2話 パパとの遭遇
俺という個体を識別するために連中がつけた
レックス。
それが俺の名前らしい。
名前というものの意味を俺はもちろんよく知っていて、それは『管理者が家畜を区別するためにつけるもの』だ。
数字、文字、なんだっていい。だが簡便なものがつけられるのが世の常だ。
ではなぜ、俺は『レックス』なのか?
決まっている。家畜の数が多いからだ。
俺という家畜に『レ』でも『あ』でも『1』でもなく『レックス』だなんてごたいそうな名前をつけるのは、『レ』がすでにいて、『レッ』もすでにいて、『レック』もすでにいるから、かぶりを避けたのだろう。
産後しばらくたち、俺はママに抱きかかえられて家に戻ることになった。
そこにはきっとたくさんの、俺とにたような家畜どもがいることだろう。
けれど広々とした家には家畜らしきものはどこにもおらず、通された部屋はどうやら俺とママ専用の個室のようだった。
用意してあったベビーベッドに俺を寝かせたママは、うれしそうに俺をみおろして笑っている。
俺もママに合わせて笑った。この世界もきっと敵だらけだろうけれど、ママだけは別なのだ。
そうして信頼できる愛すべき人との時間を楽しんでいると、なにものかが俺たちの部屋に入ってくる。
俺はそいつをにらみつけたかったが、なにせ首がすわっていないもので、手足をバタバタするだけで終わった。
「カミラ! おかえり! ベッドの組み立てやっておいたけど、どうだい?」
男の声だ。
ママはいとおしそうに言う。
「ただいま、あなた。ごめんね、家のことやってもらって」
その声には甘えたような響きがあって、俺は強い嫉妬を覚えた。
俺は赤ちゃんなので、激しい感情を覚えると泣く。
ほんぎゃあああああああああああああああ!
「うわ、本当に元気だなあ。レックス、覚えてるかい? 生まれた直後にも君を抱いたんだけどね。僕がパパだよ?」
パパ?
俺はきょとんとした。『パパ』。その言葉がうまく思い出せなかったのだ。
そうだ、思い出した――パパとは、一般的に、『ママに乱暴を働き子供を産ませた男』のことだ。
許せるものではない。クズだ。俺は怒った。つまり泣いた。ほんぎゃあほんぎゃあと泣いた。この声でパパを倒せるものなら倒したいと殺意をこめながら泣いた。
「あなた、レックスをだっこしてみる?」
「え、いいのかい?」
いいわけねーだろタコ――そう思ったが、俺はまだ言葉も話せない乳児だ。泣く。わめく。だが首もすわっていなくて寝返りさえうてない。できることは寝ること、泣くこと、もらすこと、おっぱい飲むことだけなのだ。
パパ野郎が俺を抱き上げる。
「うわ、あらためて、本当に小さいなあ……」
きっとこのまま俺にも乱暴を働くつもりに違いがない。パパという存在はとにかく乱暴で無神経で暴力的だ。これまでの百万回の転生において、人生最初の敵がパパだった経験は数限りない。
だが、意外にも今回のパパは紳士的に俺を抱き、紳士的に俺をゆすり、そして紳士的に俺をベッドに戻した。
あまりにも赤ん坊への扱いが丁寧すぎて、『この男はどこかイカれてるんじゃないか?』と思った。
なぜ自分よりあきらかに弱い存在に対して暴力的にならないのだろう? 意味がわからない。そんな性質でよくここまで生きてこれたものだと不思議に感じた。
まさか――
赤ん坊は、大事にされるものなのか?
その可能性に思いいたり、俺は愕然とした。
赤ん坊は大事にされる――なぜ? 意味がわからない。
俺が今まで生まれてきた世界は、たいてい、生まれた直後から生存競争が始まる。その生存競争の相手は同日に生まれたほかの赤ん坊の場合もあるし、大人がまざって子供を狩りに来ることもあった。
だというのに、俺はなぜか、大事にされている。
……罠か?
じゅうぶんにありえる話だ。俺の油断を誘う計画。
とすれば一つの仮説が立つ――すなわち、この赤ん坊の肉体は無力にしか思えないけれど、油断を誘いたい程度の力は持っている、ということだ。
うかつだったな。
どうせ赤ん坊だと思って馬鹿にしたのだろう。しかし俺は人の裏側を読み続けてきた経験がある。いかにベイビーといえども、俺はおまえたちの行動から裏を読み取ることができるのだ。
早めに発見しないとならない。
連中が赤ん坊の油断をさそいたがる理由――赤ん坊の持つ『力』を!
俺は人生最初の逆転チャンスが見えて、きゃっきゃと笑った。
「あ、見てよカミラ! レックス、僕を見て笑ったよ!」
「きっと、この子もあなたがパパだってわかったのね」
きゃっきゃ。
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