131話 正しさと間違いと

「『無職』とはなんだと思う?」


 俺たちは自宅でちゃぶ台を挟んで話していたはずなのに、正面に座る娘の背後には、なぜか宇宙みたいなものが見えた気がした。


 過度に超論理的なことを話されている時、意識が宇宙に飛ぶことがある。

 その暗闇の中に輝く星雲の光には、宗教的な色合いも感じられて、俺は一瞬、娘に怪しい宗教に勧誘されているような、不可思議な心地にとらわれた。


 しかし、紛れもなく宗教ではない。


 俺は『宗教』というものにはその情報の端っこにさえ触れないよう、注意を払ってはいるが、そんな俺でも、わかることがある。

『無職』という宗教はない。


「パパ、私は無職について考えない日はなかったよ」


 そうか。

 遊園地行った日とかは考えないでほしかったかな……


「私はたどり着いたね。『無職とは働かないことではない』って」


 そもそも『なぜブラッドと交際し、結婚前提ぽいつきあいをしているのか?』『二人は結婚する気があるのか?』という質問をしたら『無職とは?』と返ってきたのだ。

 俺自身に『本題に入る前の補足説明で全然本題と関係なさそうな切り出し方をする』という癖がなければ、『はぐらかさないで質問に答えなさい』と怒るところだ。


 しかし俺は百万回転生した四十代半ばの男だ。

 人生経験は豊富であり、それら経験から『知的生命の思想は想像もつかないほどに多種多様だ』ということを感覚でつかんでいる。


 まあ、あと、俺とミリムに育成された娘なのだ。

 彼女のわけのわからなさは、すなわち、俺たち夫婦のわけのわからなさだろう。

 なにを言ってもブーメランを投げる結果にしかならない――俺は黙って、サラに話の続きをうながした。


「生きている限り、決断する機会は無数にある。無職だってそうなんだよ……ううん、無職こそ毎日決断の連続なんだ。だって、普通の職業人は『今日こそ働くべきか、それともこのまま働かぬべきか』なんて悩みから一日を始めることがないからね」


 お前、無職経験ないのにどうしてそこまで『無職経験済み』みたいな発言ができるんだ。


「収集したデータにもとづく想像だね。私の同級生にも、すでに無職デビューしている人がいるし、そこから聞き取った話もデータの一部に入っているよ」


 うん、そうか。続けなさい。


 データを集めたと言われると、同じようなことをして理論展開する俺はなにも言えない。

 教育の成果なのだった。


「自称家事手伝いの人の話だと、やっぱり無職はね、つらいらしいんだ。家族の目、世間の目……そしてなにより、自分が自分をせめさいなむ。なぜって、無職はマイノリティで、落ちこぼれ扱いされるから、常に『このままでいいのか?』という恐怖と戦わなければいけない」


 まあ……

 稼がないと生きていけないという社会の大前提がある以上、稼げない毎日は不安だろう。

 サラの世代だと今は両親も壮健だろうし、仕事もしているし、子を養えたりもするが、子供は親より長生きするものだしな。自分の死後、あるいは老後まで養えるわけじゃない。


 やはり自分で稼ぐ手段を持たない子をおいて死にたくはない親は、子供に働けって言うだろうな。


「そう、ただの無職は将来的に金銭面において困窮することが約束されているんだよね。そこで私は『無職』の定義について整理をしてみたの」


 ……唐突に。

 俺と話してるシーラは、今の俺みたいな気持ちだったのかな、という思いつきが頭をよぎった。


「その結果、世間で言われる『無職』と、私の目指す、ストレスがなく、健やかに長生きできる『無職』とは、違うことがわかったの。そう、私の目指す無職は――『決断をせず、なんとなく安定した生活を送る者』だったんだよ」


 どうしよう、ブラッドの名前がいつ出てくるのか気になって、話が頭に入ってこない。

 今の理論展開のまま進むと、あいつの名前が出てくる気配が全然ないぞ。


「そこで感情というものを廃して、『私が目指す無職のために、ブラッドとの結婚は有用か?』と考えてみた場合、これが有用なんだよね」


 出てきた。

 知ってる名前が出てくるとこれほどホッとするものなのか……

 酸素も重力もない宇宙空間からようやく大地の上に戻ってきたかのような気持ちだ。


「『政治家の妻』というのはね、とてもいそがしいようなんだ。人との交流もある。有権者やほかの政治家の奥さんとの付き合いもある……でもね、その時々の行動方針は、旦那に決めてもらえるんだよ。つまり――決断をしなくっていいんだ」


 ……それはなんかこう、『自由がない』とほぼ同義のような気が、パパにはするんだよな。


「『自由』は必要?」


 ……。


「自由っていうのは決断の連続なんだよ。自由という状況に立たされた時にかかるストレス、自由の果てに『自分で選び取った』という名目でのしかかる未来、それは本当にすばらしいものかな? 私はそうは思わない」


 いやでも、ストレスたまらないか?

 自由もそうでないのも、適度がいいっていうか……政治家の奥さんは『適度』からだいぶ外れているような気がするんだよな。


「パパ、イメージでものを語ってはならないよ。今の意見には二つの大きな思い込みがふくまれている。一つは『政治家の奥さんはいそがしそう』という思い込み。もう一つは――『私の人生における適度の基準が自分の中にある』という思い込みだね」


 一瞬、意味をとりかねた。

 しかしひと呼吸のあいだに理解する――そう、俺が思う『サラにとっての適度』と、サラが思う『サラにとっての適度』は、違うのだ。


 サラの人生においてなにが適度かは、サラが決める。


『若者は、知識不足とか、経験不足とか、そういったものによって判断を誤るから、自分がアドバイスして正しい道に導かねば』と、年長者は思いがちだが……

 年長者が判断をミスしない可能性は、皆無ではない。皆無ではないっていうか、普通に間違うし、その正答率は若者とそう大差ないだろう。

 まあ歳をとってくると『自分が間違った』という記憶がどんどん消去や上書きされていき、なんだか自分の正答率が常に高かったような錯覚にとらわれたりもするが……


 同じように『間違う』可能性があるなら、人生の主役である『自分』で、自分の人生を決めるべきだ。

 若者の人生に最期の最後まで責任をとることがどうしたってできない年寄りが、若者の人生にしたり顔で口を出すべきではない。


 まあ、サラの結婚ともなると、パパの人生とまったく無関係ではないので、こういう会話の席が設けられたりもするわけなのだが……

 この手の介入バランスで悩むのはこの人生が初めてで、どうにも感覚がつかめないな。


 ともかく――俺たちが議論するべきは、『政治家の妻は楽かどうか?』ではない。

 そんなものは目先の問題だ。


 俺はとっくに知っているはずなのだった。

 サラが――そして俺も――こうして意見をこねくり回す時は、すでに『願望』がある。


 世の中には真理などはなく、人は未来の視点から現在を決定することはできない。


 だから『なにが正しいか』なんて、求めるだけ無駄だ。

 今正しいことが五年後間違っている、なんてことはそれこそいくらでもある。

 あるいは数ヶ月、数日、数時間、数秒後でさえ、『ああ、さっき正しく思えたことは、間違いだった』と思うことはある。


 だから大事なのは『願望』だ。


 俺は最初から、『なぜ』と問うべきではなかった。


 ――サラ。

 結婚は、したいのか?


「……うん」


 なら、しなさい。

 お前はきっと、どのぐらい大変で、どんなことになるのか、調べて、思い描いているはずだ。

 その予想は実際に結婚したあと、『間違いだった』となるかもしれない。

 でも、結果的に間違いだったとして、『だからあのとき止めたのに』としたり顔で言う大人は、お前の親戚には一人もいないし、いたとして、俺が言わせない。


 望みを叶えなさい。

 失敗したらやり直しなさい。

 でも、できれば成功して、幸せになりなさい。


 それが、俺の願いだよ。


「うん。……ありがとう」


 まあそれはそれとして、『俺がブラッドを認めるか』という問題は未だ立ちふさがっているわけだが……

 それはお前とブラッドで知恵を絞って、俺をどうにか丸め込みなさい。


「資料を用意しなきゃ……」


 サラのつぶやきに俺は笑う。


 彼女はどこまでいっても不器用で、自分の感情にエビデンスと理屈で肉付けをしないと、想いさえ口にできない。

 俺もそうだ。


 だからきっと、俺たちは親子なのだろう。

 血縁以上に魂のかたちとでも呼ぶべきものが似た、親子なのだろうと思った。

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