6 思考整理
先ほどまでの絶叫が嘘のように、座敷は静寂に包まれていた。
微かに聞こえるのは、時を刻む時計の音だけ。頭を抱え目を血走らせていた
畳にぺたんと座り込み俯くその様子は、まるで糸の切れた操り人形のようだ。
「ど、どうしよう、どうしよう……次……次はいったい、なにを聞けば……」
一方で、自らの大切な人が受けた仕打ち、地獄の深さ、人の深淵を垣間見てしまった桜は、いまだ正常な判断能力を取り戻せずにいた。
確認すべき事柄はまだまだ残っている。あとは地道に質問を繰り返していけば、タイムリミットの問題はあれどいずれ答えに辿り着けるはずだった。
「なんで……? 閉じ込められて、脱水によるショックで死んだ……それ以上に、なにがあるっていうの……?」
大切な人の悲惨な姿を想像したくない。そんな防衛本能が働いてしまい、思考がそれより先に進まない。
なまじ推理がスムーズに進みすぎたのも災いした。正解だと思って叩きつけた答えを突き返され、そのショックから立ち直ることができない。頭がまったく回ってくれない。
「時間、時間がないのに……! て、手足を縛られて動けなかった……? 違う、それはもう聞いた……! あとは、あとは……!」
霞が発狂から落ち着くまでにかかった時間は、おおよそ十分。霞の霊が椿の体から去ってしまうまで、あと二十分。
焦れば焦るほど、時間だけが無情に過ぎていく。悩み続けるくらいなら我武者羅に質問をぶつけるべきだが、段階を踏んで論理的に推理を進めるクセのある桜は、その発想に中々至れない。
――どうすればいい。
あと二十分しかないのに。苦しみ続けるお姉ちゃんを、私が助けなきゃいけないのに。どうして頭が回ってくれないの。どうしてなにも思いつかないの。
どうして、どうして、どうすれば。どうしてどうしてどうして――
「――――お、落ち着きなさい、桜ちゃん」
「っ!? つ……椿さん、ですか!?」
迷宮に迷い込んでいた意識が、その懐かしさすら覚える声で帰還する。
ハッとして桜が目を向けると、そこには力なく佇む姿勢はそのままに、しかし表情には若干の生気が戻った霞の――いいや、椿の姿があった。
「はあ、はあ、はあ…………ごめんなさい、桜ちゃん……今まで、表に出てこれなくて…………」
「だ、大丈夫ですか……!? そ、それに、お姉ちゃんは……!? もしかして、もうタイムリミットが!?」
「あ、安心しなさい。霞さんは今、少し疲れて私の奥に引っ込んだだけ。……それよりも桜ちゃん。時間がないからよく聞いて。あと数分すれば、私の意識はきっとまた沈んでしまう」
「わ、わかりました、聞きます。聞きますから……どうすればいいか教えてください」
軽く深呼吸して呼吸を整え、改めて椿へと向き直る。心身共に疲れ果てた様子で、しかし必死になにかを伝えようとする椿の様子を見て、桜は若干ながら冷静さを取り戻した。
だが混乱から立ち直ったとしても、時間が残されていない事実は変わらない。椿との話し合いからなにかしらの『ヒント』を見出せなければ、今度こそ霞と桜の復讐は失敗してしまうだろう。
その事実をしっかりと心に刻んで、椿と桜はそれぞれが持つ情報を交換し始める。
残された謎を解き明かし、恨みを晴らすための回り道――思考整理の始まりだ。
*
「手短に要点だけ。まず第一に……霞さんは、なぜか私のことを異様に恐れていた」
「……恐れていた、ですか?」
「ええ。私が中々表に出てこれなかったのは、暴れようとする霞さんを押さえつけていたから。結局最後は、桜ちゃんに恐い思いをさせてしまったけれど」
ヒント1
霞の霊は椿を異様に恐れていた。理由は不明。
「それは珍しいことなんですか? 取り憑いた霊が暴れるって、よくありそうに思えますけど……?」
「いいえ。この儀式に応じてくれた時点で、怨霊は誰かに復讐したがっている。つまり怨霊には、復讐の協力者である私を恐れる理由がないの。こんな事例は先代――お母様にも聞いたことがないわ」
復讐のために協力してくれるはずの霊が、霊能者を拒絶した。
理由などまったく分からない。専門家の椿にすら分からないのだから、桜には予想すらつくはずがない。
しかしだからこそ、そこには必ずヒントが――謎を解くための重要な手懸かりが隠されているはずだ。
「次に二つ目。桜ちゃんは十一個目の質問を覚えてる?」
「え……えーと、確か……『体の自由を奪われていたか』だったと思いますけど。答えは『いいえ』」
「ええ、その通り。ならその質問に、霞さんが少し戸惑っていたのは気づいた?」
「ちょ、ちょっと待ってください。今思い出します。えーっと…………」
記憶を遡り、閉じかけの脳の引き出しを開け、目蓋の裏に過去の映像を映し出す。
殺害前の霞の状況を知るために問い掛けた、十一個目の質問。確かあのとき霞は――
『お姉ちゃんは、体の自由を奪われていた?』
『――――――――――(首を横に振る)』
「……言われてみれば……質問のあと首を横に振るまでに、少しだけタイムラグがあったような……?」
「私の経験上、返答に時間がかかった質問には、重要なヒントが隠されている場合がほとんどなの。だから――」
「――そこを攻めていけば、突破口が開けるかも……!」
ヒント2
「体の自由を奪われていたか」という質問に対し、霞の返答は少しだけ遅れた。答えは「いいえ」。
出題者の回答遅れをヒントにして、そこを起点にして攻めていく。それは多少メタ的とはいえ、実際の水平思考推理ゲームでもよく使われる戦法だ。
例えば、出題者が思い浮かべている道具を当てる問題で、答えが「サッカーボール」だったとしよう。
そしてこんな質問がきたとする。「その道具は手で扱う物ですか?」と。
出題者は当然考える。
答えはサッカーボールなのだから、回答は「いいえ」?
いやいや待て待て。ゴールキーパーやスローイングする選手は、ボールを手で扱うじゃないか。だから回答は「はい」?
どちらとも言えるのだから、「回答できない」と答えるべきか?
それとも「基本的には『いいえ』です」と、ぼかした言い方で誤魔化すか?
出題者がどの判断を下すかは、この際どうでもいい。重要なのはこういった状況に陥った場合、まず間違いなく回答遅れが発生するということ。
回答遅れが発生すれば、それは大きなヒントとなる。この場合、「お、いま回答が遅れたな。なら答えは手以外でも扱えるもの、あるいは例外的に手で扱う物だな?」という具合に。
意地悪な出題者ならば、それすら逆手にとってブラフに使う場合もある。
が、今は違う。この問題で桜の問い掛けに答えるのは『意地悪な出題者』ではなく、桜と共に復讐を成そうとする『共犯者』なのだから。
「そして最後、三つ目。この問題には、まだまったく手が付けられていない事柄がある。それは――」
「――佐久間がお姉ちゃんにした『頼み事』。それがなんだったか、ですよね。私も今、冷静になってから気づきました」
ヒント3
佐久間が霞にした『頼み事』。それは一体、なんだったのか。
「私は少し、急ぎすぎてたみたいです。普段ならこんな気になること、最初の内に質問しておくのに……」
「これに関しては、後回しにしたのが間違いだとは思わないわ。『頼み事』は霞さんを自宅に呼び出すための口実にすぎなくて、謎とは関わりのない可能性もあるもの」
確かに椿の言うとおり、『頼み事』を軸にして質問を繰り広げていくのは一種の賭けだ。もし仮に『頼み事』が霞の『怨みの理由』とは無関係だった場合、タダでさえ貴重な時間を無駄に消費してしまうことになる。
だがしかし。思考を整理し、椿との会話によって持ち前の冷静さを取り戻した桜は、なんとなく感じていた。
この『頼み事』こそが――謎を一気に打ち晴らす可能性を秘めた最後の鍵だと。
これさえ判明してしまえば、せっかく用意した謎が全て解けてしまう。そんな、問題制作者泣かせの『急所』だと。
これに関しては、理論も理屈もまったくない。水平思考推理ゲーム愛好家としての天津桜の直感だ。
霞と共に培ってきたそれを信じるか否かは、すべて桜の判断次第である。
*
「っ……ごめんなさい、桜ちゃん……霞さんが、また暴れようと……っ」
「! ……なら椿さんは、また……?」
「ええ。内側から、私がなんとか霞さんを落ち着かせるから……桜ちゃんはまた、質問を再開して頂戴」
そう言った椿の視線が、チラリと壁の時計に向けられる。
釣られて桜が視線を移すと、カウントダウンを進めたアンティーク調の長針は、あれから更に十の時を刻んでいた。
「十分……いいえ、十五分。今から十五分間は、なにがあっても私が霞さんを暴れさせない。だから桜ちゃんは質問に集中して……この事件の謎を、明らかに………!」
残り時間はあと十五分。椿と進めた思考整理の時間が無駄だったとは思わないが、それでも桜の焦りは募る。
しかし、それを表には出さないよう努めながら、桜は固く誓う。
「――はい、分かりました。今度こそ、必ず」
今度こそ、自分は必ず――大切な人を救ってみせる、と。
憎い犯人を殺してみせるでも、怨みを晴らしたいでもなく。純粋に、大切な人を苦しみから救い出したい、と。
桜の気持ちは桜自身も無自覚の内に若干の、それでいて大きな変化を見せていた。
『あ、あああああああついあついあついっ!!! だれか……だれか、ここから出して! ア、アアっ、あ゛あ゛あああああッ!!!!!』
鼓膜に刻まれた、霞の苦悶の声。目蓋に刻まれた、霞の悲痛な表情。
霞は、穏やかな声の持ち主だった。霞は、皆を笑顔にする優しい女性だった。
そんな憧れの人に、あんな苦しみを味合わせ続けたくない。一刻も早く、霞をあの地獄から救い出したい。
犯人は憎い。できることなら、自分の手で殺してしまいたい。
でも、佐久間洋二というくだらない男のことなど、もはや桜にとっては二の次だった。儀式により手に入れた力をどう使うかは、張本人である霞が決めることだ。
「あ、くっ……! やっぱり霞さんは、私を怖がって……? 桜ちゃん、そろそろ、げん――か――――――」
そろそろ限界だ。そう言おうとした椿の言葉が、不意に途切れる。
降霊に成功したときのように、ガクリと体から力が抜ける。再び糸の切れた人形と化した肉体の中では、暴れようとする霞と椿の戦いが繰り広げられているのだろう。
儀式が無事に終わったら、なにかお礼をしなくては。
三万円で買える高校生向けのお礼って、なにがあるんだろう。
そんなことを、不意に思った。
「待っててね、お姉ちゃん。今度こそ……そのあつい場所から、私が助け出してあげるから」
パンッと両手で頬を叩き、気合いを入れる。年代物のアンティーク時計が、チクタクと最後のカウントダウンを告げていく。
残り時間は、あと十五分。天津桜の戦いが、再び始まった。
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