8 絶望の理由(弐)

「じゃあ次は……お姉ちゃんがされた『頼み事』。これをハッキリさせよう」


 椿と得た三つのヒントの一つ、「なぜか霞の霊は椿を恐れていた」については、まったく理由に見当がつかないので後回し。

 なので桜はもう一つの、「佐久間が霞にした『頼み事』はなんだったのか」という謎の解明に照準を絞る。

 

 ただこの『頼み事』についての回答は、謎とはなんの関係もない可能性がある。

 霞と佐久間は美大生。例えばこの頼み事が「絵のモデルになってほしい」という平凡なものだった場合、今から質問に費やす時間は無駄になってしまうだろう。

 故に、追求するか、しないか。その判断は迅速に行わなければならない。


「お姉ちゃんが佐久間からされた『頼み事』は、『絵のモデルになってほしい』というものだった?」

「――――(こくり)」


「お、お姉ちゃんが佐久間からされた頼み事は、そのひとつだけ?」

「――――(こくり)」


 質問24

 あなたが佐久間からされた頼み事は、「絵のモデルになってほしい」というものでしたか?――はい

 質問25

 あなたが受けた頼み事は、その一つだけですか?――はい


「っ……どっちも『はい』か。どうしよう……『頼み事』への追求はやめて、他の質問に移るべき……?」


 せめて、どちらかは『いいえ』であってほしかった。

 その場合、「絵のモデルになってほしい」以外の頼み事がなんだったのかを追求することで、事件の謎に迫れるはずだった。

 しかし、現実はどちらも『はい』。絵のモデルを頼まれ、霞はそれを承諾。それ以外に依頼はなかった。分かったのはこれだけだ。


 桜のカンは、この『頼み事』こそが謎を解く鍵だと告げている。

 だからこそ桜は椿との思考整理によって浮上したこのヒントを、質問の軸にしようと決断した。

 しかし現状で確定しているどの情報を見ても、『頼み事』は重要なファクターではない。桜自身も考えていたではないか。「もし手応えがなかったら、すぐ別の質問に移ろう」と。


 桜が決めあぐねている間にも、無情に時間は過ぎていく。

 チクタクチクタク。残り時間は、あと七分。

 もはや、迷っている時間はない。


「や、やっぱり『頼み事』のことは忘れよう! お、お姉ちゃんは――」




『桜ちゃんは、いつも理屈で物事を決めようとするけれど。たまには自分の直感を信じてみるのも悪くないわよ? だって……その方がきっと楽しいもの』




 ――それは生前、霞がよく口にしていた台詞。

 桜が理屈で物事を決めようとしすぎて、前に進めなくなってしまったとき。霞から桜に送られていたアドバイス。


『なにかに悩んだら、楽しそうな方を選んでみましょう。それで失敗しちゃうこともあるかもだけど……お姉ちゃんは、笑ってる桜ちゃんが好きだから』

 

 今思えば、それは桜を笑わせるための気遣いだったのだろう。

 子供らしく、自分のしたいことをして、遊んで、楽しんで、失敗して、成長して。

 そんな風にのびのびと育ってほしいという、霞なりの優しさだったのだろう。


「お、お姉ちゃんは……『絵のモデルになってほしい』と頼まれたとき、その依頼が変わったものだと感じましたか?」


 だから、あと一回だけ。

 後一度だけ、理屈よりも自分の直感を信じてみようと、桜は思い直した。

 

 変わったものだと感じたか。本来ならば、あまり良い質問とは言えない。

 物事の感じ方など千差万別。霞が「変わっている」と感じたことを、桜も「変わっている」と感じるとは限らない。その認識のズレによって推理に支障をきたし、儀式が失敗してしまう可能性も十分にあり得る。

 不意に霞のアドバイスを思い出したことに、スピリチュアル的な意味を見出したかっただけではないか。誰かにそう問われれば、桜は否定することができない。

 ――だが、しかし。




「――――(こくり)」




 質問26

 あなたは佐久間から依頼を受けたとき、それを「変わった依頼だ」と感じましたか?――はい


「! そ、そのモデルの依頼はなにが変わって……いや、だめだ、これじゃあ『はい』か『いいえ』で答えられない! えーと、えーと……そ、その『変わったモデルの依頼』には……なにか、特別な道具を使いましたか!?』

「――――(こくり)」


 質問27

 その『変わった依頼』には、なにか特別な道具が必要でしたか?――はい


「な、なら、その道具は――その道具こそが、お姉ちゃんが味わった『地獄』を、『本当の地獄』に変えた元凶ですかっ!?」

「!!!――――(こくり)」


 質問28

 その道具は、「真夏の閉め切った部屋に放置され脱水により死亡する」という地獄を、『本当の地獄』に変えた元凶ですか?――はい

 

 水平思考推理ゲームでは、得てしてこういう事案が起こりうるのだ。

 理屈でどれだけ攻めても崩れなかった『謎』という牙城に――『直感』という名の槍が、颯爽と風穴を開ける奇跡が。


「そ、その道具は、本来美術に関係あるもの?」

「――――(首を横に振る)」


「その道具は、お姉ちゃんよりも大きかった?」

「――――(こくり)」


「その道具を、お姉ちゃんは生まれて初めて見た?」

「――――(首を横に振る)」


「その道具は、一般的な家庭にあるもの?」

「――――(首を横に振る)」


 質問29~32

 美術に関係あるものか。――いいえ

 あなたより大きいか。――はい

 生まれて初めて見たか。――いいえ

 一般的な家庭にあるか。――いいえ


 チクタクチクタク。残り時間はあと五分。もはや迷う必要はない。

 本当の地獄の元凶である『とある道具』。これさえ分かれば、すべての謎は判明するはず。思いつく限りの質問をぶつけ、この道具の正体を丸裸にできれば、そこでゲームセットだ。


「それは大部分が金属製?」

「――――(首を横に振る)」


「それは大部分が木製?」

「――――(首を横に振る)」


「それは大部分がプラスチック製?」

「――――(首を横に振る)」


「それは大部分が布製?」

「――――(こくり)」


 質問33~36

 その道具は大部分が布製か。――はい


「その道具は手で扱うもの?」

「――――(首を横に振る)」


「その道具は足で扱うもの?」

「――――(首を横に振る)」


「その道具は口で扱うもの?」

「――――(首を横に振る)」


「……そもそもその道具は、体の一部で『扱う』ものじゃない?」

「――――(こくり)」


 質問37~40

 その道具は、体の一部で扱うものではない。――はい


「それを見たとき、お姉ちゃんは危機感を感じた?」

「――――(首を横に振る)」


「それを見たとき、お姉ちゃんは忌避感を感じた?」

「――――(首を横に振る)」


「……それを見たとき、お姉ちゃんはなにかしらプラスの感情を持った?」

「――――(こくり)」


 質問41~43

 その道具を見たとき、あなたはなにかしらの良い感情を抱いた。――はい。


「……謎を解くためのピースは揃った。あとはこれを、組み立てるだけ」


 チクタクチクタク。残り時間はあと三分。

 桜の頭の中に記憶された、情報というジグソーパズルのピース。それが、徐々に組み上がっていく。

 霞が味わった『本当の地獄』。それが一つの風景となり、桜の目蓋の裏に鮮明な記憶として映し出されていく。


 季節は真夏。窓のない締め切った部屋。監禁。

 霞の死因は脱水によるショック死。


 部屋を自由に歩ける。両腕も自由。口も塞がれていない。なのに動き辛い。

 重ね着というワードに対する異様な反応。


 絵のモデルの依頼。変わった依頼と感じた霞。

 それに関する道具こそが、『本当の地獄』の元凶。

 

 それは、本来美術に関係がなく、霞より大きく、初めて目にしたわけではないが一般家庭にはないもの。

 それは、大部分が布製で作られたもの。それは、体の一部で扱うものではない。

 それを見た霞は、なにかしらのプラスの感情を覚えた。


 そして、残された最後のヒントピース

 霞の霊は――古明地椿を恐れていた。


「――


 チクタクチクタク。残り時間はあと一分。

 ジグソーパズルは、完成した。


「全部の情報が綺麗に嵌まった。答えがこれ以外なら、もう私には分からない」


 タイムリミットまであと僅かだというのに、不思議と焦りはなかった。

 これが外れているのなら、もう本当にお手上げだ。時間的にも能力的にも、これが天津桜が辿り着ける深淵しんじつの最奥だ。


 勿論当たっていてほしかったが、同時に外れていてほしかった。

 だって……だってこんなのは、。まともな人間に思いつく殺害方法とは思えない。思いついたとしても、それを実行に移すなんてあり得ない。

 

 桜は恐ろしくて仕方なかった。

 あれだけ憎んでいたはずの、佐久間洋二のことが。

 こんな地獄を思いつき、そして実行に移せてしまう、人間という生き物の想像力と残酷さが。


「これが私の、最後の質問」


 深呼吸をして、重い空気を吐き出す。

 口にするのもおぞましかったが、ここまできて怖じ気づくわけにもいかない。

 きっと桜はこれから『ソレ』を見る度に、吐き気を催すようになるだろう。本当なら桜だって、『ソレ』のことは好きなはずなのに。




「お姉ちゃんが味わった『本当の地獄』。その元凶である道具は――」




 質問44 天津桜、最後の質問

 あなたが味わった『本当の地獄』。

 その元凶である道具は、――――ですか?


 桜がその言葉を、口にした瞬間。

 チクタクチクタク、チクタクチ――

 

 ――時計の針は、止まった。

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