やっぱり長駆生還な新井さん

「9回裏、10点を追うビクトリーズの攻撃は2番の新井からです。………んー、大谷さん。ビクトリーズとしてはここまでは非常に一方的なゲーム展開になってしまっていますから、なんとか意地を見せて欲しいですね」


「まあ、そうですねえ。この回は新井くんからですんですねえ。まずはここでチャンスメイクをして、2、3点返すような攻撃が見たいですねえ」



打席に向かいながらスコアボードを見上げると、いつの間にか10点差がついてしまっていた。


先発から中継ぎ、敗戦処理投手までみんな仲良く失点を重ねて9回までに4位東北相手に10点差を許してしまったのだ。


最近つながりのよかった打線も今日はここまでいいところなしの無得点。




ギャル美様にうつつを抜かしたのがいけなかったんですかねえ。


もう今日で連勝が止まるのは濃厚になってしまったのだが、スタジアムに来てくれた1万2000人のビクトリーズファンのために俺は打席に立つ。



1打さようならの場面でも、こうして試合の行方が決した時でも、俺のやることは変わらない。



きたボールを右方向に向かってミートするだけ。シングルヒットで構わない。ヒット俗にボールを打ち返すだけ。そう考えれば非常にシンプルだ。


豪快なホームランや外野の間を破るような痛烈な打球を打つことが出来ない俺がこのプロ野球界で生き残る唯一の道だ。






その右に打つには絶好のボールが4球目。真ん中から外側に曲がっていくスライダー。バッテリーとしてインスラにしたかったのか、もっとボールゾーンに向かって逃げていくボールにしたかったのだろう。


しかしそのボールはどちらでもない1番中途半端な。バッターにとっては非常にバッティングしやすいボールになっていた。


無論逃すわけにはいかない。小さくまとめたコンパクトなスイングでインサイドアウト。



バットの芯でそのボールを捉える。



カアンッ!


乾いた打球音が響いて1、2塁間にヒュインと打球が飛ぶ。


それをシュバッと反応したファーストが横っ飛び。



バシッ! っと、一瞬ミットにボールが入ったが、先からポロッとボールが地面に転がる。


これはいけると俺は走り出す。


ファーストが立ち上がり、足を少しもたつかせながら溢れた打球を追いかける。


もう少しでベース周りのアンツーカーに到達しようというところで、ファーストが打球を素手で掴み、そのままくるりと反転して、ベースカバーのピッチャーへボールを投げる。



チェストー!!!


俺はここぞとばかりに1塁へとヘッドスライディング。



ピンクのヘルメットを吹き飛ばしながら、ベースに飛び込んだ。




「セーフ!!」




1塁塁審の手が大きく広がった。







「きわどいタイミング!! セーフだ! 9回先頭の新井が内野安打で出塁しました。気迫のヘッドスライディングでノーアウトランナー1塁です」


「最終回で10点差ありますけどね。新井くんのいいところはこういう姿勢なんですよね。……どんな場面になっても、今の1プレーに全力を尽くす。こういう姿勢はファンの印象に残りますよ」



「なるほど。彼はデビューした時からそうでしたね。もちろん、4割を越える打率も彼の特徴といえばそうなんですが、守備でもそうですし、今のような走塁もそうですが、自分が出来るプレーを常に全力で取り組む姿勢が目立ちますね。そういったものはこういう状況でもチームに与える影響は小さくないと思いますが」




「ええ。こういう選手がチームにいますとね。やはりチームの士気は向上しますよ。大切なのはここぞという場面ではなく、こういう大差で負けてしまっている状況でも行動に移せることですよ。そういうひたむきな姿勢というものが必ず活きてくる場面がやってきますから」




「さあ、ランナー1塁となりまして、打席には阿久津が入りました。今日は三振2つにフォアボール1つ。まだヒットはありません。



その阿久津に対して初球………を打っていきました! いい当たり、左中間だ! グ~ンと伸びていきまして、左中間の真ん中……ワンバウンドフェンスに当たりました!」








今シーズン度々あったこんなケース。


俺が1塁ランナーにいる時に放たれる阿久津さんの長打。


今回はスタジアムに聳えるいくつものライトから放たれる眩しいまでの光を浴びた鋭い打球が左中間に向かって伸びていく。


センター、レフトが走っていく頭の上をあっという間に越えていき、フェンスの手前でワンバウンドするのが見えた。


俺は打った瞬間から、もちろんホームに返るつもりのベースランニングで2塁を蹴り、少し膨らむようにしながら3塁ベースも踏む。


3塁ベースコーチおじさんは俺が2塁を回った時からずっと右腕をぐるぐると回していたがそれまではゆっくりなもの。


3塁コーチャーズボックスをホームベース側に大きく飛び出して、俺が3塁を蹴った瞬間、突然壊れたおもちゃのように、ゆっくりだった右腕がすごい勢いで回り始める。


「いけっ! いけっ!」


おじさんはそう叫びながら、狂ったような右腕の勢いを俺に託すようにして、俺をホームに突入させた。



俺はヒィヒィ言いながらも、キャッチャーの捕球姿勢と次打者赤ちゃんのジェスチャーでスライディングする場所に狙いを定める。



右バッターボックスの後ろ辺りに滑り込み、左手を伸ばしてホームベースの後ろっちょをかすめるようにして触る。


キャッチャーの殴るようなタッチが俺の脇腹辺りに来たが追いタッチ気味。十分にセーフのタイミングだ。


俺は滑り終わりながら、ベースを触った左手をアピールするようにして球審に見せ付ける。



「セーフ!!」



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