9話 洗脳された彼女

 俺は自己鍛錬をおこたらない。

 二足歩行できるようになってからは、毎日体を鍛えている。


 目の前には動画を映し出す魔導映像板テレビジョンがあって、そこには踊り狂う二次元キャラたちがいた。

 その踊り狂う画像はループ再生され、俺は飽きるまで魔導映像板に映し出されるキャラたちと同じ動きを繰り返している。

 あまりにも楽しくて時間がすごい速度ですぎていく。


「レックスはあの踊り、本当に好きだよねえ」

「見せておけばずっと踊ってるし、そのあいだに家事ができて助かるわ」


 両親はわかっていない――まるで俺が純粋な興味から踊り狂っているかのように思っているが、違うのだ。


 ダンスは全身の筋肉を使う。

 すなわち俺は全身の筋肉を鍛えているのである。


 どのような世界でも肉体は資本だった。健康というものがなにものにも代えがたい宝であることを、俺は誰よりもよく知っている。

 健康のため、体を鍛えている――俺のことを『りゅうおうさま体操』が大好きなだけの、そのへんの幼児と一緒にしないでほしい。意識の高さがまったく違う。


 しかしそろそろ飽きてきたので、魔導映像板のスイッチを切っておやつを要求する。


 ママは最近お菓子作りを始めていた。

 ミリムママをはじめとする、俺と同じ保育所に子供を通わせる親御さんたちと同じ料理教室で習っているのだ。


 そこには保育所のメンツのほかにも幼稚舎のメンツなんかもいた。

 そんなほぼ保育所マダムの料理教室で俺はアンナおねえちゃんと劇的な再会を果たしたりもしたのだが、幼稚園児になった彼女はすっかり大人びていて、どこかツンとしていて、俺を抱きしめてはくれない……


 おねえちゃんは幼稚園で変わってしまった。

 俺にはもうミリムしかいないのだ。


 たぶんおねえちゃんが俺に冷たくなったのは、俺がおねえちゃんの名前を忘れていたこととまったく無関係ではないのだろうけれど、もう四歳の大人なんだから、そのぐらいは大人の度量でどうにかしてほしい。


 ところでおやつはまだだろうか?

 ママ、わたしはおやつを要求しておりますが?


「今日はお友達が来るでしょう? その時にね?」


 おともだち?

 俺は首をかしげた。


 友などと!

 そんなものはいない。いたこともない。


 もちろん百万回の転生を繰り返した俺だ。大事な人はいた。だが、それは友と呼べるような浅い関係性の相手ではなかった。裏切られぬ結びつきを持った、なにものにも代えがたい相手なのである。

 そういった大事な人たちは、残酷な世界のせいでひどい別離ばかり味わってきた……

 だからもう俺は誰も愛さない。奪われるのも裏切られるのも、もうたくさんだ……


「ミリムちゃんとアンナちゃんが来るのよ」


 え、ほんとに?

 やったー!


 俺ははしゃいだ。喜びの感情を表現するために『りゅうおうさま体操』をおこなった。

 いちいち記録映像を見ているのは自分の動きをチェックする目的であり、本当はフリをすべて暗記しているのだ。映像を見ずとも軽やかなステップをふむことができる。


 俺が踊っていると、家のチャイムが『キンコーン』という音をたてた。

 俺は走って玄関に向かう。俺用の台も忘れない。この台がないと、ドアノブに手がとどかないのだ。

 おきゃくさまを迎え入れれば、そこにはアンナとミリムがいて、二者の両親もついでにそこに存在した。


 俺はママの世間体のために二者の両親へと型どおりのあいさつをすませると、まっさきにミリムのほうへ駆け寄った。

 ミリムはパタリと真っ黒いしっぽを軽く振ってよちよち歩いて俺に抱きついた。俺はミリムを強く抱きしめてそのほっぺたにキスをする。ミリムがしっぽを振って喜んだ。無表情だけれど表情豊かな後輩なのだ。


 そうして後輩とふれあっていると、バシンバシンと背中をたたかれる。

 痛いなコンチクショーと思って見れば、アンナおねえちゃんが俺の背中をたたいていたところであった。


「こらアンナ! す、すいません……アンナ、レックスくんに会いたがっていただろ? なんでたたいたりするんだ」

「しらないもん!」


 アンナがなぜか怒っている。

 怒りたいのは俺のほうだった。なんでたたかれなきゃならん。出会いがしらにたたいてくるとか、おまえが大人なら精神を心配されるような行為だぞ。


 しかし俺はある可能性に思いいたった。

 洗脳だ。


 親元、保育所と、その洗脳教育はすさまじいものだった。『この世界は平和だ』『大人は子供を思いやっている』『世界には敵なんかおらず、君たちは愛されている』――これには俺も精神をいくらかねじ曲げられ、真実を見る目をくもらされているかもしれない。

 百万回転生を繰り返した俺でさえそうなのだから、ただの四歳児であるアンナなんかはもう、とっくに洗脳がすんでいるだろう。


 だが、まだ洗脳は甘いのかもしれない。

 彼女が俺に暴力的にふるまうのは、洗脳されかけた彼女が俺に『助けて』と求めているのかもしれない……


『かもしれない人生』を送っている俺は、そういった、ともするとロジックに不明な点が多々ある真実に素早く気づくことができた。

 そうして俺の心に芽生えたのは、『洗脳されかけたアンナを切り捨てる』ではなく、『彼女を助けたい』という気持ちだった。


 なぜならば、俺は彼女と過ごした一年間を忘れたことがない。

 アンナ。その名前は俺の心に深く刻まれている。きっと過去現在未来において忘れられない女性の名前になるだろう。なぜならば、俺の人生の大半は、彼女とともにあったからだ。

 一年間という半生をともに過ごした相手を思いやる心は『天寿をまっとうしたい』と願う俺にとってマイナスなのだけれど、俺はこの情というものを捨てきることができそうもないのだ。


 俺は、ツーンとそっぽを向くアンナに抱きついた。

 アンナは俺をひきはがそうとしていたけれど、俺がしつこく抱きつくと、ひきはがすのをあきらめたらしい。「おこってないよ」となだめるような口調で言った。ほんとに? おまえの怒りは本物だったよね? 俺、忘れないから。


 ともかく十秒で仲直りをすませた俺たちは家の中で遊ぶことになった。

『りゅうおうさま体操』を踊り、『スイート聖女カミキュア』の話題で盛り上がった。


 まったく子供の相手は大変だ。

 俺は『りゅうおうさま体操』を踊りながらニヒルに笑った。


 パパママたちが作ったお菓子はおいしかった……

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