130話 よくわからないもの
「気持ちはわかるけど、意味はわからない」
こっちは気持ちも意味もわからないで苦しんでいる。
シックな雰囲気の高級な喫茶店は涼しく、飲むコーヒーはやたらと苦く感じる。
シーラなのだった。
事務所を立ち上げてからというもの毎日いそがしそうにしている彼女に、貴重な時間を割いてもらったのだった。
ここ最近のシーラは本当にいそがしいようで、彼女とこうして会談を取り付けるまでには一月と少しという時間がかかった。
おかげで娘はとっくに十九歳で、季節はもう夏で、ねっとりと湿っぽい暑さの中、俺はスーツ姿で外を出歩く羽目になった。
それもこれもブラッドのせいだ。
シーラの甥っ子として生えてきたそいつは、俺の娘と交際している。
俺自身もブラッドとは個人的なつきあいがないでもない。
始まりは彼が娘の彼氏の一人として我が家に遊びに来て、娘から『なんかだめ』という判定を食らって彼氏候補から弾かれ、それでもあきらめないスピリッツで俺の家になん度も来訪し、その縁で主に俺と遊ぶことが増えたというものだった。
さすがに彼が中等科に上がってからは、『同級生のお父さんで中等科の先生』である俺とそこまで密に付き合う感じでもなく、家に遊びに来ることは減っていた。
しかしお互いにメッセージのやりとりはずっとあったのだ。
だから思うんだよね……俺に言えよ。
うちの娘と付き合うなら、俺に言えって。
いやまあ、うちの娘が報告は止めたとかいう話なんで、そこはいいんだけど、そもそもなんで『なんかだめ』判定から『彼氏正式採用』にまでいったのか、これがわからない。
俺の知らないあいだに、あいつらになにがあったんだ。
「いやだから、あたしに聞かれてもわかんないってば」
そこをなにか、心当たりの一つでも教えてほしいんだよ、シーラおばさん……
「同級生におばさん呼ばわりされるの、びっくりするほどムカつくわ……」
シーラはどうにも年齢に対する意識が強いようだった。
あるいは噂に聞く『弁護士はなめられたら終わり』みたいな心構えが、彼女の反応を過敏にし、なんにでもかみつくような、そういう反応を引き出しているのかもしれない……
と思ったが、シーラは俺の発言には昔からたいていかみつくからな。
だが、だが……問題のシリアスさを共有できていないのはいかんともしがたい。
俺の娘とシーラの甥っ子が結婚したら、俺たちは親戚になるんだぞ。
それはなんかすごく……シリアスな問題じゃないか?
「まあ本家とはぶっちゃけ切れてるし、あたしは関係ないんだけどね……っていうか、あんたに聞かされた話で一番おどろいたのは、アレよ。うちのじいさんの態度」
じいさん、というのはシーラの父親のことだ。
シーラの親嫌いはもはや彼女の骨髄にまで浸透しており、すべての発言にまんべんなく『嫌い』という感情がこめられている。
なので自分の親を絶対に名前で呼ばないし、どこぞの知らない偏屈で迷惑な老人でも呼ぶかのような、怒りにも似た感情を込めて『じいさん』と呼ぶ。
「サラちゃんが大学行ったら結婚を認めるとか、そういう話をされてたように聞こえるんだけど。あの政治屋がぶっちゃけ名門でもないあんたん
実際に『じいさん』に確認したわけではないが、ブラッドの口ぶりだと、どうにもサラとの交際は『じいさん』公認であるかのように思われた。
その公認の条件として『大学卒業』があるのだとか。
ただ、言い回しには微妙にあいまいさがあった気がする。
記憶を探るに『サラが大学出るのも、じいさんの出した条件を守るためっていうか』という言い回しだった気がする。
この口ぶりだと『じいさん』に許可をとったとも読み取れるが、『じいさん』が出した条件があって、それに当てはまるには大卒資格が必要(まだ許可はとっていない)とも読み取れる。
っていうかまあ、十九歳そこらの恋愛でしょ?
結婚までいくか?
「あんたとミリムちゃんはどうだったのよ」
……結婚するわ。
やべぇ。
「とにかくあたしの所感としては『ブラッドが舞い上がってるだけで、じいさんは認めない』って感じだけど……うーん、そうね、あんたはどうなの? してほしいの? 結婚」
俺は――まあ、俺の感情は俺の感情であるのだが、それとは関係なく、サラの満足いくようにしてほしいというのが願いだな。
たとえばブラッドが超絶悪いヤツで、サラが騙されていて、五年ぐらいのスパンで見ればサラどころか我が家が一生かけても返しきれないほどの借金を負わされる、みたいな未来が予測できたとして……
それでもサラの望み通りにやらせたい。
「極論大好きよね、あんた」
まあそもそも、サラの判断力を信頼してるので、悪いようにはならないと思う。
ブラッドの人格についてもある程度はわかってるし、いざとなったらシーラ先生に弁護をお願いするし、そのへんも不安はない。
「あたしの甥っ子とあたしを法廷で争わせようとしてるように聞こえたんだけど」
まあいざとなれば。
「いざとなったら、それこそ無理よ。あたしは甥っ子に敵対できない」
でもちゃんと依頼するけど。
「そうじゃなくって……あのね、人には『心』があるの。心は『理屈として正しいから』っていうんで、納得させられるもんでもないし、心と行動を切り離すことも、普通の人はできないの。できるのは、あんたんとこの家族ぐらいなもんよ」
そういうものなのか。
「……まあ、弁護士も長いとね、『絶対に利益が出ないのに心の納得を求めるためだけの訴訟』とか、そういうのを受けることも、けっこうあるわけよ。大金持ちが道楽でやるんじゃなくって、普通に、生活するのにも苦労するような人が、身を切って、そういうことをしたりもするの。『心』ってのは『法』の次に大事な要素よ」
中等科の教師を続けている俺にとって、『心』というのは『一瞬しか持続しないもの』だ。
中学生どもは瞬間瞬間の『楽しい』『興味がある』がすべてであり、長期的計画は心よりも――その発端が心にあったとしても――理屈と理性を重要視して決定する、というのが、俺の思う『心』と『理性』のバランスだ。
だからこそ、『心』を原動力にした行動は、たやすく『面倒くささ』によって止まる。
しかしシーラは『裁判を起こし、戦い続ける』なんていう面倒くさく長期間かかる行動を、『心』により引き起こす人が少なくないのだと語る。
一概に大人と子供の差とも言えないだろう。
俺には俺の歩んだ道があり、シーラにはシーラの歩んだ道があるということだ。
「それで?」
シーラはコーヒーフロートのアイスをかき混ぜながら言う。
俺は首をかしげる。それで、とは?
「仮に、サラちゃんとブラッドが結婚することにしたとして。仮に、うちのじいさんが二人の前に立ちふさがったとして。……あんたはどうするわけ? それでも応援する?」
うーん、ハイリスク。
俺は『生ききる』ために、なるべくストレスの少ない人生をすごそうと思っているし、そのための努力を惜しむこともなかった。
政治家と正面切って争うとか極大のストレスなのは間違いない。
やりたくねぇなあ。
でもやると思う。
「なんで?」
長生きしてると、『俺よりももっと願いを叶えられるべきだった人』っていうのがいくらでも存在することに気づく。
もちろん、俺が死んだから、その人が生き残る、とかいう単純な話は、ない。
多くは俺とは無関係で、いざその人のことを知るのは、その人の願いが叶わなくって、結果として『ひどいこと』が起こったあとの話さ。
「……具体的な誰かを指してるわけじゃなくって、比喩みたいな感じね」
そうそう。
で、俺はニュースかなんかで知って、心を痛めるわけだ。
『ああ、この人がこんな道半ばで亡くなるなら、代わりに俺でも殺せばよかったのに』『こんな人が不幸になるなら、代わりに俺が不幸になればよかったのに』って。
まあ、運命とか、
「長生きが目標じゃなかったっけ、あんた」
それでも、『俺が代わりに』と思うほどのことはある。
娘がもしブラッドとの結婚を願ったなら、まさに『俺が代わりに』案件なんだよな。
娘の願いが叶えられるなら、俺の命を差し出してもいい。
幸いにも、俺がストレスをこうむれば、どうにかできる可能性がある案件だ。
全部終わったあとで『ああ、俺の努力や生命でどうにかなったなら、どんなによかったか!』と嘆く前に、色々なことができる。
だったらするよ。
俺にとって『俺が長生きできないかもしれない』というストレスよりも、『願いを叶えてほしい人が、道半ばでいろいろなものをあきらめなければいけない』という悲哀のほうが、俺の寿命を縮めるし。
「……あんたが小難しいことを考えるのは、年齢のせいじゃないわよね。昔からそう。意味のわからないところで悩んで、意味のわからないところで答えを出してる。そういうこの世界の外にいる感じに、あたしはたぶん、ひどく、いらだってたんだと思うわ」
お前、俺のこと嫌いだよな。
「あんたが嫌ってくれたなら、いがみ合ってあたしたちのつきあいは終わりだったでしょうね。……まあ、歯牙にもかけられてない感じがして、あたしのほうはますますムカつくんだけど」
今も?
「四十年以上生きて、ようやく『こういう人だ』って受け入れることができたわ。多様性っていうの? 『よくわからない人』を見かけて、昔は自分なりに解釈して理解しなきゃダメだった。今は、よくわからない人に、よくわからないままで付き合える。……最近になってやっとね」
最近かあ。
弁護士業に多大な支障が出てたんだろうな……
「そうね。もっと早いところ『よくわからないものは、よくわからないままでもいい』って気づけたら、もっと若いころに事務所持てたかもしれないわね」
成長したなあ。
「ぶん殴るわよ。……それで、あんたの意思がサラちゃんの意思によるっていうのはわかった……っていうかあんたはわかってたんだから、サラちゃんの意思を確認しなさいよ。あたしもブラッドの意思を確認しとくから」
シーラおばさん……
とかつぶやいたらシーラの目がけっこうこわかったので、俺は咳払いしてコーヒーを一気飲みした。
「こういう時、イヤになるわよね。あたしはあんたに『おばさん』って呼ばれるとかなりイラつくのに、あんたはあたしに『おじさん』って呼ばれても、気にも留めないんでしょうね。まあ、気をつけたほうがいいわよ。戦うなら味方になるんだから、心証を損ねないほうが身のためよ」
最後に頼りになる言葉を残して、シーラは伝票を持ち、席を立った。
俺は笑って彼女を見送り、ふと、空になったコーヒーフロートのグラスを見つつ、思う。
俺と喫茶店に来ると、相手がたいてい伝票を持っていくんだが――
俺は支払い能力がないと思われているのだろうか……
世間での教職のイメージが気になった。
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