百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない
稲荷竜
1話 百万と一回目の人生
「かわいい男の子ですよ!」
危機に備えろ。戦いは生まれた瞬間に始まっている。
あぶう。俺はうなった。
今回の体はあまりにも弱い。生まれたての状態では満足に目は開かず、拳を握ることもできず、自分の足で移動することさえできない。
こんな体でできることはたかが知れている。
弱すぎる肉体への転生――今回も『ハズレ』らしい。
俺はジタバタと手足を動かした。しかしなんの抵抗にもならず、俺を抱き上げて見ている連中は「元気いいねぇー」「お母さんに似てかわいらしい子ですよ」などとこちらを見下しきった言葉を並べている。
以前の転生で習得した翻訳スキルが機能するのもよしあしだ。
言葉がわかったせいで、かわいいかわいいと言われてるのに気づいたせいで、俺はさすがに憤った。
あまりにもなめられすぎている――力ない俺を好き放題できるのだと、周囲を取り囲む悪辣な強者どもは、これから待ち受ける運命を知らない俺を心の底からあざ笑い、道化として扱っているのだ。
さすがに捨て置けない。
百万回の転生で負け続けてきたが、それでも誇りは失っていないのだ。
俺は怒りのあまり大泣きした。
精神はとうに数千万年を生きているが、転生のたびに心は体に引っ張られる。
また、感情表現の手段も生まれた生物なりにやるしかない。
今回の人生を送る肉体は、『泣く』ことによって激しい感情をあらわすようだった。
ほんぎゃあほんぎゃあと泣く俺に、周囲の連中は「すっごい元気!」「この子はきっと将来大物になりますよ、お母さん」と楽しげにケタケタ笑っている。
その言葉にはきっと末尾に小括弧があって、「すっごい元気!(これからなにが起こるとも知らないで)」とか「この子はきっと将来大物になりますよ(将来なんていうものがあればな)」とかの皮肉に違いないのだ。
許せない。
見ていろ、今に逆転し、おまえたちを残らず倒してやる。
俺はいっそう声をはりあげて泣いた。
しかし――
「お母さんも、赤ちゃん抱いてみます?」
「……はい」
ぴたりと泣き声を止めてしまう。
俺を包み込むように抱くそのぬくもり、そのにおいは、妙な鎮静作用があった。
「……これが、私の赤ちゃん……」
その声には、ちっともイヤな感情が浮かばなかった。
ひょっとしたら、この人は、俺の味方なんじゃないか?
俺は本当に、皮肉ではなく、みんなからかわいいかわいいと言われているんじゃないか?
ひょっとして――
この世界において、赤ちゃんは、かわいがられるべき存在なんじゃないか?
そんな考えが浮かんでしまい、ハッとする。
――
危ないところだった。百万回の不遇人生経験が活きた。
思い出せ。俺は裏切られ続けてきただろう。不遇がスタンダードで、苦境以外の境遇に身をおいたことなどなかっただろう。
そんな人生を送っておいて、他者を信用する?
ありえない。
言葉には裏がある。行動には裏がある。
俺に向けられる感情は差別、侮蔑、憎悪、よくて憐憫しかありえない。
本当に危ないところだった。俺は気を引き締めて、俺を抱きかかえるやつを見る。
まだ完全に目が開かない。そのぼやけた視界の中で見たそいつはすごくきれいで優しそうでぼくはこの人のことを一瞬でだいすきになったのだ。
ほんのうが理解した。この人がぼくのママだ……
――そうじゃない!
感情が肉体にひっぱられている。大好きなママだと? 笑わせるな! 誰かを好きになったなら、それは裏切られる下準備が完了したということだ。好きになったのではなく、好きにさせられている。なんらかの精神汚染を疑うべき事象にすぎない。
俺はもうだまされない。
無限転生地獄。『ある条件』を満たさない限り永劫に終わることのない
今度こそ『条件』を――『天寿をまっとうする』という条件を満たして、俺はこの永劫に決着をつける。
老衰で穏やかに死ぬために、俺はすべてを疑い、すべてを利用する!
でもママだけはべつだ。ぼくはこのひとのために生きていくんだ。だいすきなママはやわらかくていいにおいがする。目はよく見えないけど、ぼくがわらうとママもわらうのがわかるんだ。
そうじゃない。危ないところだった。俺はもうだまされない。俺はもう誰も愛さないし、信じない。
でも――
ママだけは信じてもいいかな。
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