頭を使う新井さん

延長10回。同点。2アウトランナーなし。


こうなったら、今度こそ1発を狙うしかないな。


俺が直々にレフトスタンドにぶちこむしかない。さっきのシェパードのビール1年分ゲット弾で、ホームランの打ち方が分かりましたからね。



ここは1発かましちゃっていい場面でしょう。



俺は鼻息を荒くして打席に向かう。



「さあ、2アウトとなりまして、打席には新井が入ります。今日は2安打放っている新井の打率は現在4割9厘です。……この選手は残り試合数を考えると、残念ながら規定打席にはもう届かないんですが、依然として高い打率をキープをしています」



「そうなんですよね。新井君は非常にこうヒットに出来るゾーンが広いですよ。アウトコースはストレートでも変化球でもきっちり芯に当てて右方向に飛ばしてきますからね。……一時期はかなり内側を攻められて苦しむ時期もあったんですが、上手く捌ける技術が出てきましたから。大丈夫そうですね。よく早い段階で克服しましたよ」



「ええ。後半戦が始まってしばらくしたくらいですかね。打率が一時は3割5分ほどまで落ちてしまったのですが、8月後半辺りからまた巻き返してきまして、ここ10試合は5割近い打率でまた4割1分台まで数字を上げてきました」






俺が打席に立つと、守備に就いている相手選手全員が、右に5メートルくらいずつ、そそくさと守備位置を変えた。



俺の右打ち対策か。


しかし、そんなことをしても、スタンドに放り込むから関係ないもんね。





ん?




いや、まてよ………。



野手全員がもれなく右に寄っているだと。



「スカイスターズのピッチャー山本は、川田、柴崎と2者連続三振で続投です。対するは右バッターの新井……サインに頷きまして、新井にたいして第1球を投げました!あっ………セーフティバントだ!」


予想通りに初球はインコースに食い込むスライダー。ハーフスピードのボール。ベルトに近い高さだから、凄くボールは見やすくバットに当てやすい。



しっかりと角度を狙い澄ます。



そんなボールをコツンとバントして、俺は1塁に走り出す。


チラリと横目に見ると、ボールは3塁線ギリギリに転がっていた。



1塁まで気を緩めることなく走るが、1塁ベースに送球されなかった。


サードがポイッとボールをピッチャーに返す。



それくらい余裕セーフのタイミングだったようだ。





「スカイスターズ守備陣が右に寄ったところ、新井が3塁線へ意表を突くセーフティバント。これが成功しまして、2アウトランナー1塁。新井の打率も.411に上がりました」









もちろん、カツーンとしっかりクリーンヒットにするのもいいけど、こういうバントヒットも気持ちがいいね。やったった感が半端ない。



相手が俺の右打ちを警戒して寄って空いたところに間髪入れずに決まりましたから、野球脳の高さをアピールする形になる。




「3番、サード、阿久津」




「バッターボックスには、3番の阿久津が入りました。今シーズンは打率.278。14本のホームラン。70の打点もあります」


「ビクトリーズとしては、この阿久津になんとかしてもらいたいですね。ここぞという場面では、1番頼りになるバッターですから。スカイスターズはまず長打を打たれないようにすることですよね。初球は大事ですよ」



うちのベンチには足の速い選手が残っている。


1点を取る確率を少しでも上げるためには、俺に代走を使うんじゃないかと思ったが、ベンチが動く気配はない。


1塁のコーチおじさんにも聞いてみる。



「俺に代走じゃないんすか?」


そう聞いてみると、コーチおじさんは少し目線を逸らすようにしてぎこちなく答えた。


「…………ま、まあ。次の阿久津やシェパードのが足は遅いからな……」



「………?」



何を言いづらそうにしているのだろうか。



まあ、いいや。


代走ないならそれはそれで。


鬼のベースランニングをお見舞いしてやんよ。








カアンッ!



「ファウルボールの行方には、十分ご注意下さいませ!」



1ボール2ストライクとなったところから、阿久津さんは粘る。


シーズン打率は.278だが、対左になるとどうしてか打率が1割台になってしまうくらい苦手とする左ピッチャーだが、阿久津さんはそれでも必死に粘る。


インコースのボールを詰まっても無理やり引っ張って3塁方向へファウル。


アウトコースも腕をいっぱいに伸ばしてなんとかバットに当てるようにする。



低めの変化球も最後までボールを追いかけてなんとか空振りを逃れる。


そしてワンバウンドと、高めに抜けた真っ直ぐを見逃して3ボール2ストライク。フルカウントになった。


「新井、ピッチャーが足を上げたらスタートだよ。牽制もあるから慌てるなよ」


「はい」



コーチおじさんと確認をして、俺は1度ヘルメットを外して、右手首に巻いたピンク色のリストバンドで額の汗を拭う。


そして同じように汗を拭うマウンド上のピッチャーを見ながら、1歩2歩とゆっくりリードを取る。



セットポジションに入り、俺を見つめるピッチャー。


ニヤニヤとした表情で挑発する俺。


2秒、3秒と時間が経って、高く足を上げたピッチャーの重心がホーム側へと傾いた瞬間。


俺は思い切りスタートを切った。



カアンッ!!

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