118話 変化

 人類にはみな個性がある。


 このあたりの地域は『個性』を比較的歓迎するほうだと思う。

 ……いや、どうだろう。『比較的』とした時に比較する対象が『出る杭はなにがなんでも潰すのでみな個性あることを罪か精神障害のように思っている世界』になっている気がするので、真実はわからないが、少なくとも、俺から見て個性に寛容に見えるのはたしかだ。


 しかしこれはどれほど『個性』を歓迎する地域、社会、世界においてもそうなのだが、『個性的なだけの人物から人は遠ざかる』。


 個性には能力が不可欠だった。あるいは魅力が必要だった。

 ただ『個性的なだけ』は『変人』なのだ。変人は社会性を身につけ魅力的にふるまうか、変人のままでも受け入れざるを得ないほどに高い能力を持っているかしなければ、『変なだけの人物に人は近づかない』という当たり前の現実に打ちのめされることになる。


 そして『変なだけの人』なのか『個性的な人』なのかは、社会生活において『既婚かどうか』で判断されることがわりと多い。

 結婚していますよ、というのは『パートナーが見つかるだけの社会性を持ち合わせている』という意味合いにとられることが多いのだ。

 パートナーの成立経緯の多様性を思えば『それはどうなんだ?』と思わなくもないのだが、世の中では少なくともそういうことになっている。


 では、マーティンという男はどうか?


 パートナーはいない。三十半ば、独身。

 趣味は『辞めたい』と言いながら社畜生活を送ることで、たまにふわふわした夢にとらわれて暴走する時があるが、それ以外はきわめてまじめな会社人かいしゃじんである。


 収入は問題がない。

 ……むしろ月給換算では同世代の平均よりもらっているぐらいではなかろうか?

 まあ、時間給換算すれば、ずいぶんと低いような気はしないでもないが……


 ではなぜ、彼は結婚できないのか?


 いちおう言うと、俺は人生のおいて結婚というものをまったく必須だとは思っていない。

 結婚するしないは自由だし、高校のころからつきあいのある相手を、既婚かどうかでジャッジすることもありえない。


 でも――


 同窓会でマーティン独身が明らかになった時――


『ああ、レックスがいるからね』

『レックスのせいでしょ』

『まあレックスと仲いいから』


 ――俺のせいでマーティンが結婚してないみたいに言われたのがクッソしゃくなので、俺は今、マーティンをどうにか結婚させてやろうという闘志を燃やしていた。


 俺たちはいつも利用している安居酒屋で『第一回マーティン結婚させよう会議』を開催した。

 参加者は俺とマーティンの二名で、あとから思えばこの人選の時点で俺たちは『レックスがいるからマーティンは結婚できない』と言われた背景について解き明かす気もなければ、俺たちの関係性が抱えているらしい問題に真剣に取り組む気もなかったんだなと思われる。


「まずさ、レックスに言いたい。俺は自分の意思で結婚してないだけであって、する気になればできるから」


 ほんとにぃ?

 俺はおおいに疑った。


 なぜならば俺はマーティンのずぼらさを知っているからだ。

 家事力が全体的に足りていない。

 そう言うと彼は『いや、仕事のせいで時間がないから……』とか言うのだが、一事において仕事を言い訳にする者は、万事において仕事を言い訳にする傾向が強い。


 別に俺に対して仕事を言い訳にするのはかまわない。

 だが……嫁に対して仕事を言い訳にするのはまずかろう。『仕事のせいで』は万能の言い訳に聞こえるのだが、実際、それで済ませられないこともけっこう多いのだから……


「そういうのね! そういうのが面倒くさいから俺は結婚しない方針でいるの!」


 なんかマーティンは早速酔っていた。

 同窓会でけっこう飲んだのだろう。俺も似たようなものだった。


 俺は言う――まあ落ち着け。お前はこの会合の趣旨を勘違いしている。

 この会合はお前を結婚させるためにおこなっているのだが、俺にはお前を結婚させる気はない。


「どういう意味だよ?」


 そもそもこの会合が開催されたのは、同級生どもに『マーティンが結婚できないのはレックスのせい』と言われたことが、俺の癪に障ったからだ。

 つまり、お前が結婚できること、あるいは、お前が結婚できないのは俺のせいではないことが証明できれば、俺の溜飲は下がるのだ。


 この会合のすべては――俺の溜飲を下げるためにおこなわれる。

 だから俺はお前が、俺の存在と関係なく結婚できない理由をしゅうとめみたいにチクチクあげつらう。

 お前は悔しかったら『自分は結婚できる』ということを俺にわからせればいい。


「……なるほど。つまりこれは」


 そう、これは――決闘デュエルだ。


 俺たちは互いの手札を切り合った。


 俺のターン! マーティンが結婚できない理由! 『放浪癖』! 心身ともに安定性がない! 体は休日に思いついてふらっと旅行に行く! 心は会社辞めて楽に稼げそうな話を見つけるとフラフラと追い求める! これは結婚できない!


「俺ターン! 『貯金額』! 働けど働けど使う機会のない金が口座にめっちゃ貯まる! 放浪癖は『金を使いたい』という欲求からくるものだ! 金の使い途がほかにあれば放浪はしない!」


 俺ターン! モンスターカード!


「モンスターカード!?」


 俺たちは適当なことを言いながらマーティンをディスりまくった。

 酔っていた。俺も久々に飲んだ。マーティンは久々ではないのに飲んだ。しゃべっているうちにほのぼのと酔いが発してきて、俺たちは店員が注文をとりにきただけでも笑うほどだった。


 語っている内容は相当容赦ないマーティンこきおろしだった気がするのだが、なぜか俺たちは、というかむしろマーティンが大爆笑をしていた。

 俺とこいつのつきあいが今もって続いている理由は、マーティンの人格によるところが九割ぐらいを占めているだろう。

 俺はわりと容赦のない正論を言うほうだ。それが正しいとはまったく思っていないし、相手を追い詰めるために正論を並べ立てるほど愚かなことはないと思っている。

 だから普段は他者に迎合するようなことをよく言うのだが、それはどうにも、俺の本質ではないらしい。


 昔から――それこそ前世からずっと俺の基本的な人格は変わらない。

 正しいことは正しくあるべきで、間違っていることは間違っていると思う。

 俺の思う『正しさ』なんてものは真理でもなんでもないし、俺が間違いと思うようなことが世間では正しいともてはやされることはままある。

 そんなあやふやで主観的な『正誤』を俺は信じたくてたまらないし、主張したくてたまらない――そういうのが、俺の本質的な人格のようなのだ。


 社会で生きていくには邪魔な、そして人に嫌われる、融通の利かない性質だ。


 だから俺は普段、隠蔽して生きている。

 やわらかさを心がけて人と接している。


 けれどそれは俺にとって無理がある生き方だった。

 その生き方を続ける限り、俺の心にはおりがたまり続ける。


 ……そんな心に堆積したものをはき出してスッキリできる相手が、マーティンという男なのだった。


 最初はマーティンが結婚できない理由をあげつらっていたはずが、だんだんと互いの悪いところをけっこうガチめに言い合う会合になってきた。

 でも俺は笑ったし、マーティンはそれ以上に笑った。


 けなし合っているのになぜこれほど心が晴れやかなのだろう?

 わからない。きっとマーティン以外にこんなことを言われたら俺は黙って席を立つだろう。

 マーティンもまた、俺以外に言われたら不機嫌そうに押し黙るものだと、俺はなんとなく想像……いや、希望した。


 酔っ払い二人は互いの輪郭が溶け合うぐらいに飲んで笑った。俺たちは一つの生物みたいになりながら会計を済ませ、店を出る。


 人通りに混じれば俺たちはすっかり自分の輪郭を思い出して、俺とマーティンは別個の生命体としての自我を取り戻した。


 昔遊んだ公園まで行って、ブランコに座る。


 あたりはすっかり夜だった。

 これからだんだんと暑くなっていくのだろうけれど、酒を浴びるように飲んだ俺たちに、今日の夜風は少し冷たい。


 かつて漕いだはずのブランコはずいぶん低くなっていた。

 俺たちは足を地面につけて申し訳程度に前後に揺れるだけしかできない。


「はー信じられねーな。俺たちもうすぐ四十歳だぜ」


 たしかに信じられなかったけれど、おどろきもなかった。

 むしろ両親が六十歳になったほうが、よっぽど信じられないし、驚愕の事実だ。


 俺たちはどちらも自分の加齢についてはとっくに受け入れているフシがあって、このまま老いていって体に不調が出てきたりすることも、『まあ、だよな』ぐらいに思っている。

 けれど俺たちは、『自分が一歳年をとるごとに、自分のまわりも一歳年をとる』という当たり前のことだけは、なぜか受け入れがたく思っているようだった。


「俺はほんと、金の使い途がねーからさ。今貯めてるの、両親の介護に回そうかと思ってるんだ。まあ旅行も好きなんだけどな」


 マーティンは夜空に向けてつぶやいた。

 俺は応じない。彼が話している相手は俺のようで俺ではないと思えた。話し相手にここから見える星と同じぐらいの沈黙を求めているように感じられたのだ。


「でもさあ、そろそろこわいよな。仕事辞めてヒマになった時、なにすりゃいいのって。俺の人生、マジで仕事しかねーからさ。結婚すればなんか変わるのかな。旅行もなあ。老いた体にムチ打ってまでってほどじゃねーし」


 俺には彼の言葉に対して、色々と言えることがあった。

 結婚をするしない、は関係がない。趣味を見つけられるか、その趣味のために時間を使えるかは本人の資質の問題だ――

 趣味なんかなくたってべつになんとでもなる――

 いっぽうで『今』しかできないことはあるから、時間は無理にでも作ってなにか始めるべきだ――


 俺には、『思想』がない。


 長生き以上の希望がない。すべての行動は『生ききる』ためにおこなわれている。

 だから、『趣味を見つける』ことを肯定も否定もできず、俺の意見はどこか傍観者めいた、パッションのないものにしかならない。


 マーティンは俺が無理矢理にでも彼をなにかに誘うことがないとわかっているのだろう、最後まで星を見上げたまま、


「独りで生きて、独りで死ぬのかな」


 彼は俺に、意見も答えも求めなかった。

 だから俺は、なにも言わなかった。


「付き合わせた。……嫁と娘がいるってのに悪いな」


 俺は首を横に振る。

 今日は時間を作ってある。

 お前としゃべる時間ぐらい、いつだって作れる。


「……珍しいこともあるもんだ。お前にしては感傷的なこと言うじゃねーの」


 それはきっとお互いさまだろう。


 俺は夜空を見上げて、ブランコをこいだ。

 大きくなりすぎた俺たちに、幼少期のままのブランコは低すぎる。成長した俺たちは新しい遊具を探さなければならなくて、大人は適した遊具を見つけるのも一苦労だ。


 視点が高くなって、体は重くなった。


 そのことを『成長』だなんだと、さも『前に進んでいますよ』みたいに表現することはできるのだろうけれど、これはそんないいもんじゃなくって、きっと、ただの『変化』なんだろう。


 とりとめもないことだ。口に出さずに俺たちはわかれる。


 吹き抜ける風に身震いしながら、俺は家族の待つ家へと、帰った。

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