152話 晩節に思い描くもの

 カリナの葬儀がつつがなく終わったあとにまた葬儀ができて、誰のかと言えば今度は義父のだった。


 こちらはカリナに比べれば覚悟ができていたことであり、九十歳一歩手前で亡くなったのは非常に惜しくもあったのだけれど、娘婿の俺も、実子のミリムも、さほど衝撃を受けずに葬儀や相続関係の手続きを済ませることができた。


 流れから言えばミリムの実家を俺が継いで、俺の実家は母が亡くなったら引き払う感じで話し合いが済んでいた。

 だから義父のいなくなった家に母を招いたのだけれど、やはり母は離れがたいようで、というか母が家にいたがる理由がなんも解消されてないので、当たり前だが母はミリム家に来ない。


 そうなると近いとはいえ別な家に住んでいる理由もほぼないので俺とミリムが俺の実家に移ることになるのだけれど、母は「それは大丈夫」と遠慮がちなことを言う。


 しかしあと半年もすれば九十歳になるお年寄りなので、一人で置いておくのはあまりしたくない。

 義父存命中も俺とミリムで別居みたいな感じにして、ミリムが義父のそばに、俺が母のそばにいようか、と提案はしたのだけれど、これも辞されている。


 ひょっとして母は俺を嫌ってしまって、そばに置いておきたくないのだろうか?


 ありうる話だ。

 というよりも、逆に、よく今までそうならなかったな、と驚嘆すべきことである。


 なにせ俺は『違う』存在だった。

 普通を志していようとも異世界転生者であり、冷静になって過去を思い返せば、行動というか、行動の原理たる思考というか、そういうのがやはり『一般的』ではないように思える。


 さすがに六十年超もこの世界で生きれば『この世界の常識』もわかってくるというもので、過去を思い返すたびに俺は『あの行動はねーよ』と恥ずかしさにのたうちまわりたくなってくる状態なのであった。


 こんな異分子なのだから、嫌われるのは当然だろう。

 自分がお腹を痛めて生んだ子が異世界転生者でした――まあ異世界転生者だと母にはわかるように言ったことはないのだけれど、思考的に異邦人であることはたぶんあきらかだったので、こんなの、気味悪がるのが普通だとは思う。


 俺は異世界転生者なりの、あるいは『常識に疎い』という立場なりの真摯さで、思ったことをだいたいそのまま母にたずねた。


 俺がおかしいから、母さんは俺のことを嫌いになってしまったのだろうか……


 駆け引きもなにもない、素直な言葉だった。

 俺と母、家の中で一対一、座る母の前に立って、ストレートにぶつけた言葉だった。


 どうにも母を相手に取り繕ったり迂遠にしたりするのは違うような気がしたのだ。アンナさんに対するものと近い、これはようするに『甘え』からくる実直さだった。


「……あなたは、変わった子だったわねえ」


 俺の問いかけに、母は目を細め、懐かしむように答えた。

 かつての、活動的で、少し向こう見ずで、理屈よりもパッションで動くような人の面影はない。

 けれど、そこにあったほほえみは、まぎれもなく、この世界に生まれたばかりで周囲すべてを警戒していた俺を安心させた、『最初の味方』の顔だった。


「難しいことを考える子だったわ」


 品のいい、落ち着いた老婆となった母は、一言一言、力を振り絞るように、ゆったりと呼吸を繰り返しながら、口を開く。


「気にしなくってもいいようなことを、気にするような、子でね」


 ……最近の母は、物忘れが多くなってきている。

 けれど目を閉じ、開き、考え、口を開く彼女の中には、幼かった俺の姿と、若かった父の姿が、克明に刻まれているのだろうとうかがわせた。


「……お父さんにそっくり」


 母のしわくちゃの手が俺のほおに触れた。

 冷たいその手の甲に手を重ねる。


 ……気づけば、じきに冬が来る。

 季節は高速で輪転を続け、過去をどんどん上書きしていく。

 ともすれば記憶はすぐに混線し、大事な思い出が去年のことだったのか、おととしのことだったのか、わからなくなっていく。


 きっと母の思い描いているであろう、彼女にとっては克明な、輝ける思い出も、いろいろな年の楽しいものだけを縫い合わせたパッチワークなのかもしれない。

 それは厳密に言えば記憶ではなく創作の領分なのだろう。時系列を無視し、あるいは一部をねつ造し、そうして完成する、人生というタペストリー。


 じろじろと野暮な批評をするために観察すれば、きっと細かいところがつぎはぎだらけで見れたものじゃないだろうけれど……

 衰えた目を細めてながめれば、それは輝くばかりの至高の芸術なのだろう。


「あなたは、私たちの息子よ」


 母の言葉は飛び飛びで、並べただけでは俺の問いかけの答えになっていないかのように思われた。

 けれど、母には母なりの理由があって、この家に残るのであり――

 俺とミリムを家に住まわせないのにも、なんらかの考えがあって――

 俺を嫌って遠ざけているわけではないんだろうな、と理解できた。


 だから俺は改めて言う。

 心配だから、そばにいさせてほしい。

 本当はずっとそばにいたかったんだ。


「最初は私が言ったことなのにねえ」


 意図のつかみがたい言葉に、考え込む。

 すぐにはわからなかった。わからないうちに、母がうなずいた。

 たぶん、俺とミリムが一緒に住まうことを許可したのだろう。


 さっそく準備をすべくミリムの実家に戻り、色々な雑務をこなしているうちに、ふと、思い出す。


 最初は私が言ったことなのにねぇ。


 ……ああ、なるほど。そうか、そうだった。

 最初、俺に一人暮らしをすすめたのは、母だった。


 俺は一生実家暮らしでもいいと思っていた……今となっては記憶に自信がないが……はずだったけれど、母の一声で一人暮らしを始めて、それから長いこと、親元を離れて過ごしてきたのだ。


 母が一緒に暮らすのを辞するのは、自分が自立をすすめた手前の遠慮、だったのかもしれない。


 そんな昔のこと、覚えちゃいなかったよ。

 でも、まあ、きっと――その当時の思い出もまた、母の中で美しいものに昇華しているのだろう。


 なら、俺の側からも母の晩節を汚さないように、美しいものだけを積み上げていけるように、努力しなければならない。


 ……そう決意してから、一年後、母は亡くなった。


 御年九十歳。

 俺が目標とすべき、文句のつけようもない、大往生だった。

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