153話 おじいちゃんは健康

 俺が校長職を辞して家でお菓子作り回数を増やした影響か、孫がよく遊びに来るようになった。


 この来訪はサラとブラッド公認のもので、一時期はわけがわからなくなっていた親子関係もどうにかいい感じのところに落ち着いたらしいことがわかった。


 俺が五十一歳のころに生まれた孫もすでに十七歳であり、かつて俺が勤めていた学園の高等部に通うお年頃だ。

 最近の子は発育が早いと言うが、エマは遺伝のせいかやや小柄であり、さすがにミリムよりは大きいものの、同世代の中では身長が低いのが悩みなのだという。


 身長が伸びるお菓子作って! とせがまれたものの、そんな世界の低身長ボーイズ&ガールズを救済できるような発明品などあるわけもなく、俺は困り果てて、しかし孫のためにできる範囲で努力しよう、というあたりに落ち着いているのだった。


 俺の作ったジュースを飲み、俺の作ったお菓子をたべながらリビングで宿題をする孫が、ふとつぶやいた。


「おばあちゃんって、おとなしいよね。昔の女性の理想像そのまんまって感じで」


 昔の女性の理想像とやらがあんまりわからないのだが、エマの話を聞いていると、どうにも昔は『男に三歩下がってついてくる、自分の意見を言わない女』が理想像だった、という認識らしい。


 いや、その理想像はね、おじいちゃんが生まれるよりも前のものなんだよ……


 なんなら俺の父が生まれるよりも前の、俺でさえが歴史の教科で習ったほど昔の『理想像』ではあるまいか。

 しかしエマの世代からすると歴史で習う近現代も、俺の青春時代も、まとめて『昔』というひとくくりらしい。

 さすがに年号とかも覚えているはずなんだからひとくくりにはならないと思うのだが、知識ではなくイメージの問題なんだとか。


「うちはプロレス婚だけど、おじいちゃんとおばあちゃんはどんな感じだったの? やっぱりお見合い?」


 エマの中で俺はなん年代の人なのだろうか……

 お見合い婚が一般的だったのも、やっぱり俺さえが歴史の教科で習うぐらい昔の話で、どちらかと言えば俺の時代は『婚活』とかが中心だったと思う。

 そもそも結婚する若者が少ない時代ではあった。三十代で結婚、というのも珍しくない、というか結婚する者の中では多数派で、よくよく思い返せば『結婚は裕福な者のたしなむ高尚な趣味』みたいな、皮肉交じりの評価をされていたような気がしないでもない。


 というかまあ、予想はしてたんだけど、サラとブラッドはプロレス婚なのね……


 俺と一緒に暮らしていたころのサラにはプロレスの影は見えなかったので、たぶん料理人を目指して自活を始めたあたりで、誰かに沼へ引きずり込まれたんだと思う。

 信じて送り出した娘がプロレス好きになったうえ『なんかだめ』認定をしてた男と結婚した件について……


「『なんかだめ』ってなに?」


 俺は洗いざらい暴露した。

 昔サラには四人の彼氏がいて、その彼氏たちはテストの結果、次々はねられた……

 中でもひどいはねられかたをしたのがブラッドで、『なんかだめ』と言われてはねられた。


 しかしブラッドは不屈の精神で俺の家に遊びに来続け、俺と遊び、俺と遊び、あと俺と遊び、サラからの好感度を落とす代わりにガンガン俺と仲良くなっていった。


 そうして数年後……

 なんかいきなり結婚相手として紹介された……


「わからない部分が多すぎる」


 そうだね。

 まあサラ視点で語るならばなんかしらの青春があったんだろうけれど、さすがの俺も娘の内心の変化や、娘の体験までをつぶさに知ることはできないし、そのための努力さえする気はないのだった。

 そこまでプライバシーを暴こうと行動するのは、ちょっと拘束が強すぎて父親失格だと思うの。


「あっ、違うよ。ごまかさないでおじいちゃん! 私はおじいちゃんとおばあちゃんのこと聞きたいの!」


 ごまかしてはおらんのじゃが……

 俺は老人のようにフォッフォッフォッと笑った。特に意味はない。こんな笑いかたしたことなかったのでムセた。


 飲み物を飲んで、考える。

 俺とミリムの出会い……結婚した経緯……


 わからない。俺たちは雰囲気で結婚した。


「お見合い?」


 いや……高校生のころだったかなあ。お試し恋人みたいなことをして、あとは流れで。


「ぜんぜんわからない」


 俺もわからない。


 ただ、ミリムの側には俺とくっつく目的意識があったっぽいことを、アンナさんから聞いてはいる。

 聞いてるっていうか『ミリムちゃんはよかったね。前から狙ってたよね』みたいなことをこぼしたのを横で聞いただけだと思うんだけど、あれからその手の会話もなく、その会話をした当時はどうにもミリムの内心を聞くことに遠慮があった。

『お前、どうして俺の嫁になろうと思った?』と質問するのは、なんだか傲慢というか、恥知らずな感じがして、ミリムの機嫌を損ねそうで、こわかったんだ。


 あ、俺、けっこうミリムに嫌われるのこわがってたわ……

 かなり昔からそうだった気がする……


 七十間近になって唐突に気づく自分の気持ちであった。


 そんな会話をしているとミリムがリビングに入ってくる。


 最近の彼女は老後の趣味として小説を書いているようで、若い時分に書いていたものよりも評価されているのか、熱を入れているようだ。


 カリナの早世以来、俺は小説だの漫画だのはどうにも早死にするタイプの趣味に思えてしまってあんまりいいようには思えないのだけれど、そこはミリムの趣味なのでなるべく苦言を呈したりしないようには心がけている。


 エマは飲み物をとりに来たらしいミリムを引き留めて、俺の隣に座らせた。


「おばあちゃんは、どうして、おじいちゃんと結婚したの?」


 若い子はコイバナが好きだなあとほほえましく思ったのだが、エマの顔はコイバナが大好きな女子高生というよりは、興味深い歴史書を発見した史学の研究者みたいで、俺たちの結婚過程はどうにも『歴史的資料』として蒐集しているっぽい気配を感じた。


 七十歳も近づくと自分が『歴史化』していることに気づかされる。

 特に若者や、若者を対象とした映像配信などを見ていると、自分たちのころは当たり前だったものが史跡みたいに言われてて、面白いと同時に、やや傷つく。


 ミリムおばあちゃんは七十間近だというのにどこか幼さを残す丸い輪郭に手を当てて、獣人の特徴であるしっぽをゆらゆら動かしたり、ピタリと止めたりした。

 考えごとをしているのである。


「結婚以外に望ましいかたちがなかったから、かな」


 それがミリムのセンスにはピタリとはまる表現だったらしく、言ったあとでミリム自身は『ようやく腑に落ちた』と喜ばしそうだった。

 しかし俺とエマはわけがわからず、顔を見合わせて首をかしげる。


「おばあちゃんはね、おじいちゃんと、赤ちゃんのころから知り合いだったの。一緒にいてこんなに楽な人はいないと思ったんだけど、おじいちゃん、けっこう、まわりに女の人が多くてね。他の人とくっつくと、いつか離れないといけなくなるじゃない?」


 まわりに女の人は多かったのかもしれないが、恋愛関係に発展しそうな女性は皆無だったように思うんだよなあ……

 アンナさんには恋愛対象として見られてなかったし、シーラは終生のライバルだったし、カリナはカリナだったからな……


「たまたま男女だったから、結婚に持ち込むのが一番苦労がないかなあと思って」


「え、おばあちゃん、好きだから結婚したんじゃないの?」


「好き……好きっていう気持ちはねえ、よくわからないかな。中学とか、高校になると、まわりが好きだの嫌いだのでさわぐでしょう? あれが本当に、居心地悪くてねえ。恋をしていないとそこにいちゃいけないみたいな雰囲気が、苦手だったの」


 わかる、とエマはうなずいた。

 世代は変わっても、やはり高校生はそんなものらしい。

 あるいは細かいところでは全然違うものになっているのかもしれないが、『恋に騒ぐ周囲に合わせられない』というのは、恋愛というパラメーターを持たずに生まれてきた者共通の悩みのようだった。


「ちっちゃいころから、この人と一緒にいたら、たぶんずっと楽に過ごしていけそうだって確信があったのね。だから、一緒にいる方法を模索したら、結婚になったのよ」


 ちなみにミリムの内心は俺も初めて聞くのだが、『彼女の考えはきっと広く理解はされないだろうな』と思えたし、同時に、『わかる』とも思った。


 ミリムは『生きる』ということにかかるコストをきちんと見積もっている。

 誰かと一緒に生きねばならないならば、低コストで過ごせる相手と一緒がいいのだと、本能か、あるいは理屈かで理解したのだ。


 ミリムもけっこうパッション系なところがあるのでたぶん本能だと思うのだけれど、彼女の『一緒にいて楽そう』は俺も求めているものだったし、そういう意味で、彼女が俺を選んだのは必然で、俺が彼女を選んだのは理想的な選択だったように思えた。


 俺は言う――たぶん、魂が合うんだろう。


 ミリムはうなずいて「それ」と言った。


「おじいちゃんの考え方は、わたしによく合うものだったのかも。『魂』があって、『肉体』がある……ううんと、宗教的な話じゃなくってね。生まれつきの性質がまずあって、それが肉体をまとって出てくる、っていう認識かな? だからね、きっと、わたしの性根は永遠に変わらないんだと思ったんだ。だからね、おじいちゃん以外が相手だと、すごく苦労しそうだなあって。そうなるともう、おじいちゃんしかいないでしょう?」


 俺はめっちゃうなずいた。


 わかるわ……超わかる……

 百万回生まれ変わっても性根は変わらない。

 理屈で考えるようにして、生存を第一目標にしたって――

 非情な選択をできないまま、死に続けたのが、俺だった。


 魂、あるいはそう呼ぶしかないもののかたちは最初から決まっていて、人格はそこで決まる。

 環境による細かな変化はあっても、芯みたいなところはきっと、変わらない。


 だから、自分の魂に寄り添える相手を見つけるのが大事で……

 ミリムは俺を見つけたし、俺はミリムがそうだと、今気づいた。


 そういえば俺が転生者であることを告白した時も、ミリムはやけにすんなり受け入れて、特にリアクションもなかった気がする。

 聞き流されたかなと思ったが、そうじゃなくって、ミリムにとっては最初から『魂』と『肉体』は別のものだという認識があったから、転生という概念はむしろ『腑に落ちた』のだろう。


 いやあすごいな、五、六十年前に解いておくべきだった謎が今解けてるわ……

 やっぱ若者とは話してみるべきだなあ。

 ありがとうねエマちゃん。


「私はなにもかもわからないんだけど!」


 お菓子をお食べ。


「食べるけど!」


 ついでに思いついたことをエマに言ってみよう。

 エマちゃん、おじいちゃんはね、運命とか、神様とか、そういうものが大嫌いで、否定したくてたまらない感じなんだけど……


「おじいちゃん、意外とロックだね……」


 そう、ロックじじいなんだよ(意味不明)。

 否定したいのはね、誰よりも、神様や運命を信じているからなんだよ。


 たぶん、そういうものは、あるんだ。

 だからなんていうのかな……

 うん、がんばれよ、若者。


「着地点!」


 若者は元気でいいなあ。

 ジュースをお飲み。

 明日は朝から運動しようねえ。


 最近はそんな感じで孫の健康を管理しながら生きている。

 とりあえずは理想的な七十代になれそうで安心しつつ――


 やはりまだ、どこかに『敵』はいるのだろうという警戒はおこたらない。


 この世界の『敵』ははっきり言ってしょうもない被害しか与えてこないが、それさえも油断を誘うための策略である可能性があるのだ。

 今の俺はもっぱら、危機的状況におちいっても孫娘をかっこうよく助けられるスーパーおじいちゃんを目指して体を鍛え続けている。


 こうやって細々と目標を抱き続けることが、運動を長続きさせるコツだ。

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