3 黒に染まる桜
桜の八歳上の
山道沿いの地中に埋められていた死体は腐敗が激しく、一部は白骨化。もし犯人が自ら警察に出頭しなければ、身元の判明は困難を極めていただろう。
『
佐久間洋二。二十歳。霞と同じ大学に通う美大生。
共通の知人の証言によれば、霞は佐久間から多少の報酬と引き換えに『頼み事』を持ち掛けられ、それを承諾したらしい。
頼み事のために佐久間の自宅を一人で訪れた霞は殺害され、その後山道沿いの地中に埋められた。
頼み事の内容と殺害方法は未だ不明。現在佐久間は精神鑑定の最中であるが、その結果次第では罪が軽くなる可能性あり。少なくとも死刑は免れるだろう。
これが、天津桜が知る事件の全て。
復讐屋という存在に縋ってでも晴らしたい、
*
「……なるほど。自分の慕っていた従姉妹が殺されたのに、その犯人がのうのうと生きていることが許せない、と」
「は、はい。でもまさか、椿さんが復讐屋本人だったなんて」
「あら? もしかして、もっと厳ついお坊さんみたいな人を想像していたのかしら?」
「っ……それは、その……」
図星を突かれ、思わず言い淀む。意を決して依頼内容を告げてから数十分後。桜は案内された座敷にて、呪いによって怨みを晴らす復讐屋、古明地椿と対座していた。
もしかしたら、と思っていたのは事実だ。しかしそれでも尚、座敷の中央に正座で佇みながら、おもむろに自らの正体を明かした椿に、桜が感じた驚きは相当なものだった。
まあもっとも、桜が『女子高生の復讐屋』というものに抱いた驚き――言葉を選ばず言えば懐疑心は、今更引き返す気などなかった桜にとって、至極どうでもいいことではあったが。
「ふふ。まあ確かに、そういう見た目の方が信憑性は出るかもね。今からでも、制服から和服に着替えてこようかしら?」
「い、いえ、椿さんを疑ってるわけじゃないんです。だって……」
「……だって?」
「……なんでもありません。話を進めましょう」
今更疑ったところでどうにもならない。あのとき椿を引き留めた時点で、もう自分は引き返さないと決めたのだから。
そんな言葉を飲み込んで、桜は話の続きを促す。同時に、こちらの心を見透かすような澄んだ瞳で自分を見つめる椿を、真っ直ぐに見つめ返す。
椿の纏う浮世離れした雰囲気は、この座敷――蝋燭の淡い炎だけで灯された薄暗い部屋の中に入ってから、一段と増したように思えた。
未だ制服姿の椿が武家屋敷という空間に溶け込んでいるのは、精巧な日本人形を彷彿とさせる美貌が成せる技なのか。それとも本当に、目に見えない『なにか』を纏っているのか。
「なら、さっそく『儀式』を始めましょうか……と言いたいところだけれど。その前にまずは『儀式』について、少し説明をしないといけないわね」
「は、はい。お願いします!」
いよいよ始まるのか。正座の上に置いた拳を握りしめ、桜は覚悟を決める。
椿が何度か口にした、『儀式』と言う言葉。その内容とは――
「じゃあ、まずは基本的なことから。咲良ちゃんは『怨霊』って言葉を聞くと、まずどんな存在を思い浮かべるかしら?」
「怨霊、ですか? えっと、それは――」
怨霊。憎しみや怨みをもったまま、非業の死を遂げた人の霊。桜の好きなオカルトもの小説にもよく登場する存在。
日本での有名どころで言えば、「三大怨霊」とも呼ばれる菅原道真、平将門、崇徳天皇。または四谷怪談のお岩さん、「一枚足りない」でおなじみのお菊さんあたりだろうか。
逸話によってその扱いは当然異なるが、大方において共通しているのは――
「――この世に、なにかしらの怨みを残して死んでしまった人の霊。自分の怨みを晴らすために、生きている人達に危害を加えようとする」
「俗に言うポルターガイストやラップ音で恐怖を与えたり、人に乗り移って凶行に及んだり。天変地異や災いを巻き起こしたり、或いは対象を直接呪い殺したり?」
「は、はい。私の中の『怨霊』のイメージは、大体そんな感じです。まあ全部小説で読んだだけで、実際に会ったことはありませんけど」
実際のところ『怨霊』という言葉には、生きたまま他者に害を為す『生霊』という存在も含まれる。が、怨霊という言葉を聞いたときに大方の人間が思い浮かべるのは、「この世に怨みを残したまま死んだ人の霊」だろう。
そしてそのイメージは偏に、「創作物の中でそういう風に描かれていたから」に他ならない。かく言う桜も、物語の中で恐ろしい怨霊に恐怖したことは数あれど、実際にその姿を見たり被害を被った経験は皆無だった。
「ええ。この質問をすると、大抵の人は同じように答えるわ。でも実際のところ……死んで魂だけの存在となった彼らに、そんな大それた力はないの」
「……そうなんですか?」
「ええ。天変地異や呪殺どころか、小さな物音ひとつ上げる力すらない。彼らにできるのは――ただひたすらに、なにかを怨むことだけ」
――なにかを怨むことだけ。
そう告げた椿の表情に、自然と意識が吸い寄せられる。
その端麗な顔に浮かぶのは、深い悲しみと憐れみの感情。どこか作り物染みた椿が初めて見せた人の顔に、桜は息を呑んだ。
「憎い人間を呪うことも、悪さをして鬱憤を晴らすこともできない。それどころか自分が誰なのかも、なぜ怨霊になってしまったのかすら分からない。なにもできず曖昧なまま、ただ『憎い』という誰にも聞こえない怨嗟の声を撒き散らして。どうすれば成仏できるのかさえ分からず、永遠にこの世を彷徨い続ける」
「永遠にって……そ、そんな……!」
「それが、怨霊という存在。そして、きっと貴女の従姉妹……霞さんも、そうしてこの世で苦しみ続けている」
なにもかも分からないまま、ただなにかを怨み続ける。それは一体、どれほどの苦しみなのだろうか。
霞という人間を一言で表すなら、彼女は底抜けの「お人好し」だった。頼まれ毎を断れず、それでいて他人の悪意にはとことん疎い。「不用心」と、そう彼女を貶す人間だって恐らくはいただろう。
だがそんな霞だからこそ、桜は本当の姉のように慕っていたのだ。
この親切には、なにか裏があるのではないか。
人間というのは、なにか利益がない限り善行をしない。
そんな、他人の善意を素直に信じることができない、小学生らしからぬ悪癖を持っていた桜にとって、霞のような人間は一種の救いだった。
世の中は自分のような人間ばかりじゃない。霞お姉ちゃんのような素直で素敵な大人に、私もなりたい。そういう風に思える自分が、少しだけ誇らしかった。
「……教えてください、椿さん。どうすればお姉ちゃんの怨みを、晴らすことができますか。犯人に復讐することができますか」
だからこそ天津桜は、霞を殺した佐久間のことが許せない。
霞のような善人が、佐久間のような悪人に理不尽に殺されたのが許せない。霞は死んでしまったのに、佐久間はまだのうのうと生きている事実が、許せない。
――犯行時、心神喪失状態だった可能性?
男の部屋に、不用心に飛び込む方にも責任がある?
重くても無期懲役? 恐らく、死刑は免れるだろう?
そもそも、死刑は廃止すべき? 時代遅れの野蛮な制度?
知らない、知らない、知らない。
そんなことは、もうどうでもいい。そんな小難しい理屈も、哲学も、常識も、すべてなにもかもどうでもいい。
だって、椿さんの言うことが正しいのなら……お姉ちゃんは今も、苦しみ続けているのだから。死んでもなお地獄の責め苦を味わいながら、今も怨みを叫び続けているのだから。
だから、私は――
「――怨霊の恨みを晴らし、無事成仏させる方法はひとつだけ。今から私の中に、霞さんの霊を降ろします」
「そ、そんなことができるんですか!?」
ドス黒い怨嗟に呑まれ掛けた桜が、椿の言葉に目を見開く。
霊を降ろす。普段であればそんな話は信じなかっただろうが、今回だけは別だ。万が一、いや億が一の可能性でも、今の桜にとっては十分なのだから。
「ええ。そして、ここからが重要。私の中に降りた霞さんの霊に、桜ちゃんにはいくつかの『質問』をしてもらいます」
「……質問、ですか?」
「そう、質問。それも難しいものではなく、『はい』か『いいえ』で答えられる簡単なものを」
意図が読めず困惑する桜に対し、椿は機械的に説明を続けていく。
恐らくはもう何度も何度も繰り返してきたのであろう、自らの『復讐方法』についての説明を。
「わかりやすい例を出しましょうか。例えば今私の中に、『ナイフで殺された男の霊』を降ろしたとしましょう。想像できる?」
「ナイフで……は、はい。大丈夫です」
「さっき話したとおり、怨霊はなにも分からない。自分がどうやって殺されたのかも、自分の性別すらも忘れてしまっている。でも現世にいる者が強い気持ちで語りかけたときのみ、怨霊にはこの世との繋がりができるの。そしてこの儀式の間だけ、怨霊は質問された内容を思い出すことができる」
「えっと、つまり……『質問』によってのみ、私たちは死者と意思疎通できる?」
「そう。この場合『貴方は男性ですか』と質問すれば、怨霊は一時的に自分が男性であることを思いだし、『はい』と答えてくれるでしょう。『貴方は首を絞められて殺されましたか』と質問すれば、怨霊は『いいえ』と答えるでしょう。そうして自らの恨みを――自分が受けた仕打ちをひとつ思い出す毎に、怨霊は力を得ていく。最終的には、人ひとりを呪い殺すことなんてわけないほどの力を」
「じゃ、じゃあ……!」
「ええ。もし桜ちゃんが質問によって、『霞さんがどんな怨みを持って死んでいったのか』を明らかにできれば、霞さんの怨霊は犯人に復讐できるだけの力を持つことができる。質問は簡単なものでなければ怨霊が答えられないし、復讐がどんな形で行われるかは分からないけれど……少なくとも、怨みを晴らして成仏することはできるでしょう」
椿の説明を、桜は頭の中で整理する。
整理して、かみ砕いて。やっと見つけた「死者の怨みを晴らす方法」を、自分の中で興奮と共に纏めていく。
1、これから椿は霞の怨霊を体に降ろし、桜はその霊に「『はい』か『いいえ』で答えられる質問」を繰り返していく。
2、質問によって事件の謎が暴かれ、自らが受けた仕打ちを思い出していく毎に、霞の怨霊は復讐のための力を得ていく。
3、霞の抱え込んだ『怨み』を桜がすべて明らかにすることができれば、霞は犯人に復讐を果たし成仏することができる。ただし、復讐がどんなものになるかは霞次第。
「か、簡単な質問であること以外に、質問に制限はありますか?」
「基本的にはないけれど、あまり長い時間留めておくことはできないわ。長くても一時間程度が限界だと思って頂戴。それに、同じ怨霊を二度降ろすことはできない。だからチャンスは一度だけ。あとは――」
4、質問に回数制限はない。ただし時間制限はある。同じ怨霊は二度降ろせない。
5、質問の内容によっては、霊が激しく取り乱す場合がある。しかしそれは『怨み』を明らかにしていく上で、大きなヒントにもなり得る。
椿に質問を繰り返しルールを纏めながら、桜はこの降霊と質問による復讐方法が、自分の好きなとあるゲームに酷似していることに気づいた。
そのゲームの名前は、『水平思考推理ゲーム』。
出題者は謎が散りばめられた『物語』と、その真相である『答え』を用意する。
一人から複数人の質問者は、出題者によって語られた物語の謎を解き明かすべく、『YES、NOで答えられる質問』を繰り返す。
出題者は途中で用意した答えを変更したり、質問に対し嘘をついてはならない。質問者が答えを導き出すことができればゲーム終了。
という、ルールさえ把握すれば誰でも参加可能な遊び。シチュエーションパズルとも呼ばれる一種のアナログゲームだ。
『ねえねえ、桜ちゃん。桜ちゃんって、ホラーとか推理ものの小説が好きだったよね? ならお姉ちゃん、ひとつ面白いゲームを知ってるんだけど――』
年に一度、親戚が一同に集まる忘年会の場にて。同い年の子供達に馴染めず孤立していた桜にこのゲームを教えてくれたのは、他ならぬ霞だった。
もっとも、霞が自信満々で出題した問題を瞬殺して以降、問題を考えるのはもっぱら桜の担当で、霞は毎回その難問に頭を悩ませる側だったのだが――それでも桜にとって、その時間はなによりも楽しく大切なものだった。
小学生の作った問題に、真剣に向き合ってくれる霞が好きだった。
問題を解けなかったときの、霞の悔しがる表情が好きだった。問題を解いたときの、霞の自慢げな表情が好きだった。
大人にとっては気にくわないだろう桜の性格を、真っ直ぐに肯定してくれる霞が好きだった。桜の悩みを自分のことのように考えてくれる霞が、大好きだった。
「さて、と。これで一通りの説明は終わったわけだけれど。準備はいいかしら桜ちゃん。一度初めてしまったらもう途中では――」
「――大丈夫です、椿さん。どっちみち、引き返すつもりはありませんでしたから」
そんな、思い出のゲームに酷似した方法で復讐する。呪いという、どう言いつくろっても悪でしかない行為に及ぶ。
それを皮肉に感じつつも、すでに桜の目に迷いはない。あるのは「絶対に霞の無念を晴らす」という、黒くも強い決意の光だけだ。
「そう。なら始めさせて貰うけれど……覚悟しておいてね、桜ちゃん。人間の悪意というものは、きっと貴女が思っている以上に醜悪なものだから」
「……? 椿さん、いまなにか……?」
「……なんでもないわ。じゃあこっちに来て、私の手を握って――」
しかし、このときの桜はまだ知らなかった。
小声で囁かれた椿の言葉が、紛うことなき真実だということを。
天津霞が犯人から受けた仕打ちが――復讐の黒に染まった桜ですら及びもつかない、最悪で醜悪なものであったことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます