45話 ウンコ道
俺は赤ん坊のウンコについて考えていた。
ウンコは汚い。それは生理的にもそうだし、もちろん細菌学的にもそうだ。
排泄物であり、体が『いらない』と判断したものが詰まっている――生物によっては自分のウンコを食べて栄養補給をするものもあるようだが、『人間です。自分のウンコ食べます』とか言う人がいれば、正直言って吐き気をもよおすし、そいつとはお近づきにならないようにつとめるだろう。
ウンコは汚い。これはゆるぎようがない事実だ。
だが赤ん坊のウンコはどうだ?
ウンコは見ただけで不快になる。他人のウンコなんか不愉快で当たり前だ。公衆トイレ、流し忘れた大便器……思い出したくもない体験を俺もしていて、レバーをひねって水が流れていく様を見ている時、俺の心にはなんとも言えない、虚無のようなものが満ちていた。
だがオムツを替える俺に、そういった気持ちはない。
もちろんウンコなので食べようとも思わないし、触ろうとも思わない。だが、不愉快ではない……そのウンコは実に不可思議なものだった。
「ないわ……」
マーティンにウンコトークを仕向けたところ、そのように反応された。
どうにも世間では赤ん坊のウンコも大人のウンコもともにウンコであり、ウンコはすべて同列にウンコでしかないようだった。
ここに俺は可能性を見た。
つまり、俺の感性は『世間』から外れていることとなる。
『ウンコは汚い。それがなにもののウンコであろうとも』。
これが一般的な感性だとするならば、俺の『赤ん坊のウンコならそうでもないし、オムツを替えるのも苦ではない』というのは一般的でない、俺特有の感性ということになるだろう。
世間から外れているというのは、『目立たない』という目的をかかげる俺からすれば、避けるべき事態だった。
だからこそ俺はそれ以上マーティンに赤ん坊のウンコトークをしかけることなく、華麗に話題転換をして毒にも薬にもウンコにもならない話をしたわけだが……
一般的であるかのようにふるまうことと、中身まで『一般的』に合わせてゆがめることとは、違う。
俺は『赤ん坊のウンコは平気』と思う自分の感性を是正する必要を感じなかった。むしろこれは得がたい特性だと考えたのである。
すなわち赤ん坊のウンコに対する耐性こそが俺の欠落あるいは長所であり――『人とは違う、自分だけの感覚』であり、換言するに『才能』と呼ぶべきものだと判断したのだ。
俺は自分の『才能』を発見することができずに人生を送ってきた。
最初から『才能なんかない』とあきらめていたというのもある。俺は百万回の転生で、一度たりとも己に才能があると認めることがなかった。
不遇だった。不幸だった。才能も運もない人生はうまくいきようもなく、俺は幾度となく『人生は(才能+努力)×運勢で成り立っており、運と才能がないならば、どれほど努力しても成功はつかめない』と思わされてきた。
ところがこの俺に才能があったのだ。
ウンコ!
俺は己の将来を親のたどったレールをなぞることしかできないと思っていた。いや、それさえもどこかで運勢や才能の壁につまずき、失敗すると考えていた。
ところがここで才能が発覚し、俺の目の前には考えもしなかった新しいレールが出現する。
すなわち、ウンコの道に進む。
そう、保育士だ。
他人の赤ん坊のウンコをいやがっていては保育士はつとまらない。
三歳児が一歳以下の子の世話をする習慣は続いているようで、オムツ交換なども三歳児がやることも多いようだが、それでも保育士がまったくその手の世話をしないわけではない。
保育士になる上ではいくらかの壁があるだろうし、なってからも続けていくためにぶつかる壁は多いだろう。
もちろんその壁は『他人の子供のウンコを世話することへの抵抗』だけではなかろうが――ウンコが平気な俺は、いくつかある壁のうち一つをすでにクリアしていることになる。
これは、その道を志す上で大きなアドバンテージなのではないかと考えたのだ。
そして俺の前に新たにあらわれたレールは、一本だけではなかった。
もう一つある。赤ん坊のウンコが平気という才能を活かせる道。
すなわち――専業主夫だ。
こちらで世話するのは他人のウンコではない。我が子のウンコだ。平気でないはずがないだろう。
これは俺がひそかに努力を続け、カリナたちに『向いている』とほめられた『ヒモ』に用いる技術をそのまま転化できるのだ。
家事ができる。赤ん坊の世話ができる。なるほど専業主夫は考えれば考えるほどヒモと同じ技能を求められる職業だ。
なによりヒモは契約書を交わさないが専業主夫は契約書を交わす……その一点だけで考えても、安定度はヒモより数段上と言える。
俺は将来目指すべき職業の欄に、新たに二つを書き加える。
もちろん他者に見せるようなものには『教師』『保育士』だけだが、他者に見せない将来の計画表の一位は『ヒモ』から『専業主夫』に変わり、結果として『教師(からの塾講師)』は四位に転落した。
おりしも受験が来年にせまったころではあるが、俺にはもはや受験勉強の必要はない。
望む進学先はたいてい推薦で行くことが可能だし、エスカレーター式に学園の大学課程に進むならば、それこそなんの問題もないだろう。
ならば俺は高校三年の一年間を、将来のために活かせる時間としなければならない。
そう――『ヒモ』『専業主夫』……これら二つの職業に就くには、ある難題をクリアせねばならないのだ。
すなわち『相手』。
俺を養える経済状況を(将来的にでも)持ちうる相手を探し、その人に雇用されなければ始まらない。
こうして俺は嫁探しを始めることになる。
具体的にどう活動していくかは――想像もつかない。
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