146話 『敵』の正体と対策
孫の初等科入学祝いを考えていて気づいたのだが、時間の流れがおかしい。
俺は生きている。
毎日きちんと考えながら生きている。健康に体を保ちながら生きている。
運動をしたあと、若いころと違って、数日後に来るダメージを計算しながら生きている。『体調不良の原因は二週間前の生活態度にあり』を標語に、食べたもの、した運動、眠った時間などを記録しながら生きている。
もちろん人類の記憶容量には限界があるから、俺は俺の記憶をそれほど信用してはいない。
だからこそ記録をつけて生きている。主観によりゆがめられないデータを常に確保しておくことは、若かったころより重要な行いとなってきている。
もう、五十代も半ばを過ぎた。
親は八十歳を超えさすがに見て分かるぐらい『お年寄り』になった。
妻側の両親にいたっては片方が亡くなって三年ほどが経ち、残されたお義父さんは元気をなくしたというか、おとなしくなったというか、お義母さんが亡くなってからずいぶんと長く『ガッカリ』し続けているように思う。
浦島太郎という話を以前にいた世界で聞いたことがあった。
それは『三日ほど過ごしていただけのつもりなのに、気づけば三十年が経っていた』みたいな話なのだけれど、もちろん三日のつもりで三十年なんていうのは大げさだけれど、歳をとると、そんな方向性の事態はまま起こる。
年齢を重ねるとかように時間感覚がガバガバになるもので、それは覚悟していたのだが、さすがに『ついこのあいだまで三歳だった孫がもう初等科入学』という事実には俺もおどろき、自分がついに『時間感覚ガバガバ勢』に両脚を突っ込んだことには愕然とした。
俺はこの三年間の記憶をたどる。
そこにあるのは孫とブッチャーの記憶だった。
三年前は孫を乗せてぴょんぴょんしていたブッチャー(スライム)も、最近は孫がぐんぐん大きくなるので乗せるのに難儀し、孫ののしかかりを避けようとうにょうにょしている姿がよく見られた。
しかし孫のエマは自分の体が大きくなった自覚なんてないかのようにブッチャーに乗ろうとするので、そろそろブッチャーがかわいそうになってくる。
そういえば幼稚舎の入園と卒園のお祝いもやった。
そこでもブッチャーと孫が一騒動あって……ダメだ、スライムにまつわる記憶ばかりが鮮明に色づいていて、それ以外の記憶がおざなりになっている感がある。
そう、ブッチャーのせいで孫が我が家に来る回数は激減し、もっぱらこちらから孫をたずねるようになったので、孫はいつもブッチャーとともにあったのだ。
こう言ってはなんだが、婿側家族の策略を感じないでもない。
スライムというペットを与えておくことで孫を家に居着かせ、俺の家に来ない(俺の家はペット禁止の借家だ)ようにする意図を感じるのだ。
まさか……『敵』か?
いやしかし、『敵』がこんなぬるいことをするか?
しばし考え、俺は気づく。
そうだ――『敵』の定義を間違っていたのではないか?
俺は今までの人生の感覚から、『敵』が行動するならば、それは俺を破滅ルートに追い落とし、逆転のための策を練ることさえできないほど怒濤の展開に押しやると思っていた。
だからこそ、この世界ではまだ『敵』の襲撃がなく、奇妙に感じていたのだが……
『敵』とて、この世界で暮らしているのだ。
この世界のルールには逆らえない。
前々から俺は仮想敵を『社会そのもの』とか『ルールの裏側にいるもの』とかいうふうに定義してきた。
それは、これまでの人生がすべてそうであったからだ。『世界ごとの道理』があったうえで、その道理をいかに利用しようがまったく及ばない存在こそが、俺にとっての『敵』だったし――あるいは、『道理』そのものが『敵』だった。
しかし、ひょっとして、今回の人生の『敵』は、そこまで強大ではないのでは?
そう仮説を立てると、今までの人生の見え方が変わってきた。
たとえばシーラ。
彼女は俺の通っている幼稚舎に突如出現した四月生まれだった。
生まれの早さという力を持ち、初等科あたりからはなにかと俺に張り合い、その関係は学生時代ずっと……というか今も続いているように思える。
たぶん、彼女は『敵』だった。
たとえばマーティン。
俺は保育所時代に彼に目をつけた。おそらく優秀な男になるだろうと……今から振り返ればまあ合っていたような、間違っていたような、そういうよくわからん感じだが、あいつの素のスペックはけっこう高いものがあった。
あれが悪意をもって俺に向かってきていれば、間違いなく強大な『敵』だっただろう。
マルギットもアレックスもそうだ。ミリムの後輩であり俺に妙に突っかかってきたマルギットや、俺が教育実習生時代になにかと罠を仕掛けてきたアレックスも、思えば『敵愾心』を持って俺に接してきていたのではなかろうか?
その悪意があまりにぬるいうえ、俺への攻撃手段があまりにフェアなので気づかなかったが……
彼らはたしかに、この世界における、この世界のルールに縛られた、『敵対行動』をおこなってきていたのだ。
そうだ、今、ようやく気づいた。
『敵』はいた。そこらじゅうにいた。
その攻撃のあまりのぬるさに攻撃だと気づかなかっただけで、俺は、攻撃にさらされていたのだ。
そうして定義を見直せば、ブラッド一家が俺に仕掛けてきた『孫に生き物を与えることで孫を家に居着かせ、俺のところに遊びに来ないようにする』という、地味な嫌がらせは、たしかに敵対行動だと言える。
本当に地味で、たぶん悪意はそれほどなく、『結果的にそうなってしまった』ぐらいのものなのだろう。
けれど俺はこの世界で生きて身にしみてしっている。
悪意のある妨害は、実のところさほど脅威ではないのだ。
本当に脅威なのは、善意による、法に抵触せぬ妨害だ。
そもそもこの世界は人を『敵』と『味方』で線引きするのが非常に難しい。
東西や南北に別れて、違う意匠の鎧をまとい、殺し合いをしているならば、『目の前の自分と違う鎧を身につけた、こちらに槍の穂先を向けてくる者』は間違いなく敵なのだけれど、この世界でそこまで明確に他者と敵対することは、まずないのだ。
そうか、『攻撃のぬるさ』の正体はこれだった。
俺にも百万回の人生で得た知識や技能、心構えがある。
だから本気で『敵』になる者があるならば、それを滅ぼすことに迷いはない。
ところがこの世界の『敵』は味方のような顔をして、いや、真実味方で、しかし行動だけは『敵』ということがありうる。
そういった相手に対し、俺の得た技術や知識はあまりにも無力だ。
俺の『反撃』はたいてい相手を滅ぼすためにおこなわれるものばかりなので(そうしないとこちらが滅ぼされるから)、明確に『敵』ではない相手には使えない。
この世界の『敵』はそこを突いてくる。
俺が完全に相手を『敵』だと見定められない状況を作り、完全に敵対行為だとわからない程度の妨害を、長々とおこなってくるのだ。
俺は懐かしさを覚えた。
久しぶりに全知無能存在の悪辣なる意思を感じることができたからだ。
いつだって『敵』は人の姿や民衆の総意という姿を借りた、全知無能存在の意思だった。
俺はこの世界であの忌々しい存在について思い出すことが減っていた。俺の記憶している前世は偽りで、ひょっとしたら俺は、この世界で一回目の人生を送り、そうして『天寿をまっとうしないと永遠に転生を続ける』だなんていうこともなく、普通に煙になるんじゃないかと、そう勘違いしていた。
しかし――全知無能存在の意思は、ここにあった。
ずっと俺の生活のそこここにあって、俺を見つめ、俺をその冷たい指先で谷底に突き落とす機会を狙い続けていたのだ。
これはもはや信仰だ。『自分に悪意を持ったなに者かが存在する』という信仰――悪意や不運、不遇を通して『
では、全知無能存在の意思を感じたところで、どういう対策をとるべきか?
シーラもマーティンもマルギットもアレックスも『敵』だった。
しかし今は味方だと俺は思っている。
『敵』は味方にできる。
この世界に限らず『誰かと明確に敵対すること』のリスクは大きく、メリットは少ない。
だから敵対せずに目下最大の『敵』であるブラッド一家から孫の支配権を割譲する方法はなにかないだろうか――
そこまで考えて、俺は決意した。
ペットが飼える家に住もう。
今の借家を引き払って、俺の、あるいはミリムの両親と同居をするのだ。
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