103話 赤ちゃんはどこからくるの

 雨期が過ぎたとたん、季節は駆け足で熱気を増していった。


 昨今の気候の変化は生物の体で対応するのが難しいほどめまぐるしくなっていた。

 それは体調に常に気づかっているはずの俺が風邪を引いてしまうほどであり、世界はだんだんとその悪辣な牙を俺たちに突き立てようとしている。


 世界が人類を滅ぼそうとしている――そんな不吉な予感の中でも慶事はあって、それはもちろん、アンナさんの第一子がめでたく誕生したことだった。


 それはかわいらしい男の子で、アンナさんとその旦那さんの顔立ちから推測するに、きっと将来とんでもなく顔のいい男になるんだろうなという予感がした。


 俺の胸中は感動や安堵ばかりではない非常に複雑なものだったのだが、アンナさんの子供と出会った我が娘の胸中にはもっと大きく、そして筆舌に尽くしがたい感情がうずまいたらしい。


 しきりにアンナさんの赤ちゃんに触りたがり、実際に触らせてもらい、そして赤ちゃんと離れる時には泣き叫んで別れを惜しみ、なにより家に戻ってからも赤ちゃんの話題ばかり出してくる。


 これはちょっと特異なことだと思う。


 なにせ娘のサラは俺が通っていた保育所にいるのだ――すなわち『年上が年下の世話をする』という習慣がある保育所通いであり、三歳となったサラは、もう年下の子のお世話を任されているはずだったのだ。


 赤ちゃんというものに触れるのは初めてじゃない。

 なんなら飽きるほど見ている。


 だがアンナさんの赤ちゃんに出会った時のサラの感動っぷりは、まるで『産まれて初めて自分より年下の存在と出会った』と言わんばかりであり、俺はちょっと違和感を覚えた。


「ぱぱ……サラも赤ちゃんほしい」


 大好きなりんごジュースに口もつけず、物憂げにじっとテーブルに視線を落としていたかと思えば、いきなりそんなことを言われた。

 俺は言う――サラ、お前はまだ赤ちゃん産めない。


「かわりに、だれかがうむ」


 この年齢で代理出産の概念をとらえているとは、俺の娘は天才なのではないか?

 同じテーブルについているミリムから「そういう意味じゃないと思う」と言われて、俺はちょっと考えてみる。


 代理出産ではないとすると、誘拐か。

 誘拐……誘拐はしかしリスクが高すぎる。サラよ、まず、この国には法律というものがあって……


 ここでミリムから「弟か妹がほしいっていう意味じゃない?」という注釈が入った。

 なるほど、一理ある。『赤ちゃんがほしい』と言われて、俺なんかは言葉のまま『赤ちゃんを手に入れたい』という意味にとったが、サラの語彙はまだ少なく、表現方法には(同年代と比べれば天才的な域にあるとは思うが)つたないところがあった。


 ならば発言の裏にある真意をこちらで見抜いてやる必要があるだろう。

 弟か妹がほしい――なるほど、そういう意味で『赤ちゃんがほしい』と言っている可能性は高そうだ。


 しかしサラよ、弟や妹というのは、『ほしい』と思ったからすぐ手に入るものではないのだ。


「チャージがひつよう?」


 サラは語彙の一部を朝のヒーロー番組から得ていた。


 俺は解説しようとして気づく――これ、性教育だな?

 どうしよう。俺は困った。中学校教師をしている俺は中学生から性教育に片足突っ込んだような質問をされることもないではないし、その対応法も考案、実践をしている。

 しかし三歳児に対しての性教育方法はまだなんにも考えていなかった……


 こういう時にこの世界では『煙が雲になって、その雲から雨が降ると、たまに地面から赤ちゃんが生えてくる。大人はそれを収穫してるんだよ』みたいな話でお茶を濁すのが通例だ。


 しかし俺はそうやって濁すのをあんまりいいことだとは思っていない。


 子供は質問魔なので、『収穫ってなあに?』『赤ちゃんは地面から生えるの? なんで?』『煙が雲になって赤ちゃんになるの? どうして?』と質問責めにされる。

 そうやってされた数々の質問に『赤ちゃんが地面から生える』という嘘設定を維持したまま答えることの困難さを知っているし、こちらが矛盾した回答をすれば子供は即気づくし、『大人に嘘をつかれている』と子供が感じた時に負う心のダメージをまったく甘く見ていないのだった。


 俺は固まった。

 理解できないだろうが正直に言うのがもっとも手っ取り早い……しかし子供は吸収した知識をすぐに人に広めたがる。

 ファンタジーのないリアルをサラに教え込めば、サラはすぐにそれを保育所で大声で吹聴するだろう……そうなると、サラが周囲の子から『変なこと言ってる』と思われかねない。そして人には『変なこと言ってるやつ』を排斥する本能が備わっている。


 子の世間体のためにも、時に親は与える情報を絞らねばならないのだ。


 悩む。困る。苦悩し尽くし、俺は、俺の得意な方向でサラに納得してもらおうと結論した。


 いいかいサラ。

 その話は――お前にはまだ早い。

 時が来たら必ず教えるので、今はなにも聞かないでくれ。


 俺の得意技は『先送り』だった。


「ままー!」


 俺が教えないのでサラがミリムを呼んだ!

 まいった……ミリムにまかせてもいいんだが、ミリムってけっこうあっさりリアルを教え込みそうなところあるんだよな……

 しかし俺から言えることは思いつかないので、黙って成り行きを見守るしかない。


 ミリムは無表情のままコクリとうなずいて、サラの目をまっすぐに見て、言う。


「今日のおやつは……プリン」

「プリン!」


 プリン!


 サラはプリンが大好きだった。

 最近は都合が悪いことが起こるたびに『お姫様のポーズ』を要求されすぎて、もう反射的にお姫様のポーズをとらなくなってきたサラだったが、プリンの話をするとあっさりと話を逸らすことができるのだ。


 俺はミリムを見た。

 瞳に『助かった。しかしそのごまかしかたもいつまでもできるものじゃない。次の対策を考える時が来ているのだろう』というメッセージを込める。


 ミリムはうなずいて、冷蔵庫からプリンを取り出した。

 みんなで食べたプリンはおいしかった。

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