昨日の笑顔と今日の空

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 今日は朝から小雨だった。

 まぁ、たまにはこんな日もある。

 窓から空を見上げながらおいらはホゲェ〜と息を吐く。

 鶏や牛などの家畜に餌を与えた後、おいらはどうしようかなと今日の予定をなんとなく考えていた。

 とりあえずは外に行くのはやめにしよう。ぬかるんだ足場は、たとえ小雨と言えども危険なのである。何でもない道を歩いて怪我をしては今日一日が損した気分になってしまう。


「家の中ですることと言ったら、飯を食うか寝るくらいだしなぁ。家畜の世話もあるけんど、あいつらおいらより逞しいし、だいいち懐いてくれてないから一緒にいてもつまらんしの」


 母家の横にある小屋には鶏三匹と牛一頭がいる。普段晴れている時は小屋の外に出して、半ば放飼をしている。呼んでも振り向きもしないくせに、小屋にはしっかりと帰ってくるのだから、この深林で安全な場所はこの小屋だと言う認識がちゃんとあるらしかった。

 しかしからして、おいらへの認識はと言うと、卵やミルクを搾取する盗人である。それでも彼らに危害を加える気が無いことは分かっているのか、おいらにも攻撃をしてこない。そんな距離感の家畜なのである。


「雨さえ降らなきゃ、畑の胡瓜でも取ってからに齧りながら散歩でもするのになぁ〜」


 ここ最近ずっと晴れていたので、どうにも家にいるのが落ち着かないのである。

 小雨が時折、その粒を大きくして落ちてくる。屋根から軒下へと伝ってくるそれを横目で追っていくと、丁度その先には胡瓜の成った茎が見えていた。

 家畜小屋の隣には柵で囲った小さな菜園が一つある。

 ここの深林自体が肥沃な土を有しているためか、ジャガイモや里芋に始まり、色の艶やかなトマトやピーマン、レタスに胡瓜と色々と育つ。成長スピードも驚く程で、故郷の村で育てれば10ヶ月程度かかった大麦も僅か3ヶ月で収穫できる。トマトやピーマンなど小さな実をつけるものなどは4日もあれば食べ頃を迎えた。

 だが、注意もしなければいけない。

 ジャガイモと落花生を植えた時にはあまりの成長ぶりに後悔したことがあった。土をいくら掘り返しても掘り尽くせないくらいに繁殖してしまったのだ。そのため、食べ切れないからと街に売りに行ったほどである。

 そんな不思議な土地のお陰か、さして知識もないおいらはこうして自給自足の生活が出来ているのである。

 今降っている雨もおいらの生活を支える恵みであり、かつ菜園に根を張る食材の栄養でもあるのだから、空模様に文句を言うのはお門違いだろう。


「あ……」


 忘れてた。

 菜園の後ろには窯小屋があるのだが、その煙突に水除けの板を刺していないことを思い出したのである。

 前回はそれをやらかし、小屋の中もろとも水浸しになってしまったのである。このままではまた窯小屋が使えなくなってしまう。

 走って窯小屋まで来たおいらは、煙突の途中の窪みに平たい板を斜めに差し込んで、反対側の穴を開くと雨水の逃げ場を作った。穴からは板を伝って雨水がポタポタと流れ落ち始める。

 窯の中を確認すると、なんとかまだ大丈夫そうだった。使う前に一度掃除する必要はあるが。


「はぁ、危ない危ない」


 安堵して窯小屋を後にする。

 そもそも垂直に煙突を作ってしまったのが原因なのだが、今更どうしようも無い。

 こういう苦労もこの生活の醍醐味である。


「そういえば、今日はあいつら何してんだかな」


 少し雨脚が強くなった空を見上げて、もう何度目かも知れない心配事を口にした。


「小雨と言えども、雨で濡れれば寒いしのお。あの幼女、震えてなきゃいいけんど」


 そんな事を口にしたせいか、身体を小さくして凍える彼女の姿が脳裏に浮かんだ。熱を出し息も絶え絶えに吹きさらしの地面に倒れ、助けを呼ぶように喘いでいる。言葉にならない声で誰かに助けをーーー。


「ってわああーーー!!!何をおいらは心配してるんだ!あいつらはおいらの宿敵だべ。飯を奪っていく悪党共だぞ!」


 脳裏では病に伏し苦しむ幼女が姿を変えていき、熊に跨り口を開けて八重歯を剥き出しにする獰猛なイメージへと様変わりする。ちなみに熊の形相もとんでもない。


「うんうん、あいつらはこんな感じだ」


 独りぶつぶつ言って母家に戻ると、中は相変わらず静かで屋根を伝って聞こえる雨音だけが響いていた。独りが好きとは言え、たまに寂しく思うのは生き物のさがであろうか。


「はぁ……」


 初めはただ、取られた怒りと狙われる恐怖しかなかった。だが、それと同時に気にもなっていたのも事実だった。

 彼らは川の上流から下流、はたまた見晴らしのいい崖の上や巨木のがらんどうなど、いくら場所を変えてもおいらの飯を奪いにやって来た。その度に、この場に相応しくない人の"子"の存在がおいらに戸惑いを与えてきたのだった。

 それに昨日のことがどうしたって頭から離れない。

 あの時聞いた言葉。不意に見せた子供らしい無垢な笑顔。おいらの勘違いではなかったと確認するように何度も思い出してしまう。

 人の子の歳なんて見た目で判断出来ないが、あれがまだ親に守ってもらわないといけないくらいに幼い事は分かる。


「んん〜。しんぱいだぁ」


 当初、昼食を取られた時の怒りは何処へやら。

 気持ちは既に、近所の子供を心配するおじさんである。村ではみんな家族同然で、何かあれば誰かが必ず心配しその都度自分は叱られたものである。


「家族はいるんだろうか」


 そこで口を閉じた。

 あまり良い想像が思い浮かばなかったからだ。それでも、両親は生きていて今は離れ離れになってしまったのだろう、と憶測はそのぐらいにしておいた。

 そうして云々考え事をしているうちにすっかり時間が経ってしまった様で、腹の虫が情けない音を立てた。

 椅子から腰を上げると台所の釜に火を入れ、作りおいた野菜煮込みスープを温め始める。

 その頃の空模様は最悪だった。

 今まで酷くてもごく僅かな時間の雨しか降らなかった日々の中で、今日の雨雲はここ一番の土砂降りへと変わっていった。遠くでは雷が鳴り出している。


「うん、昨日より味が滲み出てる」


 器に移したスープをズズゥゥウっと一口で啜る。

 こういう天気の悪い時は美味しい物を食べて気分を変えるのが一番だ。体も温まる。

 お替りを注ぐと、そこで扉がカタカタと音を立てている事に気が付いた。どうやら風も強くなってきたらしい。こうなると数時間後には気温が一気に下がっていくだろう。雨の日のこの地の特徴だ。

(そう言えば、あの子服着てなかったよな)

 具を咀嚼しながら思い出す。

 この間はボサボサに伸ばした髪を外套の様に体に巻き付けていた。おそらくはおいらの服の真似をしているのかもだけれど、裸には変わりない。

(あれじゃ、本当に風邪ひいちまう)

 一緒にいた熊が服を作れるはずもない。

 雷の音がだんだんと近くなる。

 考えまいとしていたのに、それが鳴る度に頭をよぎる心配事が大きくなっていった。


「………。だめだ、心配だ。探しにいくべ」


 おいらは厚手の外套を引っ張り出してくると水竜の鱗を使って作った鞄を手に取って準備を始めた。そこにはスープを入れた竹筒を数本入れ、さらにありったけの布や服、隙間に乾いた薪と着火剤を詰め込む。

 既に大粒の雨が横殴りに降り注いでる外へ、おいらは駆け出した。



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