5 その深淵は黒より黒く
「つ、椿さん!? 椿さん!」
がくっと。力が抜けると同時に膝から崩れ落ちた椿を見て、桜は慌ててその体を支えた。
両肩を掴んで軽く揺する。反応はない。それどころか、手を離せば倒れ込みそうな脱力っぷりに、桜の中で徐々に不安が募っていく。
そんな状態で数十秒、どうすればいいかも分からず固まっていると――
「――――ち、がう」
「……え」
違う、と。消え入りそうな声で、でも確かに囁かれた否定の言葉。
その言葉を聞いた瞬間。直前に聞かされた『儀式開始の合図』が、桜の脳裏に呼び起こされる。
『私の手から力が抜けたら、それが降霊成功の合図。質問を始めて頂戴』
そうだ。椿の言っていたことが正しいのであれば儀式は――水平思考推理ゲームによく似た『復讐』は、すでに始まっているはず。
つまり、先ほどの「ちがう」というのは。
「か……霞お姉ちゃん……なの?」
「………………(こくり)」
質問1
あなたは『椿さん』ですか?――いいえ
質問2
あなたは『霞お姉ちゃん』ですか?――はい
「か、霞お姉ちゃん! 私だよ、桜だよ! 私のこと、分かる!?」
「………………(こくり)」
質問3
あなたは、目の前の女の子を知っていますか?――はい
やはりそうだ。質問によって謎を解き明かす異色の儀式は、すでに始まってる。
そしていま目の前にいるのは……どれだけ会いたくても会えないはずの、天津桜の大切な人だ。
話しかけて欲しい。優しくして欲しい。頭を撫でて欲しい。
また遊んで欲しい。手を繋いで欲しい。抱きしめて欲しい。
募りに募った感情が、臨界寸前まで昂ぶっていく。
(っ、だめ……今は泣いたり喜んだりしてる場合じゃない……!)
しかし桜は、その衝動を必死に抑え込む。
唇を噛んで、拳を震わせ。大人以上の自制心と理性で、「寂しさ」という名の暴風を落ち着かせる。
椿は言っていた。「怨霊を留めておけるのは一時間程度」「一度降ろした怨霊は二度降ろせない」と。
なら一分一秒たりとも、無駄にできる時間はない。こうしている間にも一刻一刻と、タイムリミットは迫っているのだから。
「……お姉ちゃん。私、頑張るから。あと少しだけ我慢してね」
「――――」
霞から返答はない。恐らく今の言葉は、怨霊でも答えられる簡単な問い掛け――『はい』か『いいえ』で答えられる質問ではなかったのだろう。
息を大きく吸い込み、そして緊張と共に吐き出す。
真っ先に脳裏に浮かぶのは、霞から教えて貰った『とある質問』。
問題の種類に関わらず、質問者がまず最初に確認しなければならない、水平思考推理ゲームにおける定石とも呼べる問い掛け。
それは、即ち――
「お姉ちゃんが殺されたこの事件に――
*
この事件に、
水平思考推理ゲームを経験したことのない人間は、この桜の質問を不思議に思うかもしれない。「もっと他に聞くべきことがあるんじゃないか」と。
しかし、このともすれば大雑把に感じられてしまう質問こそが、水平思考推理ゲームという知的遊戯においては重要なのだ。なぜならこの遊戯の肝は、「質問によってどれだけ『可能性』を絞りこめるか」に他ならないのだから。
問題
とある男が死んでしまった。なぜか。
例えば、このひどく単純に思える問題。しかしその単純さとは裏腹に、考え得る答えの可能性は星の数ほど存在する。
男女間の痴情のもつれかもしれないし、男はヤクザの抗争中に死んでしまったのかもしれない。死刑囚が死刑にされただけかもしれないし、「男」というのはゲームの主人公で、「死んだ」とはゲームオーバーの比喩表現なのかもしれない。
宇宙人に誘拐され、人体実験中に死んだのかもしれない。異世界に転生しモンスターに食べられたか、或いは山賊に捕まって殺されたのかもしれない。悪霊に呪い殺された可能性だってあるし、男の正体はのび太で、タケコプターで飛んでいる最中に不具合で落下死したのかもしれない。
だが、この星の数ほどある
それがこの質問、「この問題に非現実的要素はありますか」。もっと丁寧に言うなら、「この問題にはオカルトなどの、現実ではあり得ない要素が存在しますか」だ。
たった一回この質問をするだけで、質問者はオカルト的存在の有無に頭を悩ませずに済む。それがどれだけありがたいことかは、実際にゲームを経験してみればすぐに分かるだろう。
繰り返すが、このゲームの肝は『どれだけ効率的に
たとえ回り道に思えても、最初の質問で推理の土台を固めるプレイングこそが、水平思考推理ゲーム攻略におけるひとつの最適解なのである。
*
質問4
あなたが殺された事件に、非現実的要素は存在しますか?――いいえ
質問5
あなたを殺したのは、あなたと同じ大学に通う佐久間洋二ですか?――はい
質問6
あなたは佐久間からなにか頼み事をされ、一人で彼の家を訪ねましたか?――はい
質問7
あなたは殺害されたあと、佐久間の手で地中に埋められましたか?――返答なし
質問8
佐久間以外に、あなたの死に深く関わる人物はいますか?――いいえ
「――うん。やっぱり、私の聞いたニュースに間違いはないみたい」
一通りの質問を終えて、一旦息をつく。「最初のうちはアドバイスできると思う」と言っていた椿が表に出てこないのは気がかりだが……それを踏まえても、ここまでの流れはとても順調なように桜には思えた。
「お姉ちゃんは頼み事をされて佐久間の家に呼び出され、オカルト要素のない現実的な方法で殺された。そして犯行は、佐久間の単独犯」
ここまでの質問で、桜がニュースで得た事件のあらましが正しいのは確認できた。そして霞が、いま桜が体験しているようなオカルトではなく、なにかしらの現実的方法で殺害されたということも。
また、七つ目の質問によって入手できた情報が一つ。「生前持っていた知識以外、怨霊は知り得ない」ということだ。
実際のゲームにおいて、問題の制作者はすべての謎を把握しており、また質問に対し嘘をつけない。従ってもしこれが創作された問題なら、質問7の回答は「返答なし」ではなく「はい」か「いいえ」となっていたはずだ。
しかしこの儀式においては違う。怨霊は自身が生前知り得た知識しか持ち合わせていない。つまり――
「――『犯人しか知らない情報』についての質問は、優先度が低い。お姉ちゃんに聞いても、たぶんまた答えられない。それを踏まえて、次にするべき質問は……」
無秩序に質問を並び立てても、恐らくは情報を纏めきれず時間切れ。かといって質問を絞りすぎても、きっとどこかで推理が躓く。
知性を司る電気信号が、脳細胞を駆け巡る。普通の人間ならパニックを起こしてもおかしくないこの状況で、天津桜の頭脳は考え得る最適解を求め加速し続ける。
「……お姉ちゃんが死んだとき、体に外傷はあった?」
「――――(首を横に振る)」
質問9
あなたが死んだとき、体に外傷はありましたか?――いいえ
つまり、霞の死因は刺殺、殴殺、絞殺などではない。
さらに答えが「返答なし」ではなかったので、なにも分からないまま一瞬で死んでしまった可能性も除外。
「お姉ちゃんが死んだとき、すぐ近くに佐久間はいた?」
「――――(首を横に振る)」
質問10
あなたが死んだとき、周囲に佐久間はいましたか?――いいえ
九つ目の答えと合わせて、佐久間が直接的な方法で霞を殺害した可能性は低い。またこの質問に答えられるのなら、やはり霞には死の直前まで意識があったのだ。
「お姉ちゃんは、体の自由を奪われていた?」
「――――――――――(首を横に振る)」
「お姉ちゃんは、どこかに監禁されていた?」
「――――(こくり)」
「お姉ちゃんの監禁されていた部屋に、窓はあった?」
「――――(首を横に振る)」
「……お姉ちゃんは監禁されている間……なにかを飲食できた?」
「――う、あ゛……あ、あ゛ああああああっ……!!!(激しく首を横に振る)」
「っ、お、お姉ちゃん落ち着いて……! 大丈夫、大丈夫だからっ……!」
質問11
あなたは、体の自由を奪われていましたか?――いいえ
質問12
あなたは、どこかに監禁されていましたか?――はい
質問13
あなたの監禁されていた部屋に、窓はありましたか?――いいえ
質問14
あなたは監禁中、なにかを飲食できましたか?――いいえ
乱れた黒髪が冷え込んだ部屋の空気を切り裂き、汗ばんだ
そして。そうして必死に語りかけながらも、頭の冷静な部分で確信と共に呟く。「ビンゴ」と。
毒殺ではないだろうと、すでに予想はついていた。いくら死体の腐敗が進んでいたとはいえ、毒殺ならば体内から毒素が検出され、その事実が報道されていたはず。
外傷がないなら焼死でもない。拘束されたり、無理矢理頭を押さえつけられての水死でもない。スタンガンなどを用いた感電死でもない。部屋に監禁されていたなら落下死でもない。
となると、霞の死因として可能性が高いのは――監禁された状態で、まったく飲食物を与えられなかったことによる脱水症状、ショック死。
餓死の可能性もあるが季節は真夏。極度の脱水によって死亡したと考える方が自然だろう。
「お姉ちゃんは、佐久間の家に監禁されていた。体を拘束されてはいなかったけど、どこか窓のない部屋に一人で閉じ込められていた」
「――――(こくり)」
質問15
――はい
「お姉ちゃんの監禁されていた日数は、それほど長くなかった。少なくとも、餓死するほどの長期間ではない」
「――――(こくり)」
質問16
――はい
「でも季節は真夏。当然、佐久間が冷房なんて入れてくれているわけがない。それどころか暖房すら入っていたかもしれない。そんな地獄のように暑い締め切った部屋の中で、お姉ちゃんは一滴の水も飲めないまま放置された。脱水症状で、そのままショック死してしまうまで……!」
「――――(こくり)」
質問17
――はい
佐久間が行ったあまりの非道に、桜は絶句する。
脱水の症状は、軽度ではめまいやゆらつき、中等度では頭痛や吐き気。重度では意識障害や痙攣、 臓器不全などが起こりショック状態となる。
どれだけ暑かっただろうか。どれだけ苦しかっただろうか。想像しただけで吐き気がし涙が止まらない。きっと霞はこの何百倍も苦しみながら、絶望の中で死んでいったのだ。
「私、許せないっ……! なんにも悪いことしてないお姉ちゃんが、どうしてそんな辛い目に合わなきゃいけないのっ……!?」
「――――」
「お姉ちゃん、佐久間を殺そう……! 今のお姉ちゃんには、それができるんでしょうっ……!?」
椿は言っていた。「質問によって生前味わった苦痛を思い出すほど、怨霊は力を増す」「すべての謎が明らかになれば、怨霊は犯人に復讐することができる」と。
真夏の締め切った部屋に監禁され、一滴の水分も与えらえず、脱水症状により死亡。すべての謎、霞が味わった苦痛は、これで明らかになったはず。
なら今の霞には人ひとりを――佐久間を呪い殺せるほどの力が、すでにあるはずだ。なら。
「お姉ちゃんは優しいから、迷ってるのかもしれないけどっ! こんな……こんな最悪の男に、生きてる価値なんてないっ! だからっ!」
「――――」
椿の中の霞から返答はない。ただ畳にぺたんと座り込んだまま、力なく俯いているだけだ。
そんな霞を見て、桜は悲痛に顔を歪める
――きっと、霞お姉ちゃんは迷っているんだ。
お姉ちゃんはとっても優しくて、仕返しなんて考えもしない人だったから。
だから自分に酷い仕打ちをした佐久間への、正当な復讐すら躊躇って――
「――ちがう」
「……え?」
呟きは、凍てつくような声だった。
ゾクリと、背筋に冷気が奔る。
「――ちがう。ちがう。ちがう」
違う、とは。いったいなにが『違う』のだろうか。
十五から十七番目の質問で、「霞が部屋に監禁され、脱水症状によるショック死で死亡した」のはもう確定している。
そのはずなのに、霞は強い語気で否定の言葉を繰り返し続ける。
まるで壊れたラジオのように、何度も何度も。
「――ちがう。ちがう。ちがう。ちがう、ちがう、ちがう、ちがうちがうちがう」
「ち、違うって……いったい、なにが……!?」
「ちがう。私が味わった地獄は、そんな生易しいものじゃない」
桜の頭脳を、鈍器で殴られたような衝撃が襲う。
真夏の締め切った部屋に閉じ込められ、死ぬまで放置される。干からび、あるいは腐りながら死んでいく。
それは小学生の桜が考え得る限り、最低最悪な殺害方法だった。これ以上ないほどに、無残で残酷な死に方だった。
なのに――これよりもっと深い地獄が、あるというのか。
天津桜の大切な人は、地獄すらも『生易しい』と断言できてしまうほどの『本当の地獄』を、味わったというのか。
「ころす。ころす。ころす。ころす、ころす、ころす。ぜったいにゆるさない。ぜったいにころす」
「ひっ……!」
「でも、思い出せない。炎よりも辛い地獄を、私は味わったはずなのに。……あ、あ、あ゛あああああああああああああっ……!!!」
薄暗い座敷に響くのは最早怨嗟の言葉ではなく、拷問を受けているかの如き悲痛なぜ絶叫。頭を抱え血走った目で自分を見つめる
たとえ怨霊になったとしても、お姉ちゃんはお姉ちゃん。怖がる必要なんてない。
そんな甘く幼い考えが、容赦なく崩れ去っていく。
天津桜は、一体なにを間違えたのか。
大筋の推理に間違いはないはずだ。犯人は佐久間一人で、霞は部屋に監禁されていて、死因は脱水によるショック死。これは確定していい情報のはず。
なら、いったいなにを――
「あ、あああああああついあついあついっ!!! だれか……だれか、ここから出してっ! ア、アアっ、あ゛あ゛あああああッ!!!!!」
「お、おねえ、ちゃん…………!」
降霊開始から三十分。タイムリミットはあと半分。
事件を覆う謎も、怨霊の怨みも、未だ晴れず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます