156話 老人としての生き方

 就職してからというもの孫は再び我が家住みになり、ミリムと話す時間が増えたようだった。


 なんでもミリムの母方の生家について、というか国家についての質問をしているらしい。この国からはるか遠い東にあるかの国家に興味があって、そこの文化を蒐集しているのだとか。


 とはいえミリムも血がつながっているだけで彼女の母方の国についてはあまり詳しくはない。それでも『孫の頼みだから』ということで、亡き義父や義母の遺品を取り出しては、その国のことを調べたり、遺品そのものを孫に渡したりしているようだった。


 ミリムは『思い出の品』を大事にする。


 俺が父母の遺品のだいたいをなんらかのかたちで処理してしまった(データであったものはそのまま、データ化が容易なものはデータ化して残してある)のに対し、ミリムは遺された物品そのものをかなり保有している。


 これは意外と思われることが多い。娘のサラにさえ、ミリムが『物』を大事に保管しているのはおどろかれた。ミリムはどうにも、もっとドライで効率を重んじ、無駄の一切を切り捨てるというようなやつだと思われているようなのであった。


 それは不正解ではないがズレている。

 ミリムが一番大事にしているのは『無駄なことにコストを払わない』ことだ。


 基本的に生きていくこと自体はめんどうくさいが、さりとてさっさと死んでしまいたいわけでもない俺たちは、『生きる』ことにかかるコストを小さくし、リスクマネジメントをするのが趣味みたいなところがあった。


 その低コスト生活は俺の場合、『生きる』という目的に対し払うコストを捻出するためのものなので、『生きる』目的に合致するならば、多くのコストを払うこともいとわない。


 ミリムの場合もまたコストを支払ってもいいものがあるようで、『思い出の品』の保管などはその『支払ってもいいもの』の中に入るようだった。


 そうしてコスト――気力とか、手間とかを支払って保管し続けたものを最近、ねだられるまま孫にあげてしまっているのは、たぶん、彼女もまた終活しゅうかつに入っているからだろう。


 俺たちはすでに七十代半ばだ。


 病院に行く頻度も増えた。

 もともと俺たちは病院通いをまったくいとわないので、健康診断などでちょくちょく利用するのだが、この年齢になるとやはり体にガタがくるのは避けられないらしい。

 俺もミリムもいくらかの薬をもらうことが多くなった。それはうちの母が同じぐらいの歳のころと比べればだいぶ少ないように思われたが、それでも老いというのは確実に肉体へダメージを与えてくるのだ。


 だんだんと『死』までの距離がわかってくる、とでも言うのか。


 青年期や中年期にはぼんやりして正体のわからない存在だった『死』が、老齢になるとすさまじく身近に感じられるのだ。

 それは恐怖も焦燥もない、不思議な気持ちだった。


 こうまで『死』の気配をはっきり感じながら、俺は全然あわてていない。

 気配をはっきり感じるからこそ正確な距離がわかるというか、『まだ死なない』という確信がある。


 ただ、一日に活動できる時間が減ってきていて、たとえば俺の死まであと二十年あるとしたって、その『二十年』が決して長い時間ではないことを、今の俺は知っているのだった。


 毎日毎日、コツコツと、有終の美を飾るために準備をする必要がある。


 俺のしたためている遺書なんかもその準備だし、ミリムが孫に母方の生家にまつわる思い出の品々(俺の義母の日記など)を与えているのも、生前の遺品整理なのだろう。


 老人には老人の忙しさがある。


 ぼんやりしていたり、日がな一日テラスでお茶をすすっていたりするイメージのあった『老人』であったが、実際になってみると、そうぼんやりしたものでもない。


 若者が一日に十八時間動けるとしたら、老人は六時間ほどしか全力稼働ができない。

 いや、俺は健康に気づかってきたからこうまで多くの時間動けるのだけれど、特に健康に気づかわず老齢になったならば、きっと三時間ほどの全力稼働が限界だろう。


 だからその少ない全力時間を効率良く使うために多くの休息が必要なのだった。

 若いころの俺が『老人はヒマそうだな』と思いながら描いていたお茶したりするシーンは、まさしく『休む』という仕事の最中にほかならなかったのだ。


 特に俺は存外いろんなものを抱えてしまった。


 教師になって、校長まで出世した。

 その前は担任やら部活顧問やらもやった。


 そうしてできた関係の中には今もって切れていないものもあって、それは『定期的に会う』ほどまではいかなくとも、なにかの折には贈り物がとどいたり、メッセージのやりとりがあったり、そういうものだった。

 カリナの亡くなったあとのことについて、そうして残っていたつながりが絶大な力を発揮したのは言うまでもない。

 俺が顧問をしていた文芸部はその道に進んだ者も少なくなかったため、カリナの遺品整理や『漫画家が亡くなったあとにすべきこと』について、俺やミリムでは思いつかないこと(SNSまわり、アシスタント関係)をいくらかアドバイスもしてもらった。


 こういうつながりは切るに切りがたく、疎遠ではあるのだけれど、細々と続いていた。


 俺が死んだ場合、こういった人たちにも俺の死を連絡し、借りのある相手に対しては死ぬまでになにかを返さねばならないだろう。


 人付き合いは可能な限り最小で――そう思っていた。そうしてきたつもりだった。

 だから今残っているのは『最小』のはずの、厳選に厳選を重ねた関係だけのはずだ。でも、かなりの量がある。


 七十年以上も人生を過ごすというのは、そういうことなのだった。

 少なく少なく切り詰めてきたつもりでも、膨大な量の関係性を抱えてしまっている。


 半ば社会から卒業したと言える今でさえ切れない関係は本当に多い。

 俺の『死』に際して、彼らとの関係をどう終えるか、彼らに、そして俺にどう悔いを残さない別れを演出するかは、数年がかりで考え続け、ようやく三分の一ほどの演出プランが決まった、という段階であった。


 九十歳までと考えれば、あと二十年もない。

 ざっと計画を立ててはみたけれど、けっこう、ギリギリだ。


 それでも慌てて活動時間を増やすことはできない。

 老齢になった今、一時間の無理が一週間を棒に振る結果につながりかねないからだ。


 若きは勢いと無茶でどうにかできた。

 青年期は仕事密度を濃くして時間を確保した。

 中年期になると仕事量は多くなったが頭を使うものばかりで、目の前に『仕事の資料』がない状態でも、日常的に、頭の中で仕事をすることが多くなった。思考持久力で、プライベートに仕事を食い込ませながら、生きていた。


 老人は、頭も体も、無茶ができない。


 事前のスケジューリングがすべてだ。

 余計なことを考えないよう、余計な仕事を増やさないよう、己のことを把握しきったスケジュールを立て、半自動的にそれに従う生活が求められる。


 七十半ばにして、ようやく老人としての生き方がわかってきた。

 あとは『死』に向けて一直線だ。もはや不安はなく、恐怖もない。


 それでも油断だけはせぬように、事前に計画を立てていこう。

『敵』がいつどこから現れるかわからないということに変わりはなく、『それ』への警戒をゆるめたとたん、俺はきっと、なにかの糸がぶつりと切れる気がするから……

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