6話 新たなる出会い

 新緑がねっとりとした濃いにおいを発するころ、アンナは幼稚舎へと行き、俺たちの保育所には新しい子が入ってくることになった。


 卒保育所式でアンナは泣きそうになりながらも立派に卒保育所生代表のあいさつをした。俺は泣いた。アンナがしゃべってる最中にギャーギャー泣いた。最後のほうはアンナも泣いた。みんなつられて泣いた。こんなに全員が泣く式典は百万回の人生でも初めての経験だった。


 認めよう。

 その瞬間だけ、俺は『敵』の存在を忘れることができたんだ。


『敵』とはなにか?


 その正体はわからない。なにせ連中は影さえ踏ませず存在感を殺している。

 けれど『敵』は確実にいる。なにせここまでの人生、あまりにも平和すぎるのだ。平和の中で俺たちの牙を抜き、そして戦う気力さえ失ったところで俺に辛酸をなめさせるために、『敵』は今この時もチャンスをうかがっているに決まっている。

 なぜなら俺の百万回の人生で不遇でなかったことなど一度もないし、得たものを奪われなかった人生だって一度もない。

 今生はあまりに平和で牧歌的すぎて、ついつい『本当に平和なんじゃないか?』と信じそうになるが、そんなわけはない。百万回平和でなかったものが、一回だけ平和だなんて、そんなの確率的にありえない。


 だから俺は新しい保育所のおともだちを警戒した。

 俺はどうにかギリギリのところで洗脳されずに自分をたもっているが、親や大人に洗脳されきったヤツが入ってきて、おともだちの内側から俺たちの平和をかき乱す可能性があるからだ。


 ところで俺たちの保育所では、その年に卒保育所を控えた連中(三歳~四歳)が一歳以下の子の世話をするのが通例だ。


 なので二歳児はわりと自由に同期と遊ぶことになっている。

 俺もいよいよ二歳児になり、言葉や足もしっかりしてきたので、同期の中で信頼できる者を見つけないといけない。マーくんとか目をつけてる。あいつは将来大物になるだろう。


 しかし、俺の思惑を外すかのように、保育士が俺へと依頼を持ちかけてきた。


「レックスくん、ミリムちゃんのお世話してくれるかな?」


 う!(了解、の意)

 ……ハッ! 洗脳されている!

 保育士の言葉には基本的に全力肯定をするようすりこみがなされているのだ。俺は自分を恥じた。警戒しつつもこれだ。この世界はやはり手強い。


 しかしここで今さら『やっぱりやめた』も心証が悪いだろう。

 保育所の子供たちは保育士に従順なのだ。一人だけ反抗的な態度をとって目をつけられれば、今後の人生でどんな妨害をされるかわかったものではない。


 いいだろう。俺は愚かな二歳児を演じることにした。


「ありがとう。今年は新しいおともだちが多くてね……レックスくん、しっかりしてるから、ちょっと早いけど、おにいさんおねえさんたちと一緒に、一歳の子のお世話、よろしくね。あ、でも、見ててくれればいいからね?」


 俺はコクンとうなずいた。いいでしょう、見事ご期待に応えて見せます。ぼくは従順なあなたのしもべですとも――今はね。

 皮肉げに言ってニヤリと笑いたいところだったが、俺は二歳児なので、二語ぐらいしかつなげてしゃべれない。なので肯定の意思をこめてにこーっと笑うだけにとどめた。頭をなでてもらえてうれしかった。


 かくして俺が世話することになったミリムだが、なんと獣人種であった。


 この世界にはいろんな人種が住んでいる。昔は人種ごとにキッチリすみかがわかれていたようだが、最近ではグローバル化が進み、あらゆる地域にあらゆる人種が分布しているのだとか。


 しかし獣人というのは海をわたった遠いところにいる種であり、グローバル化が進んでいる世界とはいえ、このあたりで見るのは珍しい。

 俺はまだつかまり立ちもあやうそうなそいつの目をじっと見つめた。

 黒い瞳がじっと俺を見返し、頭上の黒い毛に包まれた耳がピクピク動き、腰の後ろのしっぽがパタンパタンと左右に揺れた。


 こうなると俺は学術的興味をおさえきれなくなり、その子のしっぽをつかむのだけれど、しっぽをつかまれてもそいつはキョトンとしていた。

 なにを考えているのか全然わからない。

 しっぽをつかまれながらも、しっぽを出さないとはなかなかやる。

 俺はそいつの脇の下に手をさしいれて近くでじっと見つめた。

 気になったので唇でほっぺをもむもむして味もみてみた。こいつは……すべすべでクリーミィだぜ。


「ミリムちゃん、おとなしいでしょう? きちんとお世話してあげてね。わからないことがあったらすぐに先生を呼ぶのよ?」


 俺は力いっぱいうなずいた。

 こうして俺にミリムという後輩ができた。

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