145話 ゲル・ザ・ブッチャー
ほぼ五十年越しの夢と対面している。
それはブラッドの家に孫の様子を見に行った時のことだ。
俺は孫に好かれるおじいちゃんなので、こういう時にはエマが真っ先に俺を出迎えに来るのだが、なかなか来ない。
なんでかなー、忘れられたかなーと不安に思っていると、ブラッドファミリーから遅れること約一分ほどして、エマがなにかに騎乗して現れた。
スライムだ。
あの、ペットとして百年以上不動の地位を確立し続け、毎朝放映されているたいていの番組で特集が組まれ、一分ほどのカワイイ動画がSNSに氾濫し、今なお人気がおとろえることのない、ペットオブペットのスライムなのである。
しかも珍しいメスのブチスライムだ。
それに乗りながらぼよんぼよんとエマが登場したので、俺は携帯端末を取り出し、連写モードを起動して、跳ねる孫とスライムの姿をおさめまくってメモリをパンクさせた。
あいさつもそこそこにスライムオン孫に語りかける。
なにそれどうしたの? 飼い始めたの?
「エマちゃんのこぶん」
孫の一人称はころころ変わるのだが、最近は『エマちゃん』がマイブーム一人称なのだった。
しかし子分というのはなんていうか、ガキ大将みたいなこと言うなお前。
今の時代、『子分』というのはなんていうか、古めかしい。
古典とまではいかない、リアルで使っているお年寄りが一定数存在して、若者に『なにそれ』と言われる感じの、微妙な古めかしさだ。
まあいいか。
俺はメモリがパンクした携帯端末をミリムにあずけて、ミリムの携帯端末で動画を撮りながらたずねる――名前は?
「エマちゃん!」
うーん、そうだねえ。
孫がかしこいなあ。
スライムの名前は?
「ゲル・ザ・ブッチャー」
待って、孫のセンスじゃない。
俺は周囲を見回す。
ブラッド邸入口で俺たちを出迎えてくれたのは、ブラッド、サラ、エマ、ブラッドの両親、ゲル・ザ・ブッチャーだ。
俺が一人一人に視線を向けると、みんなが苦笑いで俺の視線を受ける中、一人だけ顔を逸らした男がいた。
犯人は貴様か、ブラッド!
「いや、聞いてくださいよお義父さん。ゲル・ザ・ブッチャーっていうのは試合前のスライムロデオパフォーマンスで有名なプロレスラーなんです。強い男なんですよ」
娘婿が知らないあいだにプロレスファンになっている。
しかしよくよく思い返せばこいつ、初等科のころからゲーム中とかやたら知名度の低いプロレス技名を叫びながら技出してたような気がしなくもない。
知名度の低いプロレス技をなぜプロレス技だとわかったかと言えば、こいつが叫んだ技名をあとから調べたからである。
「ゲル・ザ・ブッチャーはスライムに育てられた野生児で、かつては悪の組織に所属していたんですけど、正義のピーチャーオンノックを喰らって善の心に目覚め、今ではスライム保護団体に陰ながら出資している善のレスラーなんです」
たぶん『ピーチャーなんとか』はオリジナルの技名なんだろうなと思った。
いやまあ、いいんだけどさ……
人の趣味に口出しするのは俺の流儀ではない。趣味の話は『宗教』の分野だ。趣味を神聖視し、自分の好きなプレイヤーを神格化する者も少なくない。
宗教系の話題に触れるのはいらぬ激しい怒りをかいやすいので、俺はそういうリスクを嫌うのだった。
俺はそれ以上プロレスに触れないようにブッチャーと孫に視線を戻す。
孫は俺をジッと見上げ、キリリとした表情で言う。
「じーじ、スライムロデオは、『きずな』なんだよ。わるいレスラーに、きずなでかつんだよ」
ああわかったよ! 俺もプロレス見るよ!
意味もわからない感じで今の言葉の羅列を言い放ったので、たぶん、俺の知らないところでブラッドがたいそう熱心にプロレス語りをしているのだろう。
おそらくエマがそらんじてしまえるぐらいに、似たようなことを何度も話しているに違いない。
俺はサラを見た……嫁いだ夫が謎の宗教にハマってたけど大丈夫? という目だ。
サラは俺の視線を受けてうなずく。
「『派手に見えるけど壊れにくい体の使い方』が学べるよ」
たぶん俺にすすめてるんだろうな-!
そういえばサラがブラッドのどのへんを気に入ったのか全然わかんなかったんだけど、ひょっとしたら二人の縁はプロレスが結んでいたりするんだろうか。
俺は『娘であっても恋愛事情に踏み込まない』という方針をとっている。
俺が『方針をとる』時、そこには例外やらブレを認めない確固たる意思があるので、一度『恋愛事情に踏み込まない』と決めたなら、マジで半歩さえ踏み込まない。
だが、だが……知っておくべきだったかもしれない。
孫がプロレスの話しかしなくなるなら、俺はあらかじめ学んでおくべきだったのに、(おそらく)サラとブラッドのなれそめを知らなかったせいで、準備ができなかった。
くそ、情報収集はやはり大事だ……
人はすべての情報を収集しきることができないので、ある程度最初から『切り捨てるべきところ』を定めておくという方針で生きてきた。
しかしその方針に甘えて切り捨てすぎたかもしれない……今後はもう少し視野と興味を広げていくべきだろう。
とりあえず俺はブラッドにプロレス入門のためになにを見たらいいか聞こうと思った。
――だが、それは間違いだった。
沼にどっぷりハマっている人に、沼への優しいつかりかたを聞いても無意味なのだと、俺は予測すべきだったのだ。
後日郵送されてきたプロレス関係の資料の量に頭を抱えることになるのだが、この時の俺はまだ、そんなことを知らない……
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