42話 夢へ向かう人たち

 久々に再会したカリナはやはり眼帯も包帯もしてはおらず、代わりにメガネをかけていた。


「私たちがこれからいどむのは――戦争なんだよ」


 祭りの売り子、と言われて俺は市の出店みたいなものの店番を想像したが、それは間違いであり、ある意味で正解だった。

 俺たちが扱うのは焼いた粉物でも綿飴でもなくて、『本』なのだ。


 同人誌即売会――そういったイベントが大きなものだけでも年に二回おこなわれており、そこでは素人が書いた漫画や小説、その他グッズが発売されるのだという。


 カリナは高校に入ってからというもの毎年参加しており、今年は三回目の参加となるらしい。

 今では常連客もいるそうだ。


 なるほど彼女の描いている漫画は絵もうまく、漫画をあまり読まない俺にも内容がわかりやすく、これで『素人レベル』だというのだから最近の漫画界はいったいどうなっているんだと恐怖さえ覚えるような代物であった。


 現在、俺は『勉強』をなによりも優先しておこなっている。


 だが、あらゆる誘いを断っているのでスケジュールは空いているし、カリナの誘いからは例の熱病患者が発するような独特のニオイはなかったし、なにより同人誌には彼女の熱意と夢がこれでもかと詰め込まれているらしい。

 その夢の手伝いをするというのはどこかほこらしさを覚えるようなことだった。

 俺には人に堂々と言えるような『これ』という夢がなく、また、寝食を忘れるほど情熱をかたむけられることもないあたりも、カリナの手伝いに前向きな理由になるかもしれない。


 ようするに懸命な人がうらやましいのだった。そして、好ましいのだった。

 人生において『なにかに打ち込む』ということをしない俺としては、彼女が熱量をかたむけるものが『生ききる』目的からすればなんら意味のない寄り道だとわかってはいても、そこに労力を費やせることに喜びさえ抱いているのだった。


 そういうわけで手伝いに『否』はない。

 俺はコスプレ売り子を引き受けた。


 待って。


 コスプレ売り子ってなに?


「コスプレ売り子は……コスプレをして、売り子をすることだよ」


 彼女は重苦しい声で語った。

 俺はそれ以上詳しい話を聞けない――向かい合う彼女の顔には、疑問を差し挟ませない迫力があった。

 コスプレ売り子がなにかは知らないが、重大な任務だということが言葉ではなく心で理解できた。


 彼女が『これのコスプレをする』と示したのは、あまり漫画などに詳しくない俺でも知っているキャラクターで、語られた公式設定を参照するに、なるほど体格が俺に近いことがわかった。

 彼女は布を買いカツラを買い、手縫いでその衣装を仕上げるのだという――想像以上の熱の入れようである。

 なにかに真剣に打ち込む人を見ると、こちらも気が引き締まるような思いになってくる。俺はすすんで彼女の手伝いを申し出た。

 彼女は『他の仲間』と俺を引き合わせるついでにと、俺の申し出を承諾した。


 そこが深淵の入口だった。


 手伝いを申し出たが最後、その瞬間から俺たちは運命共同体になった。

 夏休みが始まったとたんにカリナの部屋に招かれる。

 カリナはどうやら高等科から一人暮らしを始めていたようで、『祭り』の準備期間は仲間たちとそこで寝泊まりするのだという――カリナの部屋。カリナの仲間は二人とも女性。男一人女三人泊まりこみ。部屋は一つ。なにも起きないはずがなかった。


 徹夜に次ぐ徹夜。壊れ始める心。言動は支離滅裂になり、ささいなことでキレる。

 最初は俺という異分子に緊張していた面々であったが、次第にそんな余裕さえなくなり、高校三年生のお姉さんたちに俺はこれでもかというぐらい『女性』への幻想を砕かれる羽目になった。


 それは大変な毎日だったけれど、得がたい日々でもあった。

 終わってみれば『よかった』と思える経験になることは間違いないのだが、いつ終わるんだこのデスマーチ。


 せまる締め切り。間に合わないスケジュール。

 どうして前もって余裕をもってスケジュールを設定しておかないんだ、と俺は責めるようにたずねた。

 カリナは言う。


「スケジュールを設定する。スケジュール表を見る。『あ、まだ余裕があるな』と思う。翌日、スケジュール表を見る。『どこかで二日分がんばれば余裕だ』と思う。また翌日、スケジュール表を見る。『三日分ぐらいなら徹夜すればこなせるかな』と思う。だんだんと『二日分を二回がんばれば』『三日分を二回』『三日分を三回』となっていく。そうして――『今』がある」


 なにもわからないことがわかった。


 俺が漫画関係でできる作業は皆無だったのでそちらはカリナたちにまかせ、もっぱら衣装方面と物資補給面(雑用)で力を発揮することとなった。

 俺は裁縫ができる。掃除ができる。炊事ができる。奇しくも『ヒモ』を目指して鍛え上げてきた家事能力がここで役立ったわけである。


「いいなあレックス。ほしかった。ちょうど君のような存在が二年前からほしかった……」


 目の下に尋常じゃないクマをつくりながら、肌も髪もボロボロにして語る彼女は、それでも美しかった。

 その空間には『男女』というものがなく、『恋愛』というものがなかった。

 いや、恋愛はあったが、それは紙の上で創作された男女……ではなく男男が語らうものであって、それを創作している俺たちとは縁のない世界の話だった。


 恋愛熱病でうわついたクラスメイトたちをうんざりして見ていた俺としては、その混沌に満ちた空間は居心地がよく、あと男女を意識しないとは言ったが、やっぱり連日の徹夜で精神がとろけた先輩女子に抱きつかれたりすると俺はちょっと嬉しい。


「今回はレックスがいるから、みんな最低限の身ぎれいさは維持できてて助かるよ……」


 俺がいなかったころの話を聞くのがこわい。


 俺は掃除をし、料理をした。コーヒーをいれ、栄養ドリンクを差し入れた。

 机で寝る者あらばたたき起こし(寝たらなにをしてでも起こせと厳命されていた)、部屋の換気をし、印刷所のスケジュールを確認した。


 すべてが終わったあと俺たちは『終わった!』という充足感などみじんもなく、一人、また一人と死ぬように眠りにおちていく。

 一方で普通にスケジュールを組んで普通に毎日寝て普通に仕事を終えていた俺は、印刷所に連絡をし彼女たち入魂の漫画をデータから実物へと昇華させる地味な作業をおこない、床に散らばる十八歳(&十七歳)女子たちをきちんと並べてブランケットをかけたりする。


 買い出しに行き、お菓子を作ることにした。

 カリナの部屋は調理器具が少ない……だが俺はフライパンさえあればたいていのものは作れる。ついでに掃除と整理をすませ俺が使いやすいようにしたキッチンは快適でさえあった。


 彼女たちがほぼまる一日の睡眠のあと目覚めたころ、俺は彼女らにまずは風呂をすすめ、そのあいだに準備していたお菓子を用意した。

 コーヒーは原稿中にガバガバ飲んでいたのでこれ以上は胃に悪いかと思い、ささやかな脱稿祝いとして買ったちょっといい茶葉を水出ししておいたアイスティーを三人に注ぎ、フライパンだけで作ったワッフルに生クリームとフルーツをあしらって提供した。


「執事だ……リアル執事だ……」


 俺ははにかんで答えた。実は俺、『ヒモ』を目指してるんだ――それは誰にも語ることのなかった、俺の、ささやかだけれど、本気の夢だった。

 カリナたちは「いいと思う」「向いてると思う」「冬もお願いしたい」と口々に言ってくれた。

 俺は知ったのだ。夢を肯定されることがどれほど嬉しく、気持ちいいかを……


 俺たちは夢に生きている。

 そして――夢の祭典が、いよいよ、始まろうとしていた。

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