33話 ライバル

 俺が外部受験しなかったことを失敗だと感じるのは急なのぼり坂をのぼっているさなかのことで、中等部よりも標高が高い位置にある高等部は見晴らしと引き替えに交通の便を手放していた。

 校舎についたらついたで一年生は教室が三階なので、俺たちは急な勾配をのぼりきった足で三階まで階段をのぼっていかねばならない。


 高等部には外部入学組もかなりいる。

 今までは多くとも三分の一程度の割合だった外部入学組は、高等部に入ったとたんにクラスの半数となった。

 俺が選んだのは高等教育科なので、それでも半数程度・・らしいのだが、専門教育課程にはもっと外部組がいるらしかった。


 外部組。

 エスカレーター組。


 高等部に進学してからというもの、こういった区分がよりいっそう強固に生活の中に仕切りを作るようになってきた気がする。

 エスカレーター組はやはりエスカレーター組なりの『誇り』みたいなものがあるようだったし、外部組も『エスカレーター組は自分たちを見下しているような気がする』とよくわからない対抗心を持っている様子だった。


 争わなくていいところで争う……やはりみな洗脳を受けているのだ。


 エスカレーター組に蔓延する貴族的な空気は、まさしく『エリート意識』だった。

 この『エリート意識』というものは支配者によりもたらされる甘い蜜であり、実体のないその蜜をさも『ある』かのように思わされることで、いさかいが生まれる。

 いさかいをおこなう二者は、真の『敵』が自分たちの外部にいることに気づかず、幻想のエリート意識を守るために、目の前の、本当は味方になるはずだった相手との争いに血道をあげるようになっていくのだ。


 まあ、争いが好きな者たちは勝手に争えばいい。


 俺はもちろん、争いなど好まない。

 俺の目的は『生き残ること』だ。そのために『目立たない』という目的をもって行動しているし、『勝利』とは『戦わず勝つことだ』というのを身にしみてよく知っている。


 そして俺は知っている――戦いの結果は味方の数では決まらない。敵の数で決まる。

 つまり俺の行動はすべて『敵を増やさないこと』に終始すべきであり、間違っても『元中等部生徒会長だから』とかいう理由でエスカレーター組の代表みたいに持ち上げられる流れは避けるべきなのである。


 ところで、俺は再会したシーラと同じクラスだった。


「あのさ、レックス……その、なに? なんていうの? その……」


 再会直後のシーラは、このように、『なにか言いたいことがあるが、うまく言えない』という様子だった。

 その様子に俺も似たような態度でかえしてしまうことが多い。なにその? なに? なんなの? なんていうの? ……照れる。


 初等科卒業と同時に離ればなれになった彼女は、高校生となって、すっかり大人びていた。

 落ち着きが出たのはもちろんだが、体つきもすっかり女性らしくなっていて、なんかいいニオイがする。

 俺は照れてしまって、『あいかわらずハリネズミのトゲみてーな髪の毛してんな』とか、『その赤毛は血で染めたんですか?』とかそういうことしか言えなかった。


 そうなるとシーラのほうも「あんたも死んだ魚みたいな目してるわね」とか「勉強以外の友達はできた?」とかかえしてきて、俺たちのコミュニケーションは九割ぐらい照れ隠しの罵詈雑言で成立していた。


 そうやって言い争っていると、いつのまにか俺の周囲にはエスカレーター組の連中がいて、シーラのまわりには外部入学組がいて、俺とシーラのごくごく個人的な言い争いが、エスカレーター組代表の俺と外部入学組代表のシーラの戦いみたいにされていった。


 いや、違うんだよ。

 俺とシーラは本当は仲良しなんだ。


 でも顔を見れば言い争いが始まり、学年はじめのテストでは俺とシーラで同点をとって引き分けとなったりして、それ以来、成績はおろか授業中の受け答えなんかでも競っている。


 もちろん俺は争いを避けたいと思っている。

 そのためには、俺がどこかで折れればいい。そうすればシーラとの戦いは終わり、俺の敗北というかたちで、エスカレーター組の連中も、俺ではない代表者を祭り上げるようになるだろう。


 ここでシーラに敗北するのは、将来的には勝利を得ることにつながる。

 勢力を代表し矢面に立ってバチバチやりあうのは、いらない傷を増やすばかりだ。得がない。俺は得のない行動はしない。

 なぜならば、俺はただの十五歳ではない。百万回生きた十五歳だ。精神の成熟具合はクラスメイトの比ではない……将来のために、今、負けておく。その程度のこと、簡単にできる。


「次の中間テストで勝負ね。負けたら勝ったほうの言うことをなんでも聞くこと」


 ん? 今『なんでも』って言ったよね?

 やってやろうじゃねーか!


 負けられない勝負が始まった。

 盛り上がるクラスメイト。俺とシーラを中心に真っ二つにわかれたクラスは叫びに叫び、俺たちの戦いをあおりにあおった。


 俺はシーラに負けたくなかった。

 いや、『なんでもいうこと聞く』っていうのが魅力的とかじゃなくてさ。ほんと、そうじゃなくてね? シーラを相手に手を抜いてわざと負けることは、全力で争い続けた初等科時代の美しい思い出をけがすことになるような気がしたのだ。つまり礼儀作法の問題である。


 俺は百万回転生を繰り返した十五歳だ。『生ききる』……その目的に変わりはない。変わりはないが、それはそれとして、シーラがなんでもしてくれるっていうから、勝ちたい。


 俺たちの戦いは二つ隣のクラスまで知れ渡り、なぜか賭けがおこなわれ、胴元のマーティンからオッズがだいたい五分五分であることが知らされた。

 俺はいさかいを好まない……だが外部入学組の連中にバカにされるのは正直しゃくだ。いいだろう、シーラに賭けたことを後悔させてやる。


 俺は裂帛の気合いをもって中間テストにいどんだ。

 そして――


 俺は勝利した。


 俺はこうしてシーラに『なんでもいうことを聞かせる』権利を得たわけだ。

 そして気づいた。


 …………この権利、いざ行使する段になると、めっちゃ困らない!?

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