見つめるだけでいい④

「やば。行くよ」


 少年たちの返事を待たずに、少女は駆けだした。その後を、痩せた少年がついていく。太めも慌てて立ち上がり、二人のあとを追った。


「ぼっちゃん、どうしました?」


 中年の男性が、走り去る三人の後ろ姿をにらみながら訊ねた。


「別に、どうってことないよ」


「ケガは……ないっすね」


 まだ十代に見える若い男性が、健の身体を心配そうに眺めまわす。


「だから、平気だって。ちょっと話していただけだし。ね?」


 急に同意を求められた真緒は驚き、反射的に頷いた。視線を下に向けたとき、中年の男性が持っている紙袋に「夏目庵」と書いてあるのが見えて、


「あ……それ……」


 と小さくつぶやいた。


「夏目さんちの嬢ちゃんですよね? こんにちは。ぼっちゃんがお宅の水ようかんが大好きで――」


 中年男性の言葉を、健がさえぎった。


「よけいなことを言うなよ」


 甘味が好きだと知られたのが恥ずかしいのか、にきび一つない滑らかな肌に、ほんのり朱が混じっている。


「あの……ありがとうございました」


 健の意外な一面に驚きながら、真緒は助けてもらった礼を言った。すると健は表情を消し、


「なにが?」


 と答えた。


 話をしていただけだと説明したのだから、余計な事は言うな――と、冷ややかな視線が語っている。


「いえ、あの……水ようかんを気に入っていただけて」


 すると若い男性が笑顔になる。


「俺も好きなんすよ! ちょっとお高いから、あまり買えないけど……」


 そう言ったところで、中年男性に肩を殴られた。


「失礼なことを言うな! 良いものはそれなりの値段なんだ!」


「す、すんません!」


 そんな二人のやりとりを呆れたように眺めていた健だったが、どう反応したら良いのか分からず困った表情の真緒に気づき、背を向けた。


「くだらないこと言ってないで、早く帰ろう」


 返事を待たずにすたすた歩き始めた彼の後ろに、大人二人はついていった。


 その後ろ姿を眺める真緒の瞳はとろんとして、頬も上気している。


 ――真緒が、恋に落ちた瞬間だった。


 *********


 これまで何度、恋に落ちた瞬間を振り返ったことだろう。今では回想シーンの健の背中にキラキラ輝く光の効果までついている。


(あれからもうすぐ10年。我ながら、一途にもほどがあると思うけど)


 あの頃よりずいぶん背が高くなり、顔も大人のものへと変わった健だが、相変わらずその美貌は健在だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る