39話 時間というリソースの有効消費と非効率消費

 やれやれ。


 時間というのは誰しもにとって有限のリソースである。

 そのリソースの使い方は生存理由に準じて個々人で決めればいいと俺は思う――が、そうもいかない生命体がいる。

 主に『社会』に属する生命体がそれにあたる。

『社会』に属する者は、自己の時間の使い方さえ自分では決められない事態がまま発生するのだ――たとえば今の俺のように。


 五月に始まった連休は日差しの強い日が続いていた。

 強風と直射日光にさらされて唇はガサガサ、体はカラカラ。気温はやや暑いぐらいだというのに、精神的には砂漠にいるも同然だった。


 連休半ば、俺は映画館に来ていた。

 映画というのは大型魔導板スクリーンで動画を見せる娯楽だ。

 大音量・大画面で見る映像作品はたしかに迫力があるのだろうが、しばらくすれば家庭向けに配信されたりもするので、俺としてはわざわざ金銭と魔力を徴収されてまで映画館に足を運ぶ必要をあまり感じていない。


 ようするに映画鑑賞は俺にとって時間というリソースを割く価値の低いことだ――が、ここで俺が『社会』に属する生命体であることが問題になる。

 つまり俺自身価値を感じていないことであろうが、『つきあい』という名の圧力によって時間というリソースを割かねばならないケースが発生しているのだ。


 さて、映画開始時刻までは、あと十分を切った。


 なにごとも早めに万全なる準備をしておきたい俺としては、そろそろ座席に着いておきたいころあいだ。日差しは強く風も強く、そして映画館にぞくぞく人々が流れていっている。すごい焦る。というかチケット購入はまだ間に合うのだろうか……先に買っておいたほうがいい?

 俺は焦りたくない……焦りはストレスだ。俺は今生において約九十年ほど生きねば『天寿まっとう判定』が出ないので、ストレスなどで寿命を縮めたくないのである。


 マジでなんだ。なぜ誰も来ないんだ。

 マーティンはいい。あいつは遅刻が常だ。しかしシーラは遅刻するイメージがない……いや待て、イメージがないだけで、そもそもシーラと待ち合わせたことが全然ない。


 早まった……!

 待ち合わせ時刻からはや二〇分。俺は一人でここにいるわけだが、ひょっとして、俺から勉強時間を奪うための、シーラの悪辣なる罠だったのかもしれない。

『シーラはそんなことしない』と信じ切っている俺がいて、だからこそ罠の可能性を疑うべきだろう。


 罠でも襲撃でも、悪意ある行動は必ず意外な方向から一撃を入れてくる。

 だから理想はあらゆるものを常に疑い続けることだが、全方位に疑いの目を向け続けることによる精神的疲弊は避けたい。

 だからこそ、俺は疑うべきもの、疑うべきでないものを慎重に選別し、シーラが奸計を用いるなどとは『疑わない』と結論づけたのだが……その判断さえ超えてきたというのか。


 もしや――シーラは『敵』なのか?


 そう考えれば思い当たるフシがモリモリ浮かぶ。

 俺は『目立たない』という目的を常に抱き続けて生きてきた……だが、初等科の時など、シーラに成績で対抗されてそのもくろみははかなくも崩れ去った。

 中等科は比較的目立たない日々が続き(生徒会長になったぐらいだ)、しかし高等科に進んでシーラと再会したとたん、いつのまにかエスカレーター組代表みたいな立ち位置にされ、外部組代表みたいな感じにおさまっているシーラとやりあい、目立つ日々が続いている……


 だが、だが、それは少しおかしいのだ。

 シーラが『敵』だとすれば明らかにおかしな点があって、それは『敵』が『闘争心を奪う』という方針で動いているのに、シーラがあからさまに闘争心をむき出しにし、俺の闘争心をあおってくることだ。


 どちらが間違いだ?


 シーラが『敵』だという判断か?

 それとも、『敵』が『闘争心を奪う』という方針で動いている、という分析か?

 いったいどちらが……


 悩ましくうつむいていると、視界の端に赤毛の女があらわれた。

 シーラだ。


 待ち合わせ時間より二十五分遅れでの登場である――だから走ってきたのだろう。息を切らせ、汗を流し、俺の目の前で止まった彼女は、呼吸を整えるために数秒を必要とした。

 そして、


「ごめん。今日来るはずだった二人が、いきなり、来れないって言って……事情の確認してたら、遅くなった」


 二人がいきなり?

 一人が、ならわかる。だが二人同時に? そんな偶然があるのか?


 疑問を覚える俺の手の中で、さっきから握りしめていた携帯端末が鳴る。

 それはマーティンと、やはり今日映画を一緒に見る予定だった男からの連絡で、二人はグループチャットでこんなことを述べた。


『悪い、今日行けなくなった』


 ……考えろ。

 こんな偶然はありえない。六人のうち四人がとつじょ欠席を表明するか?

 そもそもマーティンは遅刻魔だ。しかし、遅刻する時は必ず待ち合わせ時間前には連絡してくるマメさを持ち合わせてもいる。


 罠だ。


 なにかの罠なのは間違いがない――だが、いったいなにを目的とした罠なのかがわからない。

 見ればシーラは事情を知らない様子だ。ということは、シーラもまた、俺と同様、罠にかけられた側なのだろう。

 もちろんそうではないケースもあるが、思考する時間さえ惜しい。シーラも俺もともに被害者という観点で考察を進めるしかない。


 罠をかけた者は、俺とシーラを映画館に送り出し、どうする?


 俺とシーラの共通点とは。

 なぜ、マーティンたちが、俺とシーラを罠にかけた?

 ……そうか、そういうことか。


 俺はシーラに告げる――


 マーティンたちはどうやら、今度のテストで、成績トップを狙っているようだ。


「どういうこと!?」


 俺とシーラはクラスで成績トップ二だ(俺の名誉のために言っておくと、俺は学年でもトップで、シーラは学年だと三位だ)。

 この二人だけを映画に送り出す……つまり、そこには『レックスとシーラの時間を勉強以外に浪費させる』という意図が感じ取れる。

 時間というのは有限なリソースだ。映画を見ている約二時間、俺たちは映画を見るしかない……館内は暗くなるから、館内で勉強をすることは難しいだろう。


 ならば目的は明白だ。

 マーティンたちは、俺たちから勉強時間を奪い、今度のテストで自分たちが勝とうとしている。

 これはいい悪辣さだと評価できる。

 そろそろ成績が人生において重大な意味を持ち始める高等科二年生、大学進学を目指す者たちは、他者よりもよい成績をおさめたがるだろう。

 外部受験ならばけっきょくは実力だから俺たちを罠にはめる意味は薄いが、推薦入試を狙う者にとって、『学年一位』の座は魅力的だろう……


「そんな卑怯なことするかなあ?」


 シーラよ。お前は生命体の悪辣さを知らないだけだ。

 ささいな気持ちで他者を迫害し、善意の刃で弱者を突き殺すのが、『社会』を形成する生命体の常なのだ――まあこのへんは言ってもしょうがないだろう。シーラはまだ人生一回目だから、きっと自分と同じ種族を信じたい気持ちが強いだろうし。


 しかしこのあくどい罠にはめられて、俺はちっとも悔しいとか裏切られたとかいう気持ちになれなかった。

 むしろ『よくぞ!』と歓迎したいような気持ちになるぐらいだ――そう、学生の本分は勉強なのである。

 マーティンたちが俺とシーラを罠にかけたということは、つまり男二人と女二人のあいだで事前に相談があったということだ。

 それがなにかといえば、あくまで『マーティンのことが気になる』とかは俺を映画に巻き込む口実でしかなく、ようするにマーティンに告白したい女子なんかこの世に一人もいなかったことが証明されたことになる。


 こんなに胸のすくような快事が人生において他にあろうか!

 ……もちろん俺は成績トップを維持したいし、『生ききる』目的に向けて勉強は大事だと思っている。

 本来ならばマーティンは俺の生存をおびやかす『敵』認定されてもおかしくないことをしたわけだが――


 どうしたことだろう。

 今の俺は『成績でたたきつぶして、罠にかけたことを後悔させてやる』という、きわめて好戦的な気持ちだった。


 だから俺はシーラに呼びかける。

 なあ、シーラ――勉強、しようぜ。

 稚拙な罠をはったマーティンたちをたたきつぶすために、勉強、しよう。


「罠かなあ? 本当に? そんな姑息なことさすがにしないと思うんだけど……」


 シーラは人を信じたいようだった。

 それはまばゆいばかりの素直さだった。人生一回目――俺にもシーラのような時期があったかもしれないけれど、闇の中を歩み続けた俺には、もう、一回目の人生のことなんか、まぶしすぎて見えなかった。


 こうして映画を見るために集まった俺たちは、そのへんの喫茶店で勉強を始めた。

 俺もシーラも当たり前のように勉強道具を持参しているあたりが、〝意識〟が違う感じだった。

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