68話 わたし、誘われてない

 自分の悩みが解決すると目が外に向くもので、俺は、俺の一番身近にいる『謎の存在』について、ようやくその謎を解き明かそうという心持ちになっていた。


 ミリムというのはまさしく謎のカタマリだ。


 もちろんよく知っている。赤ん坊のころからのつきあいだ。オムツも替えた。よく遊ぶ。最近は一緒にいる時間も増えたし、なにかにつけて祝い事は一緒におこなう。


 彼女の口癖は一時期『わたし、誘われてない』だった。

 なるほど仲良しなのだから、遊ぶ時には誘ってほしいというのはまったくもってその通りだ。

 俺は『かわいいヤツめ』とスルーしてきたが、ちょっと考えてみると、『いや、男同士で遊んだんで、普通誘わないでしょ?』みたいな時にも言われているので、持ちネタだと思ってもやや、こわさがある。


 思えばミリムの『誘われてない』は幼いころからずっと続いていた気がする。俺が遊びに行ったと言えば必ず『誘われてない』が出てきた。

 修学旅行まで『誘われてない』と言われた時には、いや学校行事やん……という気持ちをさすがに禁じえなかった。その文句は俺じゃなくて学校に言ってほしい。


 なぜあんなに誘われたがるのか。ひょっとしてミリムの一発ギャグみたいなものなのか……様々な可能性を想像し、しかし結論が出なかった俺は、ついにミリムの『誘われてない』という言葉の意味について聞くことにした。


 マルギットに聞くことにしたのだ。


「いや、知りませんよそんなの。だいたい、ミリム先輩、そんな頻繁に『誘われてない』って言う人じゃないですし」


 バイトの休憩室には四角いテーブルが一つだけあって、俺とマルギットは隣り合った辺にいた。

 テーブルが大きめなのだ。対面すると会話にはやや遠くなる。


 だからこそ会話を避けるなら対面に座ればいいと思うのだけれど、マルギットは必ず、四角いテーブルの俺と隣り合った辺に座り、ほおづえをついて、俺のほうを見るのだった。


「というかお二人のあいだでわからないことが、なんで私にわかるんですか。皮肉ですか?」


 マルギットの応対はおおむね敵対的だ。

 しかし俺は彼女を『敵』だとは判断しなかった――理由は簡単だ。あからさますぎる。そして、これだけあからさまに『お前のこと気に入らないオーラ』を発していながら、手ぬるすぎる。


 この世界の『敵』はもっと狡猾で慎重だ。

 敵意をむき出しにするなら、それは俺にトドメを刺せるタイミングだろう。

 だからマルギットは『単純に俺のこと嫌いな人』だと判断できる――待って、なんだそれは。悲しい。


「別にレックスさんのこと嫌いじゃないですよ。ただ許せないだけで」


 許せない、というのは初めて言われたことだった。

 俺が許せないという感情を誰かに対して抱くのはどんな時だったか――考えてみて、思い当たるケースがいくつかある。


 ひょっとして俺――

 マルギットの故郷の村、燃やした?


「放火のご経験が?」


 あるわけがない。

 俺はこの世界に生まれてからというもの、『素行』というものに気を払って生きてきた。


 なぜなら『現在』は『過去』に根ざすものだからだ。

 過去に『若気のいたり』でやってしまったことが、現在、思わぬ痛手となって足をすくうことも起こりうる。

 俺はそういった予想しがたい角度からの攻撃には常に備えていて、その結果、素行に気を配り、やや杓子定規と思われようが、ルールを守って――守っているように見えるように――生きてきた自覚がある。

 よって放火はしたことがない。


「いやまあ、そこは『あるわけないだろ』って言ってくれたら普通に話が進みますよ。そんな本気で検討しないでください」


 しかし人は無意識で動くこともある生き物だからな……

 この世界の人類も、肉体が精神の制御を離れることはままあるらしい。ネットなどには『不良にからまれた。意識がなくなって気づいたら全員ボコッてた』みたいな投稿も散見されるのだ。


 俺は異世界でいくらかの格闘技をやっていたし、この世界では生活のそこここでちょっとした役に立つ程度の『魔法』を、兵器みたいに転用する式も知っている。

 俺が無意識になったら、俺の非才を加味しても、わりと大規模な破壊活動が可能になってしまう。

 話では不良にからまれると意識を失い暴力行為に走るらしいので、からんでくるような不良がいない今の環境はだいぶ恵まれているのだろうと思っている。


 俺は異世界人であるあたりを伏せたまま、『本気で検討する価値がある』ということを熱弁した。


「……レックスさんって、考えかたっていうか、物言いが、半歩ぐらい世間とズレてますよね」


 おかしい。

 偽装には心を砕いているはずだ。

 そりゃあ、俺には百万回の転生経験があるのだから、この世界にまったく問題なくなじめるとは思わない。だからこそ平均的であろうというたゆまぬ努力をしている……


 つまりマルギットは鋭いところがあるのだろうか?

 俺はやや警戒を強めた。ひょっとしたらマルギットは『敵と思わせて敵じゃないと思わせて敵』みたいな相手かもしれない……

 そもそもマルギットは出会った時に『こいつは大丈夫だろう』とこちらを安心させてきたのだ。それを思えば、相当な手管の持ち主とも言えるかもしれない。


「……とにかく、レックスさんが知らないミリムさんのことなんか、私が知るはずないでしょう。私はただの後輩なんで。……第一、なんで私に聞くんですか。ミリムさんのこと知りたいなら、直接本人に聞いてくださいよ」


 いや、だってさ……

 ミリムのことミリムに直接聞くの、緊張するじゃん……


「……ハァ~。あの、失礼だと思いますが、正直に言わせてもらうと、『のろけんな、死ね』って感じです」


 今の『のろけ』なんだろうか。

 マルギットは立ち上がって休憩室を出ていってしまった。

 気づけばもうすぐ休憩時間が終わる。俺も業務に戻る必要があるだろう。


『わたし、誘われてない』の言葉の意味は、本人に聞くよりほかにないようだ。

 ……まあなんだ、あんまりふれてはいけない気配も感じるので、勇気が出たらそのうち聞こうと思う。

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