川田ちゃん、そろそろ頼む!

「北関東ビクトリーズ選手の交代をお知らせします。バッター、小野里に代わりまして………川田。ピンチヒッター川田」



ベンチ裏のアップルーム。



人工芝がいっぱいに敷き詰められ、部屋の両側の壁に大鏡が設置された場所。


そこから代打にご指名された川田ちゃんが準備を整える。


8回表、2アウトとなった頃合いで、俺が下から放ったボールを力強く10球20球と打ち返し、打席に立つ最後のティーバッティングで感触を確かめる。


スポーツドリンクを口いっぱいに飲み込んで、タオルで顔と首周りの汗を脱ぐって、川田ちゃんはベンチ裏から眩しい照明が照らす熱気冷めやらぬグラウンドへと踏み出す。


途中でバッティングコーチが声を掛けても、軽く返事をするだけ。



代打のアナウンスがされ、ネクストバッターズサークルで期待するファンの声援でさらに発奮した様子の川田ちゃんが、力強くバットを握り締めて左打席に向かう。



相手キャッチャーが、ようと話しかけても、ヘルメットの唾を触るだけ。


背中が迸る気合いと集中力を感じる。


まあ、これが彼にとっての今シーズン最後の打席になる。


いつもとは違う気合いの入り方にもなろう。



だったら、いつもそのくらい必死に頑張って欲しいわよね。







相手のマウンド上には、猪狩とかいう細身の右ピッチャーが上がっていた。


7回に投げていた左ピッチャーの調子が良さそうだったから、8回も続投すると思っていたのに。


代打の川田ちゃんが出てくることは相手ベンチも充分に分かっていただろうし、その後の1番の柴ちゃんの左だ。



まあ若手を色々と試したい時期ではあり、3点差あるとはいえ、左バッターが2人続くところでわざわざ右ピッチャーをマウンドに上げるなんて。


普通に交代した左のピッチャーは1イニング限定という考え方なのかもしれないけど。


そんなにいいピッチャーなのか?



そう思いながら、スコアラーの資料を覗くと、プロ5年間では特筆するような目立った成績ではなく、球速は140キロ程度。縦のカーブに、スローカーブ、あとはフォークボールが持ち球というピッチャー。



ストレートで押すようなピッチャーではない。変化球の精度とコントロールで打ち取っていく投球スタイルだろう。



どちらかといえば俺が得意とするタイプのピッチャーだ。速いボールでビュンビュンよりも、緩い変化球持ちのピッチャーの方が、ノーパワーな俺からすれば有難い。



そのピッチャーがキャッチャーのサインを覗き込み、コクンと頷いて、ゆっくりと振りかぶって第1球を投げた。







恐らくは180センチはある、そこそこの長身から投げ下ろされたストレート。


マウンドの傾斜も生かして角度がついた速いボールがインコース低めへ。


川田ちゃんはその球筋を確認するようにして見送った。



彼の膝の高さより気持ち低いコース。投球を捕球したキャッチャーがグイッとミットを押し上げる。



「ボール!」



しかし、球審の手は上がらず。キャッチャーがナイスボールと言いたげに頷きながら、ボールをピッチャーに返す。


わりと速く見えたが、球速は137キロ。



バッターの川田ちゃんもそれをバックスクリーンに表示される場所で確認しながら、1回2回と打席を外して素振りをする。




そのストレートがあっての2球目。



今度は一変して高めのボール。そこからシュルンと縦に曲がるカーブ。


真ん中高めからインコースに入ってくるボールを川田ちゃんが力いっぱいに叩く。



乾いた打球音を残して、目で追うには大変な速い打球。痛烈なライナーが飛ぶ。



バシィ!!




しかしその打球は真上へ腕を伸ばした1塁手のミットに収まってしまった。



それも長いファーストミットの先っちょギリギリに。ファーストの選手はびっくりした表情をしながら、そのボールを落とさないように懐で抱える仕草をした。



無念。代打川田ちゃんはファーストライナーに終わった。








カアンッ!



しかし、またまたこれもいい当たり。



1アウトとなって、打順はトップに返って柴ちゃん。


3球目の低めにきたフォークボールを上手く合わせて、打球はセカンドの頭上を越えるライト前ヒット。



右中間に落ちた打球で、すかさず2塁を伺うように大きく1塁ベースを回ったところですぐ塁に戻り、1塁ベースコーチおじさんとグータッチをかわした。



打席に入った時に表示されていた柴ちゃんの打率は2割4分9厘。



つまりこのヒットでなんとか2割5分に乗った形だ。



なんだかんだありながら、ドラフト9位の柴ちゃんがシーズンを通して1番バッターとして定着して、打率2割5分なら、まあよしと言ったところか。



他の球団の1番バッターに比べたら、24盗塁しているとはいえ、打率2割5分は少し寂しい数字だ。



しかしそれ以上に1年間1番センターのポジションを守り通したことに意味がある。


ボーンヘッドをやらかし、何回か懲罰交代があったとはいえ、長い離脱はせずにここまでやってくれたのはチームにとっては大助かり。


今の柴ちゃんの年俸は俺と同じくらいだが、恐らくはグンと上がって大卒1年目ということを加味しても、2000万くらいには上がるだろうね。



ごちでーす!

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