3 黒に染まる桜

 桜の八歳上の従姉妹いとこ天津霞あまつかかすみが死体で発見されたのは一ヶ月半前。記録的な猛暑が続く中での訃報だった。

 山道沿いの地中に埋められていた死体は腐敗が激しく、一部は白骨化。もし犯人が自ら警察に出頭しなければ、身元の判明は困難を極めていただろう。


佐久間洋二さくまようじ容疑者の供述から、遺体は数週間前から行方不明となっていた女子大学生、天津霞さんのものであると判明。佐久間容疑者は霞さんの殺害については認めているものの、その殺害方法については依然黙秘を貫いており――』


 佐久間洋二。二十歳。霞と同じ大学に通う美大生。

 共通の知人の証言によれば、霞は佐久間から多少の報酬と引き換えに『頼み事』を持ち掛けられ、それを承諾したらしい。


 頼み事のために佐久間の自宅を一人で訪れた霞は殺害され、その後山道沿いの地中に埋められた。

 頼み事の内容と殺害方法は未だ不明。現在佐久間は精神鑑定の最中であるが、その結果次第では罪が軽くなる可能性あり。少なくとも死刑は免れるだろう。


 これが、天津桜が知る事件の全て。

 復讐屋という存在に縋ってでも晴らしたい、依頼うらみの内容である。


           *


「……なるほど。自分の慕っていた従姉妹が殺されたのに、その犯人がのうのうと生きていることが許せない、と」

「は、はい。でもまさか、椿さんが復讐屋本人だったなんて」

「あら? もしかして、もっと厳ついお坊さんみたいな人を想像していたのかしら?」

「っ……それは、その……」


 図星を突かれ、思わず言い淀む。意を決して依頼内容を告げてから数十分後。桜は案内された座敷にて、呪いによって怨みを晴らす復讐屋、古明地椿と対座していた。

 もしかしたら、と思っていたのは事実だ。しかしそれでも尚、座敷の中央に正座で佇みながら、おもむろに自らの正体を明かした椿に、桜が感じた驚きは相当なものだった。

 まあもっとも、桜が『女子高生の復讐屋』というものに抱いた驚き――言葉を選ばず言えば懐疑心は、今更引き返す気などなかった桜にとって、至極どうでもいいことではあったが。


「ふふ。まあ確かに、そういう見た目の方が信憑性は出るかもね。今からでも、制服から和服に着替えてこようかしら?」

「い、いえ、椿さんを疑ってるわけじゃないんです。だって……」

「……だって?」

「……なんでもありません。話を進めましょう」


 今更疑ったところでどうにもならない。あのとき椿を引き留めた時点で、もう自分は引き返さないと決めたのだから。

 そんな言葉を飲み込んで、桜は話の続きを促す。同時に、こちらの心を見透かすような澄んだ瞳で自分を見つめる椿を、真っ直ぐに見つめ返す。

 

 椿の纏う浮世離れした雰囲気は、この座敷――蝋燭の淡い炎だけで灯された薄暗い部屋の中に入ってから、一段と増したように思えた。

 未だ制服姿の椿が武家屋敷という空間に溶け込んでいるのは、精巧な日本人形を彷彿とさせる美貌が成せる技なのか。それとも本当に、目に見えない『なにか』を纏っているのか。


「なら、さっそく『儀式』を始めましょうか……と言いたいところだけれど。その前にまずは『儀式』について、少し説明をしないといけないわね」

「は、はい。お願いします!」


 いよいよ始まるのか。正座の上に置いた拳を握りしめ、桜は覚悟を決める。

 椿が何度か口にした、『儀式』と言う言葉。その内容とは――


「じゃあ、まずは基本的なことから。咲良ちゃんは『怨霊』って言葉を聞くと、まずどんな存在を思い浮かべるかしら?」

「怨霊、ですか? えっと、それは――」


 怨霊。憎しみや怨みをもったまま、非業の死を遂げた人の霊。桜の好きなオカルトもの小説にもよく登場する存在。

 日本での有名どころで言えば、「三大怨霊」とも呼ばれる菅原道真、平将門、崇徳天皇。または四谷怪談のお岩さん、「一枚足りない」でおなじみのお菊さんあたりだろうか。

 逸話によってその扱いは当然異なるが、大方において共通しているのは――


「――この世に、なにかしらの怨みを残して死んでしまった人の霊。自分の怨みを晴らすために、生きている人達に危害を加えようとする」

「俗に言うポルターガイストやラップ音で恐怖を与えたり、人に乗り移って凶行に及んだり。天変地異や災いを巻き起こしたり、或いは対象を直接呪い殺したり?」

「は、はい。私の中の『怨霊』のイメージは、大体そんな感じです。まあ全部小説で読んだだけで、実際に会ったことはありませんけど」


 実際のところ『怨霊』という言葉には、生きたまま他者に害を為す『生霊』という存在も含まれる。が、怨霊という言葉を聞いたときに大方の人間が思い浮かべるのは、「この世に怨みを残したまま死んだ人の霊」だろう。

 そしてそのイメージは偏に、「創作物の中でそういう風に描かれていたから」に他ならない。かく言う桜も、物語の中で恐ろしい怨霊に恐怖したことは数あれど、実際にその姿を見たり被害を被った経験は皆無だった。


「ええ。この質問をすると、大抵の人は同じように答えるわ。でも実際のところ……死んで魂だけの存在となった彼らに、そんな大それた力はないの」

「……そうなんですか?」

「ええ。天変地異や呪殺どころか、小さな物音ひとつ上げる力すらない。彼らにできるのは――ただひたすらに、なにかを怨むことだけ」


 ――なにかを怨むことだけ。

 そう告げた椿の表情に、自然と意識が吸い寄せられる。

 その端麗な顔に浮かぶのは、深い悲しみと憐れみの感情。どこか作り物染みた椿が初めて見せた人の顔に、桜は息を呑んだ。


「憎い人間を呪うことも、悪さをして鬱憤を晴らすこともできない。それどころか自分が誰なのかも、なぜ怨霊になってしまったのかすら分からない。なにもできず曖昧なまま、ただ『憎い』という誰にも聞こえない怨嗟の声を撒き散らして。どうすれば成仏できるのかさえ分からず、永遠にこの世を彷徨い続ける」


「永遠にって……そ、そんな……!」 

「それが、怨霊という存在。そして、きっと貴女の従姉妹……霞さんも、そうしてこの世で苦しみ続けている」


 なにもかも分からないまま、ただなにかを怨み続ける。それは一体、どれほどの苦しみなのだろうか。

 霞という人間を一言で表すなら、彼女は底抜けの「お人好し」だった。頼まれ毎を断れず、それでいて他人の悪意にはとことん疎い。「不用心」と、そう彼女を貶す人間だって恐らくはいただろう。

 だがそんな霞だからこそ、桜は本当の姉のように慕っていたのだ。


 この親切には、なにか裏があるのではないか。

 人間というのは、なにか利益がない限り善行をしない。


 そんな、他人の善意を素直に信じることができない、小学生らしからぬ悪癖を持っていた桜にとって、霞のような人間は一種の救いだった。

 世の中は自分のような人間ばかりじゃない。霞お姉ちゃんのような素直で素敵な大人に、私もなりたい。そういう風に思える自分が、少しだけ誇らしかった。


「……教えてください、椿さん。どうすればお姉ちゃんの怨みを、晴らすことができますか。犯人に復讐することができますか」


 だからこそ天津桜は、霞を殺した佐久間のことが許せない。

 霞のような善人が、佐久間のような悪人に理不尽に殺されたのが許せない。霞は死んでしまったのに、佐久間はまだのうのうと生きている事実が、許せない。


 ――犯行時、心神喪失状態だった可能性?

 男の部屋に、不用心に飛び込む方にも責任がある?

 重くても無期懲役? 恐らく、死刑は免れるだろう?

 そもそも、死刑は廃止すべき? 時代遅れの野蛮な制度?


 知らない、知らない、知らない。

 そんなことは、もうどうでもいい。そんな小難しい理屈も、哲学も、常識も、すべてなにもかもどうでもいい。

 だって、椿さんの言うことが正しいのなら……お姉ちゃんは今も、苦しみ続けているのだから。死んでもなお地獄の責め苦を味わいながら、今も怨みを叫び続けているのだから。

 だから、私は――


「――怨霊の恨みを晴らし、無事成仏させる方法はひとつだけ。今から私の中に、霞さんの霊を降ろします」

「そ、そんなことができるんですか!?」


 ドス黒い怨嗟に呑まれ掛けた桜が、椿の言葉に目を見開く。

 霊を降ろす。普段であればそんな話は信じなかっただろうが、今回だけは別だ。万が一、いや億が一の可能性でも、今の桜にとっては十分なのだから。


「ええ。そして、ここからが重要。私の中に降りた霞さんの霊に、桜ちゃんにはいくつかの『質問』をしてもらいます」

「……質問、ですか?」

「そう、質問。それも難しいものではなく、『はい』か『いいえ』で答えられる簡単なものを」


 意図が読めず困惑する桜に対し、椿は機械的に説明を続けていく。

 恐らくはもう何度も何度も繰り返してきたのであろう、自らの『復讐方法』についての説明を。


「わかりやすい例を出しましょうか。例えば今私の中に、『ナイフで殺された男の霊』を降ろしたとしましょう。想像できる?」


「ナイフで……は、はい。大丈夫です」


「さっき話したとおり、怨霊はなにも分からない。自分がどうやって殺されたのかも、自分の性別すらも忘れてしまっている。でも現世にいる者が強い気持ちで語りかけたときのみ、怨霊にはこの世との繋がりができるの。そしてこの儀式の間だけ、怨霊は質問された内容を思い出すことができる」


「えっと、つまり……『質問』によってのみ、私たちは死者と意思疎通できる?」 


「そう。この場合『貴方は男性ですか』と質問すれば、怨霊は一時的に自分が男性であることを思いだし、『はい』と答えてくれるでしょう。『貴方は首を絞められて殺されましたか』と質問すれば、怨霊は『いいえ』と答えるでしょう。そうして自らの恨みを――自分が受けた仕打ちをひとつ思い出す毎に、怨霊は力を得ていく。最終的には、人ひとりを呪い殺すことなんてわけないほどの力を」


「じゃ、じゃあ……!」


「ええ。もし桜ちゃんが質問によって、『霞さんがどんな怨みを持って死んでいったのか』を明らかにできれば、霞さんの怨霊は犯人に復讐できるだけの力を持つことができる。質問は簡単なものでなければ怨霊が答えられないし、復讐がどんな形で行われるかは分からないけれど……少なくとも、怨みを晴らして成仏することはできるでしょう」


 椿の説明を、桜は頭の中で整理する。

 整理して、かみ砕いて。やっと見つけた「死者の怨みを晴らす方法」を、自分の中で興奮と共に纏めていく。


1、これから椿は霞の怨霊を体に降ろし、桜はその霊に「『はい』か『いいえ』で答えられる質問」を繰り返していく。


2、質問によって事件の謎が暴かれ、自らが受けた仕打ちを思い出していく毎に、霞の怨霊は復讐のための力を得ていく。


3、霞の抱え込んだ『怨み』を桜がすべて明らかにすることができれば、霞は犯人に復讐を果たし成仏することができる。ただし、復讐がどんなものになるかは霞次第。


「か、簡単な質問であること以外に、質問に制限はありますか?」

「基本的にはないけれど、あまり長い時間留めておくことはできないわ。長くても一時間程度が限界だと思って頂戴。それに、同じ怨霊を二度降ろすことはできない。だからチャンスは一度だけ。あとは――」


4、質問に回数制限はない。ただし時間制限はある。同じ怨霊は二度降ろせない。


5、質問の内容によっては、霊が激しく取り乱す場合がある。しかしそれは『怨み』を明らかにしていく上で、大きなヒントにもなり得る。


 椿に質問を繰り返しルールを纏めながら、桜はこの降霊と質問による復讐方法が、自分の好きなとあるゲームに酷似していることに気づいた。

 

 そのゲームの名前は、『水平思考推理ゲーム』。


 出題者は謎が散りばめられた『物語』と、その真相である『答え』を用意する。

 一人から複数人の質問者は、出題者によって語られた物語の謎を解き明かすべく、『YES、NOで答えられる質問』を繰り返す。

 出題者は途中で用意した答えを変更したり、質問に対し嘘をついてはならない。質問者が答えを導き出すことができればゲーム終了。


 という、ルールさえ把握すれば誰でも参加可能な遊び。シチュエーションパズルとも呼ばれる一種のアナログゲームだ。


『ねえねえ、桜ちゃん。桜ちゃんって、ホラーとか推理ものの小説が好きだったよね? ならお姉ちゃん、ひとつ面白いゲームを知ってるんだけど――』


 年に一度、親戚が一同に集まる忘年会の場にて。同い年の子供達に馴染めず孤立していた桜にこのゲームを教えてくれたのは、他ならぬ霞だった。

 もっとも、霞が自信満々で出題した問題を瞬殺して以降、問題を考えるのはもっぱら桜の担当で、霞は毎回その難問に頭を悩ませる側だったのだが――それでも桜にとって、その時間はなによりも楽しく大切なものだった。


 小学生の作った問題に、真剣に向き合ってくれる霞が好きだった。

 問題を解けなかったときの、霞の悔しがる表情が好きだった。問題を解いたときの、霞の自慢げな表情が好きだった。

 大人にとっては気にくわないだろう桜の性格を、真っ直ぐに肯定してくれる霞が好きだった。桜の悩みを自分のことのように考えてくれる霞が、大好きだった。


「さて、と。これで一通りの説明は終わったわけだけれど。準備はいいかしら桜ちゃん。一度初めてしまったらもう途中では――」

「――大丈夫です、椿さん。どっちみち、引き返すつもりはありませんでしたから」


 そんな、思い出のゲームに酷似した方法で復讐する。呪いという、どう言いつくろっても悪でしかない行為に及ぶ。

 それを皮肉に感じつつも、すでに桜の目に迷いはない。あるのは「絶対に霞の無念を晴らす」という、黒くも強い決意の光だけだ。


「そう。なら始めさせて貰うけれど……覚悟しておいてね、桜ちゃん。人間の悪意というものは、きっと貴女が思っている以上に醜悪なものだから」

「……? 椿さん、いまなにか……?」

「……なんでもないわ。じゃあこっちに来て、私の手を握って――」


 しかし、このときの桜はまだ知らなかった。

 小声で囁かれた椿の言葉が、紛うことなき真実だということを。

 天津霞が犯人から受けた仕打ちが――復讐の黒に染まった桜ですら及びもつかない、最悪で醜悪なものであったことを。

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