34話 シーラと命令権とプライド

 人生とはプライドを適切に捨て続ける旅路である。


 プライド――それは精神のかせだ。謝るべき時に謝れない、誰かを頼るべき時に頼れない、行動すべき時に行動できない……行動阻害のための鎖なのである。

 プライドというガラスの檻の中に展示すると、どれほど価値のないものでも、失いがたい重要な宝物のように見えてくるからやっかいだ。

 プライド一つあるだけでくだらないものを身命を賭して護りぬき、そうして本当に大事なものを護れないことも起こりうるだろう。


 だから俺は、プライドなどない心作りを目指して、日々適切にプライドを捨て続けている。


 俺の宝物は俺の命一つきりだ。それ以上はいらない、それ以外もいらない。

『天寿をまっとうする』――そのためだけに俺は生き、死のう。言うなれば、『長生きのためならプライドさえ捨てる』ことが、俺のプライドだった。


 ところがこのプライドというのは知らないうちにわいてでているものだ。

 プライド一つ見かけたら三十はプライドがあると思え――俺が心に刻む名言である。さて、どこの世界で知った言葉だったか……


 ところで俺はシーラに『なんでもいうことを聞かせる』権利を得た。


 もしここが『口に出した言葉が強制力を持つ世界』であれば、本当に『なんでも』言うことを聞かせられるだろう。

 俺が『死ね』と言えばシーラは死ぬし、俺が『今後の人生、語尾にニャンをつけて生きていけ』と言えばシーラはその通りにするはずだ。


 しかしこの世界にはそういった法則はない。

 それはいいことのようで、悪いことだ。なぜならば、社会通念とか空気とか、明文化されない様々なものを加味せねば権利行使もできない。

 明文化されないルールが大量にある世界というのは、実際に強制力を持つ明文化されたルールのみが支配する世界よりも、より『生き抜く』ことが難しい。

 なぜならば自分がルールに違反しているのかどうかわからず、ルール違反者への罰則は静かに、わかりにくく与えられ、気づけば取り返しのつかない場所に踏み入っているということも多いからだ。


 そういった社会の風潮を加味したうえで俺はシーラへの命令を考えなければならず、これがクソめんどうくさい。

 だいたいクラスメイトの女子になにを命令すりゃいいんだよ。なんにもねーよ! 法律もモラルもあるんだぞ!

 だから俺は命令権の拒否をしたいとシーラに申し出た。だがシーラは言う。


「勝ったんだから、ちゃんとやりなさいよ」


 なんでお前が命令するんだよ!!!!!!!!!


 俺はいらない心労を背負うことになった。

 命令権の放棄をしたい。だがシーラは意地っぱりで情けをかけるような行為は断固として拒否する。クラスメイトも俺がシーラになにを命じるか楽しんで鑑賞しているフシがある……

 勝利して追い詰められる。

 これが『明文化されたルール』のみによって動いているわけではない・・・・世界の幻妙げんみょうさだ。目には見えない、はかり知れない大きな力が常にはたらき、俺の人生に影響を及ぼしてくる。


 だが俺は逆境を追い風にできる十五歳だ。いいだろう、命令。お望みとあらばしてやろうじゃねーか。

 俺は覚悟を決めて笑った。そうして普段であればとても聞けないようなことを聞くことにする。シーラにとっては答えにくいことかもしれないなあ? けれど命令権がある。逆らえまい……俺はたずねる。


 初等科の終わり、家庭の事情で転校していったじゃん。

 高等科になって戻ってきたのも、家庭の事情?


「それ、命令権使ってまで質問すること?」


 シーラはなにやら勘違いをしているようだ。

 たしかにこの質問は、特別、命令権を使ってするようなことではない……

 俺にとって、『シーラに質問する』という行為そのものが、命令権なしではできないことなのだ。


『質問する』。

 その行為単体を取り出して見た場合、抵抗がある者はいないだろう――だが、ここに幻妙なる『社会の空気』というものがかかわると、とたんに行為のハードルが上がる場合がある。


 それはたとえば『みんな知ってるよね』という前提で人が話している時、その話を中断してまで『なんのこと?』と聞きたい場合だったり――

 社会的権力のある者がつまらないダジャレを言って周囲が笑っている時、『どこがおもしろいのかわかりません』と首をかしげたい場合だったり――

 そして、対立関係にある相手に、家庭の事情など相手のパーソナリティに深くかかわる話題を出す時であったりする。


 いや、対立関係にあれば、どのような話題でも『質問する』という行為のハードルははねあがるだろう――『質問する』のは『教えを請う』行為だ。

 つまり、なんとなく相手にへりくだっている感じがするので、イヤなのだ。


 そう――『プライド』!


 俺はプライドという精神の枷に、行動を阻害されていた。

『シーラになんか絶対に負けない』という思いはプライドという名のガラスの檻に入れられ、俺の心の中でさも大事な宝物のように展示されてしまっていたのだ!


 おそろしい。


 いつのまに俺の心に、こんな枷があったのか。こんな、こんな、くだらない、けれど捨てがたい大事なものが、いったい、いつ……


「まあいいけど。初等科卒業の時は家庭の事情だったの。こっちには、一人で戻ってきたのよ。今は寮に住んでる」


 つまり進学目的ということだろうか?

 この学園はエスカレーター式だ。高等科課程から同じ学園の大学教育課程に進む場合、外部受験よりも多少有利な補正がかかる。

 また、指定校推薦という制度もあるが、この学園からしか選べない推薦先も多い――実は名門なのだ、この学園は。


「あーんー……進学……まあ進学も目的かな……あ、あとほら、幼稚舎からの友達も多いし……ほら、あんたもその一人っていうか……」


 ふとそこで、思い出が脳裏によぎった。

 それは土と金属のニオイのする思い出だった。夕暮れ時、人のいない公園。遊具がすべり台一つきりしかないその場所で、俺はシーラに別れを告げられた。


 今の煮え切らない態度のシーラは、その当時のシーラと印象がかぶる。

 そういえばあの時もなにかを言いかけていたが、それはなんだったのか……


「そんな昔のこと、忘れた!」


 なぜかシーラは怒ったように言った。

 だがきっと忘れていないだろう――シーラは記憶力がいい。

 俺たちの成績は常に拮抗していて、わずかに俺が勝っている状態だが……

 もしもこの学園が『とにかく知識を詰め込め』というような暗記力以外試さないテスト形式だった場合、俺たちの勝敗は逆転している可能性だって低くないだろう。


 つまりシーラが答えを避けたのも、また『プライド』。

 彼女の心の中にあるガラスの檻の中にしまわれた、本人にとっては大切な『なにか』が、答えることによって刺激されそうになったから、拒否反応を起こしたわけで――


 俺はそれ以上、踏み込まないことにした。

 そのくだらないものを捨て去れない気持ちは、充分にわかっていたから……

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