128話 柔らかい場所

 目がかすむんですよね、と話した。

 そうしたら『老眼じゃないですか』と言われた。

 事務仕事の作業中、今日は帰りに眼科に行こうと俺は決めた。


 三学期最後の登校日の、しかも下校時刻を三十分ほど過ぎていた。

 デジタル化された書類はハードディスクの中で山のように積まれていて、俺はデータの海をキーボードとカーソルを使ってさまよっていた。


 毎日『この時期はいそがしい』と言っている気がするのだけれど、今日は特例も特例だった。


 こういうことがないようにスケジュールをきっちり組んで仕事をしている。

 だけれど、外部でためこまれていた『さっさと俺に振るべきだった仕事』がついにせきを切って流れこみ始めたのが今朝のことで、締め切りは近くて、俺は濁流の前にさらされる哀れな小舟となるしかなかった。


 船体にたまった水をせっせと掻き出してどうにか沈没を防がなければならないのだけれど、すでに俺の船は腰までつかれるぐらい水がたまっていて、なにをしても沈没は避けられないのだという絶望感は俺の心にのしかかってきた。


『敵』だ。


 ストレスを避ける人生を送ってきた。

 これまではまあ、うまくいっていたと言ってもいい。


 けれど『ついに来た』のだ。覚悟していたよりはずっと命の危機から遠くて、けれど予定していた以上の焦燥感を俺に味わわせ、いっそあきらめてしまいたい分量なのに立場上あきらめることの許されない、そういう攻撃が、ついに『敵』よりもたらされたのだ。


 こうなると俺は『水を掻き出す』仕事をしつつも、沈没後に偉い人にする言い訳にも頭をひねらねばならなかった。

 沈没は避けられなくって、けれど俺はきっと生還できて、生還した先に『さて、お前はなぜ船を沈めたのか?』という質問に対して弁解する大仕事が待っている。


『お前のせいだよ』と言えたなら楽なのだが、世の中はそういう構造になっていない。

 正論と正義はまかり通らないのが世の常なのだ。それゆえに正義を題材にしたファンタジーはあとをたたず、正論を言うキャラクターが人にカタルシスを与えたり、『そんな正論言われたってどうしようもねーじゃん』とヘイトをためたりするのだった。


 そういうわけで俺はディスプレイを見っぱなしで、だからこれは眼精疲労だと思うんですよ。


 そんな俺の言葉を、隣で俺の仕事を手伝うアレックス先生は、どこか勝ち誇ったように笑った。


「いえ、教頭、私の父親もね、四十ぐらいのころは、それはまあ『老眼』だの『老化』だのを認めたがらなかったものなんですよ。けれどね、人間、四十歳にもなると、老いてくるものなんです。そして、それを認めたがらないものなんです」


 そう言う彼もそろそろ三十代半ばなのであった。

 アレックス先生は俺が教育実習をしたころ、中等科の生徒だった男だ。

 教育実習という立場でうまくクラスになじめなかった俺にそっせんして配慮し、俺をクラスに溶け込ませてくれた恩人である。


 そのさいに『教育実習生にトラップを仕掛ける』という、一歩間違えば事件にもなりかねないリスクある手段をとってくれた彼は、他者のために人生をかけられる男なのだった。


 さりとてちょっと不遜なところがあるのも事実で、特に二人きりの時などはカチンとくるようなことを不敵な笑みとともに述べたりすることもある。

 親しげな態度だと言われれば否定はしないのだが、それでもちょっと『線』を飛び越える瞬間があるのもまた、事実なのだった。


「老眼への対応は早いほうがいい。これはね、教頭、親切心で言っているんですよ」


 俺が年若い教育実習生で、彼が中等部の生徒だったら、頭をグリグリして終わる話なのだが、時代は今そういう感じでもなく、俺は教頭で、彼は担任を持つ教師なのである。

 老いと立場と時代背景が、俺たちの会話をむやみに複雑怪奇にしていく。


 俺は言う。

 ありがとうございます。ですが、仮に事実だとして、『老いを認めたがらない』とわかっている年代の相手に、老いを突きつけるようなコミュニケーションはやめたほうがいいですよ。

 相手の柔らかいところを把握しつつ、それを狙って突くようなコミュニケーションは、ただの攻撃でしかないですからね。


「ご指摘ありがとうございます。以降気をつけます」


 俺たちは悲しかった。

 俺たちが若ければ、あるいは立場や時代がこうでなかったなら、『お前年取ったんじゃねーの?』『うるせーな、わかってるって。言うなよ』『悪かった』ですむのだ。

 しかし俺たちの過ごす時代が、俺たちの立場が、無駄に会話を険悪な感じにしてしまっている。


 社会人は縛りプレイで会話をしているのだ。


 この言い回し縛りプレイは破ると『あいつ俺たちと同じローカルルールで遊べないやつなんだ』ということで仲間はずれにされるし、破らなくてもうまくできないと本意が伝わらずに過度な攻撃性をもった発言をしたと見なされたりしてしまう。


 まあアレックスのほうも理解しながらやってるとは思うのだが、『相手に正しく自分の意図が伝わっておらず、過剰な攻撃性のある発言と受けとられているのではないか?』という心配は、社会人になってこのかた、つきまとわなかった瞬間がない。


 まあアレックスのほうも理解しながらやってるとは、思うのだが。

 なんかちょっとムカつくよね。


 というかぶっちゃけ俺は老いを指摘されても別になんとも思わない。

 老いることは、俺にとっては嬉しいことでさえある。


 だからなに、単純に言い方っていうか、キャラの問題。

 年寄り扱いは別にいいが、お前に言われるのは気にくわない。


 俺はいつまで経っても心の底から大人になることはできそうもなかった。

 子供の心に大人の仮面でフタをしながら生きている。


 なので俺は考えた……この小さなムカつきに対する、小さな意趣返しの方法を。

 そう、俺は……小物だった。もちろん相手は選んでやるし、長々と小さなムカつきを抱え続けたりもしないが、今は予定外の仕事のストレスと、アレックスという中等科から知っている相手だという安心感から、ちょっとした意地悪をしてやろうと思ったのだ。


 俺は急に思い出話を始める――そう、それはアレックスがまだ中等科の生徒で、俺が新人教師一年目だった、ある春のことだ。

 ぶっちゃけ大きな事件はなにもなかった。なので語ることはたかが知れていて、俺の知る『中等科時代のアレックス』を春から冬にかけて順番におさらいしていくだけになる。

 だが……


「すいません、私が間違ってました」


 ただ『中学時代の生活をつまびらかに語られる』だけで、たいていの者は平服し、戦意をなくすのであった。

 これが中学教師の強さである。


 人は幼少期のことを語られると『そんなこと言われても』と不快だったり他人事だったり、そういう気持ちになる。

 人は初等科時代のことを語られると、『ああ、そんなこともあったな』と懐かしいぶることができる。


 だが、中等科時代の思い出だけは、心に刃を突き刺すようで、そのあたりのことを語られると『もうやめて』と泣きついてくるのだ。


 俺はこうしてむなしい勝利をおさめながら、最低限本日分の仕事を終えた。

 最後まで付き合ってくれたアレックスに言う――夕食、おごりましょうか?


「……呑んでもいいなら」


 俺は笑って帰り支度を始めた。


 終業時間が読めなかったのと、アレックスにはお礼をする意思が最初からあったので、ミリムにはとっくに『遅くなる。夕食を食べて帰る』と連絡を済ませているのだ。


 だから仕事と立場の枷から解き放たれて、語り合おうじゃないか。

 主にお前の中等科時代のことを、心ゆくまで――

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