40話 愛と社会
「レックスって、ほんと、バカ」
バカというのはなんだろう?
俺は、やはり『バカかどうか』を問うのに成績は考慮する意味がないと考えている。
学校の勉強は、正直なところ、モチベーションの問題だ。
俺は成績トップだが、自分の知能がほかと比べて優れているとは思わない。
ほかと違うのは『今度こそ天寿をまっとうする』という熱意であり、『天寿をまっとうするために勉強(=この世界で多くの者が履修していること)はできたほうがいい』という経験からの確信であり、『シーラなんかに絶対に負けない』という対抗心なのである。
ゆえに『バカ』という言葉を『知能が低い』という意味で用いるならば、成績は問わないと俺は考える。だから成績トップの俺がバカ扱いされても、不思議とは思わない。
だが一方でこう出し抜けにバカ扱いされると不満を覚えるのも事実だ。
俺はことのほか『成績トップ』という事実にほこりを持っており、バカと言われた瞬間『まあ俺は成績トップなんだけどね』ととっさに頭によぎるあたり、成績がいいことを無意識のうちに『頭がいい』条件にふくませている可能性があった。
いけないいけない。
まあ――成績はトップなのだが。
さて、俺がマーティンに『バカ』と言われた経緯について考察しよう。
なぜ俺より成績が悪く、女の子にも別に好かれていなかったマーティンが俺をバカ扱いしたのか?
話の流れはこうだ――先日の映画鑑賞会にマーティンたちは来なかった。その理由を俺は問いかけた。
するとマーティンは言葉を濁し、「それよりも、シーラと映画、どうだった?」とたずねてきた。
質問に質問で返すんじゃねーよ。『それよりも』ってなんだ。ドタキャンしておいてヘラヘラするな――そういう言葉が浮かんだが、俺は感情を完璧に制御できる十六歳だ。マーティンのボディに一発入れるだけですませ、親切にも彼の質問に答えることにした。
喫茶店でずっと勉強してた。
そうしたらバカと言われた。
「レックスお前……お前……勉強以外にさ、ない? もっと、こう……」
マーティンはやはり、よっぽど俺たちに勉強してほしくなかったと見える。
だから俺はヤツの肩を抱いてこう言った。お前もしてたんだろ、勉強。
「いや、してないって」
そこはしてろよ。
俺とシーラの勉強時間を奪う罠をはって、自分は勉強しないというのはいかにも片手落ちだ――俺はわずかに落胆してしまう。
敵対者の足を引っ張る時は、足を引っ張った勢いで自分も前に進まねばならない。
ところがマーティンは足を引っ張るだけで満足し、その勢いを利用しなかった――俺たちから勉強する時間を奪っておいて、自分は勉強しなかったのだ。
それでは差は縮まらない。本気で成績トップを狙うなら――勉強しろ。
「いやいやいや……成績トップを狙うとかじゃなくって……その、ほら、なに? シーラとお前さ、なんていうの?」
俺はこういう『察して』みたいなことが苦手だった。
『わかるだろ』的な態度で接されると、『わかる』としたほうが角が立たないことは知りつつも、ついつい『わかるかよ!』と返したくなってくる。
社会に属する生命体がしばしばかけられる、『同調圧力』というやつである。
さも『共通の認識』があり、『それを知らないことはいけないことだ』というような雰囲気を作り出し、目には見えないコモンセンスの威を借りて高圧的に接されることを、俺はなにより気持ち悪く感じていた。
しかしこういったコモンセンスの威を借る個人は悲しいかな、多い。
無意識的、意識的問わずに『ついついやってしまう』ようなことだと考えている――高圧的な者は悪意をもって高圧的にふるまうのではない。己が高圧的にふるまっているとさえ気づけないから、高圧的になってしまうだけなのだ。
マーティンとは気のおけない友人同士だから、本人が自覚できない
だから俺はやわらかくマーティンに注意した。今の『察しろ』的な態度、場合によってはアームロックかけられるゾ☆
そう言いながら俺は右手をマーティンの右手に伸ばした。アームロックをかけるためだ。
「本当にわからないのか……」
マーティンは半歩俺から遠ざかったが、今の『本当にわからないのか』がちょっとアームロックポイント高かったので、俺は一歩距離を詰めた。
「いや! バカにしてるんじゃなくて! その、お前さ……シーラのこと、どう思う?」
俺はシーラについて正直な所感を述べる。あいつ外部組代表みたいな顔してるの絶対おかしいって。だっていなかったの中等科だけじゃん――
「そうじゃなくって……くそ、俺から言っていいのかわかんねぇから、これ以上言えない……」
どうやらマーティンにはなんらかの禁則事項があり、今の歯切れの悪い言葉の数々は、その禁則事項に抵触しないための、彼なりの精一杯らしかった。
俺は感動し謝罪する。ごめん。アームロックポイントは取り下げる。
洗脳だ。
マーティンはなんらかの洗脳を受けている。だというのに俺に情報をもたらそうとしている……なるほどいちいち『察して』みたいな態度だったのは、洗脳により脳髄に刻み込まれた禁則事項に違反しないようにしていたからだったのだ。それは察してもらうしかないだろう。
だがわからない……俺とシーラを罠にかけたのに、俺たちの勉強時間を奪う以上の意味が?
俺とシーラ……この組み合わせに『成績がいい』以外の共通点があるのだろうか……わからない。俺たちをセットで勉強から遠ざけたかった理由……
「レックス、お前の人生、勉強以外にないの?」
もちろんある。
勉強以外にも俺は運動だって欠かしていない。
『健康こそが生存の
加えて、どれほどの武装を奪われても筋力だけは奪われないこともまた知っていた。
だからこそ俺は勉強と筋トレを欠かさない。そして体は資本だという認識から、食事もまた気をつかっていた。
ヒモを目指しているのでそのためにも料理は役立つし、平行して家事全般も履修している。今では一瞬で三枚のシャツを同時にたたむことさえできる……そう、魔法ならね。
「……」
マーティンは言葉を失っていた。
彼の目つきはなぜだろう、優しかった。小首をかしげ、慈愛に満ちた目で俺を見ていた。
「なあレックス――愛は、大事だぜ」
それはもちろん知っている。……いや、今生を十六年過ごしてきて、ようやく最近気づいたというべきか。
今生の俺は、一人では生きていけない――機能の話だ。社会に属する生命体がなぜ社会に属しているかといえば、それは『社会がなければ生きていくことが困難』だからだ。
食べ物を確保し料理し食事し排泄し、排泄物を片付けそのかたわら様々なことをし……と本気で『一人で生きよう』と思うと、生きていくだけで人生が終わってしまう。
そんなカツカツな人生、少し体調を崩しただけで終わる。すなわち支え合いが、より効率のよい人生の基本で――愛とは、『他者に気持ちよく支えてもらうために必要なもの』なのだ。
この完璧な理論を聞いて、マーティンは無言になった。
そして慈愛に満ちた優しい目つきで俺を見て、俺の肩をぽんと叩き、言うのだ。
「違う。そうじゃない」
マーティンはそれ以上言わなかった。
きっと禁則事項なのだろうと思った。
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