117話 フラット

 娘が初等科の四年生になったすぐあと、俺はブラッドという名の少年に思いをはせていた。


 そいつは赤毛が特徴的なやんちゃそうな男の子で、娘とは学校の成績でよく争う間柄だったのだという。

 それがなぜ彼氏(のうち一人)になったのかは全然わからない。

 娘に『なんかだめ』とすごい切り捨てられかたをされたが、それでもうちに来て、娘からの好感度を下げつつ俺の好感度を稼いでいく彼には、いくらかマーティンを思い起こさせるところがあった。


 マーティンを思い起こさせるところがあるので、俺はこのブラッドくんが一生独身、すなわち娘の正式彼氏になることはなかろうと安心しているふしもあり、いつしか彼と男同士の語らいをすることになって、衝撃の事実に気づいた。


 ブラッドくん、シーラの甥っ子。


 シーラというのは俺と同級生の四月生まれ女子である。

 俺が初等科のころから成績において熾烈な争いを繰り広げ続けた好敵手であった。

 今は弁護士をやっているのでいくらか法律的な相談をしたこともある――そろそろ年齢的に父親の地盤を継ぐために政治家秘書になるとかいう流れの中にいたはずが、どうやら本人は弁護士を続けている模様だった。


 っていうかシーラ、きょうだいいたのか。


 俺は今さらながらシーラのことを全然知らないことに気づいた。

 父親が政治家であること、本人は弁護士をしていること、独身であること。

 これぐらいしかシーラにまつわるデータを知らない。


 おかしい。昔調べたはずなのだ。

 同級生なんだからそりゃあ調べるはずなんだ。当時、シーラは一人っ子という事実を俺は獲得していたはずなんだ。


 だというのになんで甥っ子がいるのだろうか?

 ちょっとブラッドくんから聞いてみたところ、かなり複雑な家庭の事情が明るみに出てきて、俺はそのすべてを聞かなかったことにしたし、ブラッドくんにも俺に話したことは忘れるように言った。


 しかしブラッドくんはまだ九歳である。

『言わなかったことにして』という俺の言葉に素直にうなずくあたりもふくめて、本人の性質的にはかなり素直であけっぴろげだ。ちょっと口の固さは信用できない。


 かといって根回しするべきツテもない。

 困り果てた俺はとりあえずシーラに言っておこうと思って、久々に彼女に連絡をとることにした。


「ああ、ブラッドのこと? うちの父親も、別に知られても困らないと思うけど」


 シーラはさばさばしているというか、なんとなくヤケになってるみたいな雰囲気で、吐き捨てるように語る。


「あたしが地盤を継がないって言ったから、あたしのイトコを養子にしたの。ブラッドはそのイトコの子供。公然の秘密っていうか、別に秘密でさえないから安心しなさいよ」


 俺、消されない?


「あんたは政治家をなんだと思ってるの?」


 俺にはあえて知らないようにしている世界がこの世に三つあって、それは『政治』『宗教』『スポーツ』だ。

 この三つだけは調査さえしないように心がけている――あらゆるバイアスを自分の中に入れたくないのだ。だから教頭とホウキラグビーに行く時でさえ、チーム名以外の情報は仕入れない。


「相変わらずね。……まあそれならちょっと聞いてよ」


 そこから色々政治からまりの話をされた。

 まあなんていうか、色々あって、またシーラパパの派閥が元に戻り、ブラッドくんは俺たちの通った学園に通うことになったのだとか。


 彼もゆくゆくは政治家にされるために育てられているとかで、シーラはそのあたり超気にくわないらしく、ここぞとばかりに俺に愚痴ってきた。


 俺、政治情報入れないようにがんばってるって言ったじゃん。


「こんなの政治情報じゃないわよ。変に支持政党とかある人には言えないのよね」


 まあわからんでもない。

 政治の話題は職場でも大人気で、主に現政権批判だとか、報道番組に提起された問題についての意見交換だとか、みんな嬉しそうにやっている。

 こうなるとノリが宗教とかスポーツのサポーターとかみたいなもんで、なんとなくアンチになる団体がみんなあって、その団体に味方するようなことを口にしようものなら面倒くさいことになるのだ。


 こういう『みんなが機会があれば語りたいと心に秘めている話題』について、俺は無知であり無関心でいられるようつとめてきた。

 その話題に触れなければコミュニケーションをとれないような状況に自分をおかないように戦略的に動いてきたわけである。

 ……その基準に照らし合わせると、つきあいでホウキラグビー観戦に行くのも、実はギリギリアウトって感じだ。


「あんたはフラットでいいわよね。『お父さんは立派な人なんだから言う通りにしなさい』とか『政治は生活の基盤だからもっと志高く政権を担うぐらい言いなさい』とかそういうこと言わないから」


 俺がフラットでい続けるためにもそういう話題はナシにしていただきたいのだが。


 俺は『思想』というものをおそれている。人の『それ』に感化されることも、自分の中に『それ』が芽生えることも、両方おそれているのだ。

 なぜって思想はたいていの場合において寿命を縮める遠因たりうるからだ。

『美学』『矜持』『思想』……このあたりは『生きる』ということを鼻歌交じりにやってのける人生余裕勢だけが持てる嗜好品だ。

 俺みたいに生きることで手一杯のヤツが手を出そうものなら、取りこぼして色々なものをなぎ倒しながら自分の足をすくうことになるだろう。


「あんたはほんと、『どの紛争地域で暮らしてるの?』って感じよね」


 生きることは戦いだからな。


「……まあいいけど。そういうわけだから、あたしはブラッドとはあんま関係ないし、ブラッドまわりのこと多少知ったって刺客が放たれたりはしないから安心していいわよ。っていうか刺客とか放たれないからね、普通に」


 普通に、か。

 俺は『普通』という言葉をあまり好まない。それは意味するところが広すぎて、人によって変化しすぎるからだ。


 まあそのへんまで言うと面倒くさい人扱いされるのは、いい加減俺も学習している――もう三十代も半ばだからな。


 しかし一点、これだけは指摘しておこう。

 シーラがブラッドと関係ないっていうのは嘘だ。


「……どうして?」


 シーラおばさんと仲良くしてるって話をブラッドくんから聞いてるから……


「…………」


 通話口の向こうで無言になられると、襲撃でもされたかと思う。


「……いいでしょ別に、仲良くしてても! 甥っ子だし!」


 いや悪いとは言ってないけど……

 しかしシーラさんの羞恥ポイントを踏んでしまったようで、通話は慌ただしく切られた。


 俺は肩をすくめて携帯端末をポケットに入れる。


 そうして、思うのだ。


 あいつも相変わらずのようだ。

 この年齢になって思うことだが――


 昔からの知り合いが『相変わらず』というのは、とても安心する。

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