22話 去り行く彼女
初等科課程はあっというまに過ぎていき、その生活のすべては俺の心に深く刻まれていた。
わかっている。
これもきっと洗脳なのだろう。
だって思い出は美しく、楽しかった。世界にはなんの
油断している。
ならば悲劇がおとずれる。
悲劇はなにによりもたらされるのか?
その具体的なところはわからない。けれど悲劇はいつだって親友のような顔をして近づいてきて、生まれた時からつきあいのあるおさななじみのように親しげにこちらの肩を抱き、甘い声で『お前の幸福は幻だったんだよ』と心に消えないひっかき傷をつけるものなのだ。
だから俺はシーラから突如呼び出されて、警戒した。
すでに俺も十二歳になった初等科六年生課程の暮れだった。
肌を刺すような寒さの中、携帯端末ぐらいあるし、互いに連絡先を交換してもいるのに、『手紙』という古風な手段で、俺に一人だけで人気のない場所に来るように厳命する内容での呼び出しだ。
警戒しない理由がない。
シーラ。それは腐れ縁の赤毛の女だ。
思えばヤツとは幼稚舎課程からのつきあいになる。
保育所からいっしょのアンナやミリムよりつきあいは新しいが、同級生なので単純な時間比較だけで言えば、誰よりいっしょにいた相手かもしれない。
おまけに初等教育課程では二年ごとに計二回のクラス替えがあったのに、そのことごとくで俺といっしょのクラスときている。
しかも会話もかなりしている――シーラというのは、なにかと俺に張り合ってくるのだ。
『目立たない』という信条をもって生きる俺をたくみに扇動し、目立たせてきた強敵である。実際、未だ正体のわからない『この世界に必ずいるはずの敵』の先兵なのかもしれないと思ったことも、一度や二度ではない。
俺はそのシーラからの呼び出しについて、様々な想像をめぐらせた。
そして様々な対策を描いた。
一人で来いと言われているからこそ、仲間を引き連れて行くとか――
待ち合わせ指定時刻より早めに行って、様子をうかがうとか――
様々なケースを想定し、様々な方策を練った。
そして考えすぎて徹夜して、寝オチして、気がついた時には待ち合わせの時刻になってしまっていた。
慌てて着替えをすませてコートをひっつかんで家を出る。
ママに夕食までに帰るとだけ叫んで寝癖を手でおさえながら走る。
待ち合わせ場所は近所に二つある児童公園の一つで、そちらはすべり台が一台あるだけの広くもない公園のせいか、いつも一人も中にいない。
夕暮れの赤い光に照らされ、シーラはすべり台に背をもたれさせて待っていた。
クセが強くて外側にはねた赤毛をいじりながら、俺に気づくと気まずそうな顔をする。
なんだよ四月生まれ、と俺はたずねた。
シーラは笑って、予想もしなかったことを告げた。
「あーあのね、あたし、引っ越すの」
引っ越す――そう言われただけだが、意味はわかった。
俺が過ごす学園は、基本的にエスカレーター式で進学していく。
つまるところ、俺がそうであるように、俺と同じ初等科課程を受けていた者は、同じ学園内の中等科課程に進むのが普通なのだ。
だけれど、引っ越す。
ならばそれは『同じ中等科課程には進まない』という意味なのだろう。
俺は愕然としていた。自分でもよくわからないけれど、ショックが大きすぎてなにも言えなかった。
だって俺の生活する場所には必ずシーラがいた。はりあってきて、うるさくて、邪魔な赤毛の女。背が高くて、でもだんだん俺も追いついてきて、いよいよ中等科に入れば追い抜くはずだった、おさななじみ。
彼女はずっと俺の暮らす場所にいるものと思っていた。
でも、いなくなる。
せいせいする――普段ならそう言っているはずだった。今もそう言ってやりたかった。でも、言えなかった。ちっともせいせいしない。よくわからない大きすぎるショックのせいで、ただ呆然とするだけだった。
「だから、その」
シーラはなにかを言いたいようだった。
でも、「あの」「そのね」と繰り返すだけで、なにも言わなかった。
最後に、力なく笑って、
「……ばいばい。またね、レックス」
そう言った。
俺はどう返事したのか、自分でもわからない。
ひどく動揺していた。ばいばいと言った気もする。なにも言わなかった気もする。気づいたら家に帰って、部屋にこもっていた。夕食を食べる気分になれなくて、いろいろなことをぐちゃぐちゃと考えた気がした。
夜通しそんなことをして、俺の弱い肉体が眠気に耐えきれなくなったころ、俺はシーラに携帯端末で一言だけメッセージを送った。
『休みになったら遊びに行くから』
どうしてそんなメッセージを送ったのかはわからない。
きっと、俺の体と精神がそうすべきだと思ったんだろう。
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