を掴み、片足を次の足場へと移していく。

 おいらは上流から下流、そして池のほとりを見た後、深林の中心にある一番大きな山の中腹まで来ていた。

 起伏の激しい野道を何度も足を滑らせながら登ると、やっとの思いでここら一帯を見渡せる崖に辿り着く。ここは過去二回に渡り、蜂蜜とパンケーキ、カレーとナンを奪われた因縁の場所である。

 ここに来れば何か見つけられるとそう思ったのだが、いざそこに立つと予想が大きく外れてしまったことに気付いた。

 崖の近くまで来ると、体を地面に押し付けるような強風が雨を伴って容赦無く叩きつけてきた。


「ぐぅう、な、何も見えない」


 林立していた背の高い木などが無いため、風雨の影響をもろに受けてしまうのだ。おかげで視界もとても悪く、いつもは見えていた自分の家すら見えない状況である。

 最後の当ても外れたおいらは、仕方なくその場から背を向けた。気を抜くと風に攫われそうになるので、身を低くして元来た道の方へと進んでいった。


『グフォオオオオオォ』


 そこで初めて風雨以外の音を耳にした。

 低く唸るそれに目を向けると、山頂に向かう斜面に薄茶色の毛を濡らしたそれが座っていた。

 毛が濡れて一回り小さくなった気がするが見間違うはずもない。探していた片方がいた。幼女を乗せていたあの熊だ。

 おいらは躊躇わず声を出していた。


「くま、ッ!おい熊!!おまえらを探してたんだ!なあ、あの子は元気か?大丈夫なんか?」


 熊に話しかけるなどはたから見れば頭のいかれた危険な奴である。しかし、おいらは会えたことに興奮して構わず喋り続けた。


「寒い思いをしてるかと思ってな、いろいろ持ってきた。ほれ、この鞄だ!持ってけ!」


 水龍の鱗で出来た鞄を差し出すと、熊はようやく腰を上げてこちらへ近づいてきた。そして、駆け寄ってきた熊の目の前に再び鞄を突き出すと、突然吠えられた。


「グフォオオオッ!!」


 おいらはびっくりして思わず手を引っ込めると、真っ直ぐ睨んでくる熊の目と合った。

 瞬間、身体が揺れた。


「なん、だ、……これっ」


 実際に揺れていたのは自分の意識だと気がついたその時、脳裏にある光景が映し出されていた。

 頬と耳を赤くし、大量の汗をかきながら呼吸を荒くして横たえる子供。

 間違いなくおいらが会いたかった幼女の姿だった。だがしかし、それは想像していたよりもずっと悪い印象をおいらに与えてきた。


「おまえ、これって」


 頭が揺さぶられる感覚に膝を着いてしまう。

 おいらが再び熊を見やると背を向けてきていた。

 どうやら乗れと言うことらしい。

 この熊、人の子を連れている時点で何かあると思っていたが、その予想が当たってしまったことにおいらは驚きを隠せなかった。


「異心伝達。魔法を使う獣ーーー魔獣だったのか」

「グルルルルルルゥ」


 自分よりも大きな身体で喉を震わせた熊は、おいらが跨ると有無を言わさぬスピードで、山の上へ続く斜面へと向かって走り出した。



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