47話 試用期間の重要性

「逆にどうする?」


 逆。


 俺の人生はいつでも逆転現象が起こっていた。

 それはもちろん『転落からの浮上』ではなく『幸福からの不幸』の方向での逆転現象だ。


 もちろん幸福と不幸はつねに天秤の両皿にのっているものだ。

 他者から見て不幸でも俺にとって幸福という場合はあるし――というかそんなんばっかりだった――逆に、俺が人生をあきらめるほどの不幸だと認識していることも、ある視点から見れば幸福に見える場合もあるだろう。


 では、幸福と不幸の転換はどのようにして起こるのか?


 その契機にはいつでも『決断』があった。

 決断とはすなわち『ある選択肢を捨て、ある選択肢に賭ける』ということで、ようするに俺は決断が裏目に出ない人生が今まで一度もなかったのだった。


 さて、シーラ先生のアドバイスを受けて、俺はある日ミリムを部屋に呼び出し、たずねた。


 ひょっとして俺たちは――付き合っていたのか?


 ないと思う。ないとは思うが、『俺はないと思うんだけど、客観的にそう見えるらしいという意見が出てるんだけど』などとは前置きしなかった。

 余計な配慮を生む可能性があって、俺が聞きたいのは、配慮しない、ミリムの率直な意見だったからだ。


 そうしたら『逆に』と来た。


 逆……逆か……俺はどうなんだろう……ミリムと俺……

 俺はミリムを妹だと思っていたが、そもそも妹ってなんだろう……厳密に言って、俺に妹はいないのだった。ミリムは妹的存在ではあるが、血縁はないし、人種は違うし、本当にまったく全然女性として意識していないかと言えば、そこまででもない。


 逆に俺はミリムをどう思って――


 ん?


『逆にどう思う』とは聞かれてないな?

『逆にどうする』?


『どうする』ってなんだよ。


「レックスにまかせる」


 まかせられた。

 俺はとりあえずミリムを正座させて、説教を開始する。


 よろしいですかミリムさん、おつきあいというのは二者の合意なくして成り立ちません。それに、大事なことでもあります。それを『相手にまかせる』というのはいかがなものかと。


「そういう話、めんどくさいから……どっちでもいい。レックスだったらずっといっしょでも気楽だし」


 その視点はなかった。

 たしかにそうだ――俺は『恋愛』だの『結婚』だのを、『新たなる関係性を始めるもの』だと認識していた。

 だが、別に、いいのだ。俺の人生にはミリムがいる。ミリムとのつきあいは気楽だし、お互いに黙ったまま同じ空間にいてもなにも気まずくならない。


 俺の目標である専業主夫が結婚後死ぬまで続くものだと仮定すれば、『気楽さ』というファクターは重要視してしかるべきものだ。

 ならばミリムが俺の雇用主筆頭になるのは、俺にとってメリットしかない。


 しかしここで俺の中に端倪たんげいすべからざる心の動きが存在した。


 それは『意地』と呼ばれるものだった。

 生きていくうえで必要のない精神性ベスト3に入るであろう『意地』と呼ばれるそれが、俺の心の中で小さく、けれど必死に叫ぶのだ。


『ミリムに養われるのはさすがに格好悪い』


 格好悪い。

 いいんだよ格好なんか悪くても。格好よく生きて格好よく死ねたらそりゃあ、それが一番いい。けれど人生には妥協が必要だ。

 完璧に生きられる者などいようはずもなく、俺ほどの不運であれば、『完璧に生きよう』などと望むことさえ身の程を知らない愚行に違いなかった。


 格好悪くても、気楽に長生きするべきだ。


 意地と虚栄心とプライドは身を滅ぼす三大精神要素だ。

『格好つける』という行為にはその三つがまんべんなくふくまれている。ならば格好なんかつけないべきだ。

 ミリムさんの足にすがりついて『私を養ってください』とふくらはぎでもなめるべきなのである。幸いにもミリムの成績はいい……将来高給取りになる可能性は低くない。


 だが俺の中で『意地』が必死の抵抗を見せている。

 黙れ。つぶれろ。そう唱えても、意地のやつは俺とミリムの交際に断固として首を縦に振らないのだ。


 ……ああ、思い出す。

 俺はいつでもこうだった。生きるのに不要なものを全部切り捨ててきたのに、最後の最後で、切り捨てきれなかったものに殺されてきた。


 今回は――ただちに死にそうではない。

 だがきっと、将来的に、ここでミリムの世話になる道を選ばなかったせいで、いらない苦労をするのだろう。


 それもいいか、と俺は笑った。

 生ききることを目的にかかげながら、俺は、意地を通せない人生を、また、選べなかっ――


「高校卒業までお試しでやってみる?」


 ――。


 お試しかぁ。


 お試し。試用。高校卒業まではもう一年もない。なるほど試用期間としては妥当なところだろう。

 それに俺は経験不足だ。恋愛の素人である。人生九十年リアルタイムアタック本走の前に一年ぐらい試走してみるのは、今後の人生のためにも大事なことだろう。


 俺は自分の中の意地に問いかけた。お試しだって。どう?

意地「お試しなら、まあ」


「じゃあよろしく。なんかそれらしいことしたくなったら言って。わたしもしたくなったら言う」


 こうして俺たちはお試し恋人を始めたのだった。

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