90話 パフェがくるまで
「大変なのはわかるよ。でも……ボクは君に確定申告をやってほしいんだ」
痛みさえ感じるほど寒い日々が続く、ある一月初めのことだ。
祖父の入院は続き、ミリムのおなかはいよいよ『なにかいる』とハッキリわかるほどにふくらんでいた。
色々な忙しさが重なる中、これ以上なにか予定を入れては身がもたないと思い、俺はこれまでやっていたことを一つ、やめることにした。
カリナの秘書業である。
こんなタイミングだし通話でもいいかなと思って連絡したところ、いかにもカリナらしい返事が来たため、『こりゃ直接会わないと無理だ』と思い、カリナの実家(職場を兼ねている)近くの喫茶店で落ち合うことにしたのだった。
そしたらこれだ。
俺は前々から言っていたことを重ねて言うほかなかった――税理士に相談しろ。
「わかってよレックス……オタ趣味に理解のない税理士にイケメンフィギュアの用途について聞かれるとか死んでもイヤなんだ……」
それは普通に『図書研究費です』って答えろよ。
まあ気持ちはわかる……というかカリナの気持ちに一定以上の理解を示せないなら、もう俺たちの関係は切れてるはずだしな……
しかし俺はおじいちゃんがいつ危篤になるかわからないし、妻が妊娠している……
ここらで一つ勇気を出すタイミングだと思うんだよ。税理士、意外とこわくないよ。
「ずるいよレックス……親族の危篤と奥さんの妊娠とか……ボクのほうにそれに対抗できるカードが一個もないの知ってるくせに……」
ずるいと言われても事実なんだよなあ……
「仮にボクが妊娠したらどう?」
いや、がんばってとしか言えないけど……
ご予定は?
「リアル方面の話題はなにを振ってもボクに都合の悪い方向にしか転がらないから嫌いだ」
このタイミングで注文したコーヒーが来たので、俺はブラックのまま口に運んだ。
カリナの前にはまだなにも来ない。俺は話を続ける。
なんだっけ……そうそう、税理士だよ。俺がお前の税務やるのって法律的にグレーっていうかさ、バレたらブラックだよ。
金銭の授受があるとまずいと思って焼き肉払いにしてもらってるけど、それもいつまでも続けられないっていうか……
だからさ、ここらで気分を一新して、新しいことを始めるべきなんじゃないかな?
「ボクを捨てるの!?」
休日のファミレスにはたくさんの家族連れがいて、その人たちが一斉に俺たちを見て、そして慌てて視線を逸らしていった。
俺はテーブルの向こうにいるカリナに手招きして、顔を寄せた。
勘違いされるからまぎらわしい言い回しをやめて。
「あ、ごめん……でもボクは実務関係を全部レックスに投げてたから、今ここで捨てられるとどうしていいのか……」
だから税理士を雇えって、すさまじい回数忠告してるんだけどさ……
俺たちの話は全然進まなかった。
最近、カリナとの会話はいつもこんな感じだ。
「……うーん、わかった。自分でやってみるよ」
なん度かの押し問答のすえに、カリナはようやくそういう方針で決めたらしい。
いや、税理士を雇えってば。
「レックス……ボクはね、『新しい知り合いを増やす』ことへのストレスがすごく高いんだ。必要とか不要とか、そういう話じゃない……ボクは心の健康のためを思って、税理士さんにお願いしないんだよ」
お前と俺って本当に『出身惑星違うの?』ってぐらい遠い精神性だよなー。
かつて俺は『人類は年齢を重ねれば自然と大人みたいな考えかたになっていくものだ』と思っていた。
しかしカリナや他の連中を見るに、大人になるには、大人になろうと志す必要があるようで、誰でも自然と大人になるわけではないようだった。
もうカリナもアラサーと呼べる年齢なのだけれど、彼女は中学のころのままだ。
というか見た目も全然変わらない。服装に多少フリルが増えたぐらいで、なぜコイツはこんなにも若々しいままなのだろう……
いや、背は伸びてるし、化粧とかもしてるはずなんだけど、それでもなんか若い。
やはりストレスか? 自分の心の正直に生きている彼女にはストレスがないのか?
しかし睡眠は時間帯も時間も不安定で、食事はまともにとらず、おまけにとってもジャンクフードとエナジードリンクで、常に締め切りを抱えているようなコイツが若いのは、解せない……
「よし、わかった」
カリナはどこか遠くを見ながら、唐突にうなずく。
たぶん注文の品がまだ来ないので、店員さんの動向をうかがっているのだろう。
「レックスも本職があるもんね。税理士チャレンジしてみるよ」
動画のタイトルみたいな言い回しだなと思った。
「ボクがもっと大御所漫画家だったら普通にアシとして雇うんだけどな……やはり金か……世の中お金でできないことはない……五千兆ほしい」
まあ仮にアシとして雇ってもらえるとしても、俺のほうが職業を『漫画の作画アシスタント』にする気がないからな……
そんな不安定でいそがしそうな職業、やだよ。
「レックスが三十歳まで結婚してなかったら専業主夫として雇ったんだけどな」
マジかよ……そのルートがあったのか……
でもなあ、不安定だしな……ミリムと結婚する前に、カリナの夫になって人生が安定する保証が一つもなかったから……うーん、未来さえ見えたらアリだったかも……
「レックスの人生は『全部のヒロインにある程度好意的に接してたら結果として一番攻略が簡単なヒロインのルートに入った』みたいな感じだよね」
的確すぎてイヤなたとえだった。
まあ、マーティンルートに入らなかっただけよしと思おう。
「ああ、なつかしいねぇマーティンくん。水着で抱き合ってた相手だよね」
そんなことあったっけ……
「とにかくボクもがんばるからさ。なんか、雑談とかあったら声かけてよ。今、色々大変なんでしょ? とりとめもない会話ができる相手は貴重じゃない?」
……。
失礼ながら、カリナに気づかわれて、俺は感謝するより先に驚愕してしまった。
そんな気づかいができるとは思っていなかったのだ。
くわえて言うなら、『とりとめもない会話ができる相手は貴重』と言われて、俺自身、初めてその『とりとめもない会話』の大事さに気づいた。
仕事中はもちろん仕事のことを考えているし、家にいるとどうしても祖父のことと生まれてくる子供のことばかり考えてしまって、たしかに、それ以外の、力が抜けるような会話をする機会を俺は失っていたのだ。
「いやほら、いつまでもシリアスパートばっかりだと読者の息が詰まるでしょ? ボクも漫画とか書いてるからね。そういうのはわかるよ」
そう言うカリナは中学校から全然変わっていないようで、やっぱり変わっていたのかもしれない。
人は勝手に大人にならないが、それでもちょっとずつ、子供ではなくなっていくのだろう。
「あと赤ちゃん産まれたらスケッチさして。赤ちゃんエピソードも教えて。あと触らせて。赤ちゃんの前腕とかすごくいい感触らしいんだよね」
やはり下心はあったらしい。
その下心の打ち明けもまた、彼女流の『とりとめもない会話』の提供かもしれない。
こう見えて意外とものを考えているのだろう。
俺は礼を言って、その場を去ろうとした。
しかしカリナが「待って」と言う。
なんだろう、まだなにか話があるのか――不思議に思って首をかしげる俺に、彼女は言う。
「まだボクのパフェが来てないから、食べ終わるまでそこにいて」
一人でパフェ食べるの恥ずかしいじゃん、と彼女は言った。
俺は肩をすくめて、彼女の食事を待つことにした。
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