意地の1発
「アウトー!!」
とか褒めていたら、直後の牽制球でアウトになりやがった。右ピッチャーがプレートを外さない素早いクルリンタイプの牽制球にまんまと引っ掛かりやがった。
あと1個決めれば、盗塁数も25個とキリがいい数字になるということもあったのだろうが、相手バッテリーに走りたいという気持ちが見え見え。
さっき、年俸はだいぶ上がるだろうなと思って褒めたけども、今の牽制アウトはマイナス100万円ですよ。
2番の杉井が打席に入り、そちらに投げる前に1度プレートを外してのゆっくりとした牽制球。
そしてその後に、長いセットポジションから、くるっとターンする速い牽制球で見事逆を突かれてタッチアウト。
せっかくナイスヒットで盛り上がった観客のため息が、アウトになってとぼとぼベンチに戻ってくる柴ちゃんの背中にのし掛かる。
なにしてねん。まだ3点差あるのにさ。
常套手段だよ。はじめにゆっくりな牽制球を放ってランナーの様子を伺って、次に長いセットポジションから最速の牽制球を放る。
盗塁したがりなランナーを殺すピッチャーの常套手段。
そのくらいは頭に入れておいて欲しいものですわよね。せっかくチームトップの盗塁数も霞んでしまいますわよ。
カアアンッ!!
あ。杉井の打球が。
身長171センチは俺と同じ。体重73キロはチームの中では俺の次に軽い。
つまりは小兵の部類。
しかし、高校時代は甲子園でホームランを放ち、社会人時代は大阪サウザンドドームでもスタンドの中段に飛び込むようなホームランを打ったことのある彼。
俊足を生かした広い守備範囲と思いきりのいい走塁。
それが故に代走・守備固め要員としてシーズンの大半を過ごした立場である杉井の打球がレフト上空へ舞い上がる。
おや! これは………ホームランか?
みたいな当たりではなく、打球が上がった瞬間、あっ、これは間違いなくいったわ。
という、まるでスタジアムの時間が止まるような完璧に近いホームラン。
杉井本人も感触は抜群のようで、打球を見上げつつ、フォロースルーから下ろしたバットを1塁ベンチ前に滑らせるようにして投げた。
その間も打球はややフック気味に曲がりながらグングン伸びる。
レフトも早めに追うのを諦めた打球はレフトスタンドのちょうど中段に飛び込むホームラン。推定飛距離は125メートルといったところ。
打球がスタンドに飛び込み、スタンドとベンチがわあっと盛り上がる中、杉井が足の速さを見せつけるようにグングンとしたスピードであっという間にダイヤモンドを1周した。
「オッケイ、杉井ちゃん!ナイ、バッチン!!めっちゃ飛んだな! 向こうの応援席の上までいったよ!」
「あざす!手応えマジヤバかったっす!」
俺はハイタッチの列の真ん中でホームランを打った彼を出迎えた。今日はビールが5割増しで美味くなるような会心の1発に杉井君はニコニコ。
それを見ながらの内心は、やっぱりホームランは羨ましいなあという気持ちだった。
俺は今シーズン、400打席立って無三振だったということで、さっきギネス記録とやらに認定されたわけだが、その一方でそれだけの打席に立って、1本のホームランも放っていない。
それどころか、1回もフェンスに直接当たるような打球を打っていない。いいとこ、ワンバウンドでようやく当たるような打球。
それどころか、フリーバッティングでも、柵越えなんかした試しがない。
それどころか、思い返してみれば、小学4年生から野球を始めて1本もホームランを打ったことがない。
柵越えはもちろん、ランニングホームランだってない。
ついでに言うなら、女の子とキスしたこともない。
それ方向に関しては、夏の盛りにに勢いでみのりんの手を握ったことがあったので1歩進んでいるとしても、今まで野球をやってきて、一応プロになって、1度もホームランを打ったことがないなど、是如何程なんだろうか。
「いやー、杉井の素晴らしいホームランが飛び出しました。5月15日、横浜ベイエトワールズ戦以来、およそ5ヶ月ぶりの1発は今シーズン第2号のホームラン。これで3ー5。2点差に詰め寄りました」
「ストレートだと思うんですが、ほとんどど真ん中ですねえ。しかし、杉井は思いきりのいいスイングをしましたよ。
……出場機会に恵まれない選手はどうしても、慎重になりすぎたり、逆に力が入りすぎて、こういうチャンスをもらっても空回りしてしまうものですが、杉井はよくやっています。
こうした当たりを打てるわけですから、もっと打撃を磨いていけば、十分に外野のレギュラーを取れるチャンスが出てきますよ。守備力の高さは申し分ないですからね」
「あーなるほど。今シーズンは外野のレギュラーと言いますと、新井は打率が4割あるわけですが、センターの柴崎は打率2割5分で5本塁打。ライトの桃白は打率2割5分4厘で6本塁打ですね」
「あー、もう。こんなホームランが打てるなら、杉井も十分出来ますよ。あとはもう1つ何かきっかけというか、殻を1つ破る何かを見つけるだけですね。芯に当たった時のパンチ力はありますから、確実性を磨いていきたいところですね」
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