143話 中毒
三年ほどが過ぎても俺の生活には全然変化がなかったが、たまに我が家をおとずれる孫がすさまじい勢いで大きくなるのを見て、『そうか、子供のころの三年は、すごいな』とまとまりのない感想を抱いたりもした。
娘のサラが子供のころも似たような体験はしたはずなのだが、どうにも毎日あくせくしていたせいか、『でかくなるなあ』と他人事のように思える心境ではなく、これほどしんみりと幼児の成長をながめられるのは祖父母の特権なのだと理解する。
孫娘の名は『エマ』という。
エマはすごい勢いででかくなり、知恵をつけていった。
うちのサラなんかは小さいころからおとなしくて聞き分けがよかったのだが、エマのほうはどうかというと、わりと我が強い。
ブラッド側の血筋の特徴が色濃く表れた性格と、サラ側の見た目が色濃く表れた容姿……とはいえ獣人ではない……の孫娘は、真っ黒い髪を長く伸ばして、遠目に見ればお人形のような美人なのだけれど、なんていうか、こう、我が強い。
管理癖というのか、監督癖というのか、そういうものがある。
「じーじは、しなければならない」
そんなのが口癖の三歳児で、これがどういうタイミングで使われるかと言えば、『おいしいお菓子をたべた時』に「(これはおいしいから)じーじはたべなければならない」とか、楽しい遊びをした時に「(これは面白いから)じーじはあそばなければならない」とか、そういう感じで使うのだ。
いったいどこからそんな口癖を仕入れたのかと思えば、それはやっぱり子供がよく見るような番組だった。
変身ヒーローものなのだが、その主人公のライバルっぽいやつが『君は~しなければならない!』というのが口癖らしいのだ。
うちの孫は変身ヒーローにあこがれるタイプの女の子だった。
乗りトカゲに乗りたいとだだをこねた娘を思い出す。
まあ、その口癖がただキャラクターのまねをしているだけならばいいのだが、エマは三歳児にしてはだいぶ賢く、きちんと意味を理解して『しなければならない』を使っているようだった。
つまり善意によって行動をすすめてくるのである。
問題はこちらがすすめられるままに行動をしないと「しなければならない」と繰り返すあたりで、そのへんの強要癖を、親であるサラやブラッドに怒られてたりするのだった。
まあしかし俺やミリムは孫にかかわるのが嬉しいもので、ついつい孫の言う通りにしてしまい、結果として孫の『しなければならない癖』はなかなかなおらない、という悪循環になっている。
そう、俺は孫に嫌われるのがこわいのだった。
人になにかを強要するのはよろしくない――強要というのは、強要した相手をたいてい不機嫌にさせるものだ。
それが真摯な忠告であろうとも、正鵠を射た意見であろうとも関係がない。人は人になにかを強制されるのが大嫌いというのが普通である。
『しなければならない』で人が従うという成功体験は、社会に出る前に払拭しておかなければならないのだ。
だってたいていは強要しても従ってくれない。強要するだけ損だ。同格や格上の連中がはびこる社会という戦場において、そんなわがままは許されないのである。
わかっているんだが、たまにしか来ない孫の機嫌をとりたい一心で、俺はついつい孫に言われるがまま色々やってしまう。
将来のことを思えば断固としてはねのけるべき強要なのだけれど、うーん、わかるんだよ本当に。でもなんかこう……本能? 本能で逆らえない?
そう、危機感がない。
俺がサラを育てていた時などは、俺の一挙手一投足がサラの人生に影響を与えるのだという危機感が常にあった。
ところが孫であるエマに対してはその危機感がないのだ。
孫とかかわる時の俺は、教育者ではなく、孫という存在をかわいがり、彼女に気に入られるならなんだってする『孫のお気に入りのおじいちゃん』でいたいのだ。
しかも孫はブラッドの実家暮らしで、ブラッド側の両親は孫と接する時間が長い。
付き合いが長ければ好感度を稼ぐ機会も多いわけで、なかなか孫に会えないほうのおじいちゃんとしては、一分一秒も無駄にはできないという思いがある。向こうのおじいちゃんに好感度で負けてはいられないという強い気持ちが、俺を孫に恭順させるのだ。
孫という存在は、生まれながらの王なのだった。
祖父母はその寵愛を受けるためにおもねり、恭順する。上納金もおさめる。
どうぞ今月の上納金です、おおさめください……俺は黄金色のお菓子を孫に与えた。お手製のクッキーである。最近の俺はお菓子作りが趣味のおじいちゃんを目指しているのだ。
「おやつはさっき食べたから、明日」
サラがわりとそのへん厳しいので、上納金は宰相のサラが管理することになってしまった。
俺の作ったお菓子が好きなエマはけっこう不機嫌だ。ああ、おじいちゃんに怒らないで……おじいちゃんは悪くない……ただ、タイミングが悪かったんだ……
しかし幼児は『その小さい体のどこに入るんだ』というぐらいいっぱいお菓子を食べる。
そしてご飯を食べられなくなるまでがセットなので、別腹はやっぱりないみたいなのだが、健康意識の高い俺としては小麦粉! 砂糖! 卵! の固まりであるお菓子でばっかり胃をいっぱいにする状況は、さすがに看過できない。
そこでお菓子を与えたい俺は、栄養バランスについて。プロの料理人であり栄養士の資格も取得したサラと話し合い、『どうぞお菓子です』『さっき食べたから』というすれ違いをなくそうと努力をした。
もちろん幼児が突発的にお菓子をほしがってスーパーなどで座り込み泣きわめき、お菓子を与えるしかない状況を引き起こすことも知っている。
『泣いてだだをこねれば要求が通る』と覚えさせないように厳しく接する必要はあるものの、時間がなかったり、周囲の注目を浴びすぎたりすると、買い与えねばならないケースもあるのだ。
お前もそういうことあったよ。人生で一回か二回ぐらい……などと娘に言いつつ、俺たちは完璧なエマの食事プランを立てた。
『完璧』というのは『びっちりと固まっている』ということではない。ある程度の揺らぎをもたせて、都度修正が効くプランということだ。
俺とサラの話し合いは、サラが我が家で寝泊まりする期間の半分ほどを使っておこなわれた。
それをそばで見ていたブラッドが「うーん、この光景、やっぱ一般的ではないですね」と苦笑していた。
まあこいつが初等科のころ我が家に遊びに来てた時も、俺とサラはなにかと話し合ってプランニングをしていたので、慣れてはいるのだろう。
かくしてできあがった計画をもとに、俺は小麦と砂糖と卵をとりすぎず、他の栄養がとれて、なおかつおいしいお菓子を用意する必要にかられた。
それは一朝一夕でできるものではないので、次にサラたちが宿泊した時までに用意しておくということで話がまとまり、いくらかそれっぽいものを練習で作り、エマに与えて「もっとあまくするべき」とか言われつつ、一週間ほどの滞在期間が終わった。
そうして娘夫婦と孫が帰ったあと愕然とする。
時間の流れがまったく違うのだ。
娘夫婦がいた時は、俺とミリムはせこせこと動いていた。
せわしない、落ち着かない気分ではあったが、いそがしいことになれているので(※定時退社のためには時間内に仕事を終わらせる必要があるので、定時退社夫妻である俺たちの仕事はたいがい早く、仕事中はせわしない)心地よい疲労感があった。
けれど娘夫婦が帰ってからというもの、脳が半分死んだみたいに稼働を止め、ぼんやりと垂れ流される番組を見つつ、飲みもしないお茶のカップをいつまでも握っている、みたいな時間がいきなり増えるのだ。
これはいけない。
孫に……孫に会わなければ……老いる……
孫のためにお菓子のレシピを考え、孫のために脳を稼働させ、孫がいなくなるととたんに死んだようになる日々だ。
俺は最近、孫中毒になっている。
この孫依存を脱する方法は、きっと、存在しないのだろう。
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