129話 サプライズで心停止

 三年間料理の学校に通ったうちの娘は、そのあと大学に行くらしかった。

 高校卒業資格はとれなかったので、一年ほど働きながら勉強し、資格を取得したのちに大学受験をするらしい。


 さすがに学費のようなまとまったお金は俺が出すことになるだろうが、生活費のほぼすべてを娘は自分の収入でまかなっている。

 バイト扱いとはいえ料理の仕事をして、その給料で自活しているのだ。


 なんだろうその克己の心は。ちょっと意味がわからない。


 我が娘は俺をしのぐ計画性と情熱をもって無職を目指している。

 ひょっとしたら俺がかつて目指していた『すべての状況に対応できて、誰かに生殺与奪の権を握られることのない人生』を娘は体現しようとしているのかもしれなかった。


 娘の人生に全然心配する要素がないのは親としては安心するような、寂しいような。

 うちの娘ぐらいにまでなるとちょっとこわいような気さえしてくる。


 そんな娘だが、恋愛系の話をほぼ聞かない。


 一時期は四人の男から取り合われていたという乙女ゲーの主人公みたいな経歴を持つ彼女だが、当時の彼氏たちと自然消滅してからというもの、浮ついた話はぜんぜん俺の耳に入ってこなかった。


 なので、


「彼氏だよ」


 とか紹介された時は心臓が止まった。


『心臓が止まったような気がした』じゃない。たぶん、本当に止まっていた。

 数瞬おいてから再び心臓が動き出した時、脈動は早く、呼吸は荒く、目は血走り、俺は息を整えるまでに数十秒の時間をようした。


 だって今日は、一人暮らしを始めた十八歳の娘が手料理をパパにふるまってくれる日だったはずなのだ。

 俺はそのための心の準備しかしていない。


 しかし玄関口で出迎えた娘は『最初からそういうつもりだった』みたいな、なにを考えているかよくわからない表情をしているし、俺の横に立つ妻もまた全然まったくおどろきも慌てもしていない様子だった。


 俺は高速で思考し、事態を把握する――これは、そう、『パパには言ってなかったが、娘とママのあいだでは話が通っていた』ヤツだ!


 子にとって母親というのは、父親よりも話しやすい相手らしい。

 まあそれは一般論で、俺とミリムは共働きしながらも均等にサラの世話をし続けたのだから、そういうのはないものとタカをくくっていたが……


 性別だ。

 男親に話しにくいことはあるし、女親に話しやすいことはある。

 俺たちはサラにそそいだ時間とは違う格差があって、今、それがミリム有利に働いていたのだ。


 俺は言う――彼氏連れて来るなら先に言って。


「パパに先に言うと素行調査とか始めそうだから……」


 始めますけど!?

 雇いますよ、探偵!?


「それはちょっとお金の無駄だし」


 俺は言葉に詰まった――詰まらざるを得なかった。

 だって、サラの横で彼氏面をするヤツは、俺もよく知っている男だったからだ。


 ブラッド。


 一時期サラの彼氏のうち一人だった男だ。

 俺の同級生であるシーラの甥っ子でもある(血筋的にはイトコの子なのだが、複雑な家庭の事情により甥っ子になっている)。


 赤毛の馬鹿そうなガキという印象だった彼は、長い赤毛をなでつけたスマートな青年に早変わりしていた。

 というかブラッドは、彼がサラとの彼氏彼女関係の自然消滅を迎えたあとも、俺個人とはつきあいがあったのだ。

 月に二回程度、新作のスタンプの試し打ちをする関係だ。

 言えよ……


 というかサラはてっきりルカくんを狙っているものと思っていた。

 それがなぜブラッドで妥協をする結果になったのだろう。


 聞きたいことは無限にあったが、その中の一つたりとも言葉にはならず、俺は酸素を求める魚のように口をパクパクとするしかなかった。


 そしたらブラッドのほうから弁解を始めた。


「いやパパさん、言おうと思ったんですよ。言おうと思ってサラちゃんにも聞いたんですけど、『面倒くさいから黙ってて』って言われて。でもね! でも言おうと思ったの。言おうと思ったその迷いが、送るスタンプとかに出てたんすよ!」


 わかるわけねぇーだろ!


 俺は寛大な父親になりたかった。

 ブラッドのことはぶっちゃけ嫌いじゃない……というか思い返せばサラよりもブラッドと遊んでいた時間のが長い可能性まである(サラは勉強ばっかりしてた)。


 俺からブラッドへの好感度は高い。

 しかし……彼が『娘の彼氏』という立場を得ているとわかった瞬間、ブラッドへの好感度がマイナスに振り切れてしまった。


 ブラッドはきっと仕事仕事で趣味も満足に得られないまま会社に使い潰されて、たびたび『会社辞める』とか愚痴るものの行動は起こさず、婚活サイトに登録したりしつつサクラに引っかかり、そのうち『会社辞めて漫画家になるわ』とか夢しか見てないようなこと言い出すんだ。

 俺は詳しいんだ。


「あー、それなんですけど、俺、じいさんの地盤継いで政治家になるんで、将来はわりと安泰なんスよね。サラが大学出るのも、じいさんの出した条件を守るためっていうか」


 なんでそっちのご家族側には話が通っている感じなんでしょうか?

 僕は意味がわかりません。

 反射的にシーラに通話を開始した。


 おいシーラァ! お前の甥っ子が俺の娘と結婚を視野に入れたおつきあいをしてるようなんですけれども、訴えるぞ!


『訴訟は相手と状況を見て起こしたほうがいいわよ。今は仕事中だからあとでね』


 あしらわれてしまった。

 くそ、土日も休みなく定時で上がれもしない弁護士め……

 ちょっと地域のニュースで『美人弁護士』とか取り上げられたからっていい気になるなよ。俺は教頭だぞ……


「パパ、中に入ってもいい?」


 まだ玄関口なのだった。

 俺はブラッドにどうにか敷居をまたがせず、サラだけ家の中に入れるような、そんなアイデアはないかと考えた。


 考えているうちにミリムが二人を家に招き入れ、サラが無表情のまま普通に帰ってきて(お帰りカム ホーム)、ブラッドが緊張したように入ってきた(お帰りゴー ホーム)。


 そのままなし崩しにおうちで会食となり、俺はテーブルから離れてはいけないと厳命され、キッチンで仲むつまじく料理をするブラッドと娘の姿を鑑賞させられる羽目になった。


 その日もまた、娘の料理をふるまわれたらしい。

 しかし俺はその後の記憶がなく、当然ながら、料理の味も覚えていなかった。

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