2 復讐屋と小学生

 復讐屋と、そう呼ばれる職業が存在する。

 仕事内容は読んで字の如く、依頼人から指定された人物をターゲットとして、なんらかの形で復讐を代行すること。

 

 その中でも、直接的な復讐を行わない――呪いを始めとするオカルトによって天罰を下すと謳う復讐屋は、昨今広大なネット世界に溢れかえっている。

 それもそのはず。なにせ直接的な行動に出ない限り、オカルトによる復讐は罪に問われない。本当に対象が事故に遭うなり病気を患うなりしたとしても、それが呪いの効果だと証明するのはまず不可能だ。呪いの真偽に関係なく、復讐屋は対象に不幸が降りかかるのを待つだけで報酬を得ることができる。

 なるほど確かに、倫理観と道徳観と正義感の欠如にさえ目を瞑れば、これほど楽な商売は他にないだろう。


「馬鹿だなあ、私。それが分かってて、こんなところに来ちゃうなんて」


 目前にそびえ立つ古びた門を見つめる、夏服姿の小学生。天津桜あまつかさくらは復讐屋という存在への所感を思い起こしながら、吐き出すように自嘲を零した。

 武家屋敷、というやつだろうか。長い石畳の細道を抜けた先、竹林の奥深くに現れた木製の扉と薄汚れた白塀は、その不気味さをもって招かれざる来客を拒んでいるかのようだ。

 もちろん、周囲からよく「子供らしくない」と言われるほど大人びた思考を持つ桜には、塀を登って向こう側の様子を窺う気も、ましてや不法侵入する気もさらさらない。従って、殊更に気後れする必要などないのだが――


「――ここまで来て、今更帰れないよね。呼び鈴、呼び鈴は……」


 少し体を動かす度に、むあっとした不快な空気が肌を撫でる。もう十月に入ったというのに、季節外れの暑さは桜をまだまだ苦しめるつもりらしい。ここに来た後ろ暗い理由も相まって、日光慣れしていないインドア派の白頬を、熱気と焦りの証明が滴り落ちる。


『街外れの竹林の奥。そこにある古びた屋敷には、呪いで怨みを晴らす復讐屋が住んでいるんだって』


 私立海ヶ原うみがはら小学校の生徒である桜が、仲の良いクラスメイトからそんな話を聞かされたのはつい三日前。卒業したとある先輩が出所らしいその噂は、「これは知り合いから聞いた話なんだけど」という、よくある怪談みたいなものだった。


『週末に、部活の友達とその竹林で肝試しすることになってね? じゃんけんで負けた私が下調べに行かなくちゃなんだけど……』


 一緒に来て欲しい。できることなら、自分の代わりに様子を見に行って欲しい。

 周囲にオカルト好きだと打ち明けていた桜は、そんな友達からの頼み事を二つ返事で了承した。

 

 もっとも、桜は親切心や好奇心だけでその頼み事を聞き入れたわけではなかった。

 私立海ヶ原小学校所属、天津桜。小説全般が好きで、中でも推理もの、オカルトものに目がない、くるっとしたくせっ毛が特徴的な小学六年生。

 そんなちょっと変わった、それでいてどこにでもいる普通の子供には――復讐屋に頼みたい依頼があったのだ。


 信憑性皆無な噂話に縋ってでも晴らしたい。

 正道に沿っていては到底実現不可能な。

 呪いというオカルトのみが成就可能な。


 普通の子供にはまったく似つかわしくない、怨恨と怒りに満ちた依頼が。


「……見つからない。というか、こういう古い家に呼び鈴ってあるんだっけ」


 額の汗を拭いながら、今更な疑問を口にする桜。呼び鈴は内側の玄関にあって、門に鍵は掛かっていないのかも。そんな考えに思い至るが、目前の不気味な扉を押し開けようと試みるのは、なんとなく躊躇われた。

 為す術なく呆然と佇む桜の脳裏を、「恨みを晴らせないかも」という失望が過る。学校指定の白い夏服に汗が滲んで、焦りとベタつく不快感だけが募っていく。

 もしかすれば、この十月にしては些か以上に強い日差しは、「もう諦めて引き返せ」という神様からの忠告なのだろうか――?




「あの、どちら様でしょうか」



 

 ――ビクリと。

 桜が驚きに肩を震わせたのは、そんな考えが浮かんだ矢先のことだった。


「え……こ、ここの家の人……ですか?」

「ええ。私は古明地椿こめいじつばき。貴女は?」

「わ、わた、私は、桜っ。天津桜、ですっ……!」


 背後から急に声を掛けられた。驚きの理由はそれだけではない。

 振り返った先に佇む少女が、あまりに美しすぎて、可憐すぎて、浮世離れしていて。桜はしどろもどろになりながらも、なんとか自らの名前を告げた。


「桜ちゃん、ね。それでどうしたのかしら。こんな場所で迷子、というわけでもないでしょうし」


 まず目についたのは、その長く美しい長髪と端麗な容姿。

 小説でよく見かける「艶やかな黒髪」という表現は、きっとこういうものを言うに違いない。日の光に煌めく腰まで伸びたロングヘアーは、椿の高校生らしからぬ大人びた美貌と相まって、精巧に作られた日本人形を彷彿とさせる。

 なぜ椿が高校生だと分かったかといえば、答えは簡単。彼女が身に纏った古き良きデザインのセーラーが、この地域ではそこそこ有名なお嬢様校、黒百合くろゆり学園高等学校の指定学生服だったからだ。


「え、えっと、私はその……き、肝試しの、下調べを頼まれて……」

「ああ、なるほど。まあ確かに、普通の人から見ればここは不気味だものね。住んでいる私が言うのもなんだけれど」

「ご、ごご、ごめんなさい! 私、そういうつもりじゃ……!」

「いいのよ、別に怒っているわけじゃないから。必要以上に騒いだりしないのなら、私から特に言うことはないわ」


 ではご機嫌よう。肝試し、上手くいくといいわね。

 ぺこりと、お嬢様然とした会釈の後に言い残して、椿は桜の横を通り過ぎた。

 その背中に、思わず視線が引き寄せられる。


 今、この瞬間。

 この浮世離れした少女を、引き留めるか否か。

 それが、天津桜にとっての分水嶺だ。


「つ、椿さん! ちょっと待ってください!」

「……なにかしら。肝試しの下調べ以外に、なにか用事でも?」


 漠然とした予感に後押しされた桜は、ほとんど反射的に少女の名を叫んでいた。

 扉に片手を添えながら顔だけで振り向いた椿の、鋭い視線が突き刺さる。


「わ、私……本当は依頼をしに来たんです。ここに呪いで怨みを晴らす復讐屋が住んでるって聞いて」

「……その噂は、どこから?」

「えっと、それは、学校の友達の――」


 仲の良いクラスメイトから噂を聞いたこと。

 肝試しの下調べを引き受けたのは口実で、自分には復讐屋にどうしても依頼したい案件があること。

 依頼料の相場が分からなかったので、とりあえず三万円。なけなしのお年玉貯金を全額崩してきたこと。もし足りないようなら、これから何年かかってでも必ず払う覚悟があること。


「し、失礼なことを聞いてるのは分かってます。でも、もし噂が本当なら……私をその人に、会わせてもらえませんか?」


 本当に復讐屋が住んでいるのか。もし住んでいたとして、椿とその人物はどういう関係なのか。すべてが判然としないままに、桜は自らの事情を打ち明けていく。おかしな子だと思われるかもしれない、などと不安を感じている余裕はなかった。


「それで、依頼したいことっていうのは?」


 否定せず話しの続きを促す思わせぶりな態度に、心臓がドクドクと鼓動を刻む。

 まさか本当に。そんな期待と不安が同時に膨れ上がり、内に押し留めていた暗い感情が桜の意識を浸食していく。


「……私、どうしても許せない人がいるんです。その人が、なんの反省もなく笑っていることが、許せない。軽い罰しか与えられないことが、許せない。……生きてることが、許せない」


 呪いによって怨みを晴らす復讐屋。

 信憑性皆無な、よくある怪談話。

 倫理観も道徳観も正義感も無視した、詐欺紛いの仕事。


 そんなことはどうでもいい。

 死んだ『お姉ちゃん』の怨みを、万が一にでも晴らせる可能性があるのなら。邪道だろうが、悪だろうが、オカルトだろうが、なんだって構わない。

 なんにだって縋りついて、私は必ず……!


「私は、かすみお姉ちゃんを殺した人が許せない。お姉ちゃんは死んだのに、犯人はのうのうと生きていけるなんて……絶対に、絶対に許せない」


 胸中に渦巻く、ヘドロのようにどす黒い復讐心。

 それに、突き落とされるように。あるいは、引きずり込まれるように。

 天津桜は古明地椿に、自らの依頼うらみを告げた。

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