44話 新たなる命

 黄土色の葉っぱが昨日の雨で地面に貼りついている。


 気づけばみずみずしい緑色の葉は枯れ、あたりには落ち葉の敷物ができあがっていた。

 特に高等科校舎に向かう坂道のふもと付近はこの時期になると街路樹からたくさんの葉が落ち、清掃をする人たちが初等科生徒たちとあいさつを交わす光景が風物詩となっていた。


 熱すぎた夏はこうして過ぎ去り、俺たちはまた一歩進級へと近づいていく。

 文化祭、生徒会選挙とつつがなく終えて(また生徒会長になった)、本年度のイベントもその多くを終了したころ、ようやく学年内に蔓延していた恋愛熱病も過ぎ去る気配が感じられ、気温がほどよい涼しさになったのもあり、クラスの居心地もよくなってきたように思う。


 俺は過剰に『勉強してるアピール』をする必要もなくなり、授業の合間に雑談をしつつ、携帯端末に来たカリナからの「冬はどうする?」という問いかけに「そちらこそ受験は?」と返して既読無視を食らったりしていた。


 そう、俺たちも来年は受験だ。


 まだ一年あるとも言えるし、もう一年しかないとも言える。

 周囲にはあせり始めた者が三分の一ほど、根拠もなく『まだだいじょうぶ』とのんびりしている者が三分の一ほど、残った三分の一はきちんと来年の受験に備えている者で、少数ではあるが就職を目指す者もいた。


 就職。

 自分の力で稼ぐというその道を、俺も考慮しなかったと言えば嘘になる。

 現在のような、生活のすべてを他者(親)に握られている状況は、『安定』と言えるか? ということは考えたのだ。


 安定。それは俺が求めてやまないものだった。

 長生きするためには安定が肝要で、ストレスなく、困窮せず、自分のために使う時間を持ち、それでいて自力で生活していけるという状況は俺の目指すところだ。


 考慮した結果、俺は学生を続けることに決めていた。


 なぜなら就職とは『雇用主を変える』ことに他ならない――はて、学生の身分で雇用主がすでにいるような口ぶりではないか? と思う者もあるだろう。

 いる。

 俺たちはみな生まれた瞬間から『親』に雇用されているのだ。


 俺が長らく疑問だった『大人はなぜ赤ん坊をVIP待遇するのか?』という理由についての答えがこれで、親は赤ん坊がそのうち成長し、そして利益をもたらすことを実体験から知っている。

 だから赤ん坊を世話し、恩を売り、そうして赤ん坊が生み出すであろう利益の分配を受けるべく、一人前になるまで育てるのだ。


 つまり俺は衣食住の世話をされいくらかの自由になる金銭を受け取る代わりに、『将来性』というものを親に支払っていたのである。


 長年の疑問が氷解して俺は胸がすくような気持ちだった――思い返せば十七年前、俺はこの世で新たなる生命を始めた。

 泣き、喰い、漏らすしかない、己の足で立つこともかなわない脆弱なる生命として生まれたのである。


 こんな生き物の世話をして、いったいなんの得があるのか?

 あまりに手厚く俺を遇する母や父の意図をはかりかね、たとえば『赤ん坊こそ最強』という仮説を立てるなどもした。


 だが、赤ん坊は――弱かった。


 小さく弱いその生命は親の自由になるがままだった。

 俺の百万回の転生経験から言って、こんな生き物を世話する価値などない。だが、俺は世話された。なにも提供できない俺という赤ん坊は、こうして十七歳になる年まで生かされ続けているのである――『将来性』というものを対価に支払って!


 なるほど『赤ん坊状態ではなにもできず、老いれば能力の下がる』生命体であるゆえの先行投資だ。いずれ親が老いた時、赤ん坊だった生命は勢力絶頂の『大人』になる。

 これは己より若い者からの反逆を防止し、かつ老いたあとに世話をさせるという遠大なる計画だったのだ。


 それに気づいてからというもの、俺も幼い子たちに恩を売る活動を始めた。

 具体的には生徒会活動で幼稚舎、初等部、中等部に出向くことがたまにあるので、そういった機会には子供らの世話をし、彼らをうやまい、かわいがったのである。


 お前たちは今、なんの疑問もなくすくすく育っているかもしれないが――

 将来いずれ、思い出すだろう。『愛情』という名の呪縛。『恩』という名の足かせが、すでにその身につけられていることを。

 フフフ……大きくなあれ……大きくなあれ……


 ところで高等科二年生も終わりかけたある日、ミリムからこんな連絡を受け取った。


「赤ちゃん産まれた」


 ちょっとなにを言ってるかわからないですね。


 俺はおおいに混乱した。『目立たない』『目立たない』『目立たない』……三つ唱えて息を吸う。三つ唱えて息を吐く。

 俺は『目立たない』と唱えることにより心の平静をたもとうとするクセがあった。人生において幾度『目立たない』と唱えたかわからず、もはや俺の中で『目立たない』という言葉は意味を失い、呪文のようになっているおもむきさえあった。


 俺は自分の頭が色々な想像をするのを止めるのに必死にならねばならなかった。


 ミリムに赤ちゃんが生まれた――


 まずミリムとは誰だ?

 そう、俺のかわいい妹分だ。


 はるか東方島国に多く住まうという『獣人』種の少女で、今は高等科の一年生で、先日、生徒会にも入った。

 二週間に一度は部屋に招いて勉強会のような、ただの雑談会のようなことをしている。

 高等科となった女子のスケジュールを二週間に一度という低くない頻度で奪うことに多少の罪悪感も覚え、別に保育所時代から続いている習慣とはいえ、そんなにいっぱいうちに来なくてもいいんだよと言ったこともあったが、ミリムは頑としてゆずらず、俺たちの交流は続いているのだ。


 しかしミリムの高校生活について、俺は知らないことも多い。

 学年の壁だ。一学年違えばそこはまったくの別世界となる。もちろん生徒会活動で学園でも時間をともに過ごすが、俺の知らないミリムの生活はたしかにあるし、知らないあいだ、ミリムが誰となにをしようが、知らないんだから知らないのだ。


 祝福すればいいのかなにすればいいのか、俺は対応を決めかねていた。

 思えばミリムももう十六歳。肉体機能的に赤ちゃんがいてもまあ不自然ではないと言えるかもしれないが、社会の風潮的に学生で赤ちゃんがいるというのは世間からの白眼視は避けられないだろう。


 冷たい世間の風にさらされるミリムに対し、俺がしてやれることはなにか?

 それは――祝福だろう。

 あと、場合によってはミリムの相手を異世界転生させてやらねばならない……


「レックス、あのね、聞いて」


 はい。


「親戚の赤ちゃん。わたしの赤ちゃんでは、ない」


 はい。


 ……だよねー!

 そうだと思ってた!


 そうに決まっていた。それ以外になかった。逆にどうしてミリムの赤ちゃんだと思った? 意味がわからない。そんなこと、考えるまでもないだろうに。


「レックス、心当たりないでしょ?」


 ないよ。

 っていうか二日前に家で会った時、『赤ちゃんがいそう感』なかったよ。


 俺は『冗談だよ』とミリムに告げて、ついでに赤ちゃん鑑賞に付き合うことにした。

 なんでもミリムの父方の親戚に赤ちゃんが生まれたらしい。それでミリム家に来るので、なぜかミリムが俺を呼びつけたというわけだった。

 冷静に考えればなんでミリムの親戚の赤ん坊を俺が見せられることになるのか、その因果関係には不明瞭な点も多いんだが、俺は赤ん坊に恩を売れるなら機会を逃したくないタイプだ。その将来性、買い付ける。


 かくしてミリム家で見た赤ん坊は小さくてかわいかった。

 俺はこれまで自分の中で練り続けた『両親、将来性の対価に赤ん坊の世話をしてる説』は打ち砕かれる。


 だってこんなかわいい生き物、世話せずにはいられない。


 そう――両親をはじめとして、俺を世話していた面々が買っていたのは、将来性ではなかった。

 かわいさであり――癒やしだったのだと、ほとんど知らない人の赤ん坊のオムツを替えながら、俺はようやく知ることができた。


 あとオムツは日々進化していることも、知ることができた……

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