代打マンな新井さん
「新井、いけっ!!」
最終回。6点ビハインド。誰も口にはしないが、もう勝利という点については非常に厳しい状況。
それでもなんとか1点、2点返して一矢報いる攻撃を。意地を見せなければならない。
俺は萩山監督の命令によって、まるで犬のようにグラウンドに突然放り出された。
「北関東ビクトリーズ、選手の交代をお知らせします。バッター、金谷に代わりまして、新井。バッターは新井。背番号64!!」
代打のアナウンスをされると、1塁側スタンドから大きな歓声。
今日は試合に出ないと思っていた驚きと、最後に代打で出てきたというファンの期待がグラウンドの上で入り混じっている。
ネクストから打席に向かう間、俺はまるで銃で足を撃たれた兵士のように、右足を引きずりながら打席に向かう。
「新井君、早くしなさい!」
球審様がハリーアップと俺を犬のように急かした。
なんだよ、ウケると思ったのに。うちのホームなんだからちょっとくらいいいじゃない。
俺はそんな風にちょっとふて腐れながら、右打席に入る。
「よろしくっすー!」
俺はいつものように挨拶をして、ニコニコしながらバットを構える。
「…………」
すると、相手キャッチャーがじっと様子を伺うように俺を見つめている。
照れちゃうわね。
などとそんな風にちょっとおふざけモードをかましているのは自分の体を覆い纏う、緊張という現象を打ち消すに他ならない。
今でもいざ試合に出ると緊張してしまうのだ。
心の中で、落ち着け落ち着け。みのりん、ギャル美、ポニテちゃん!
という呪文を唱える。
代打で出てきた選手の勝負はファーストストライクだと、どこかのベテラン選手が口にしていた。
試合開始からベンチでチームメイト達のプレーを見て、応援しアドバイスして、試合終盤の重要な場面に出ていったら、はじめにきたストライクゾーンのボールを仕留めなければならない。
ベンチでいくらグラウンドを見つめていても、ベンチ裏でいくら集中してバットを振りこんでも、いざ明るい照明の中心にあるバッターボックスに立つと、ボールが見えず、なかなかバットが出てこないものだという。
スタメンで出ている選手の終盤の流れの中の1打席と代打で出てきた選手の唯一の1打席はやはり全然別物だ。
だからこそ、代打というものは上手くいった時のチームに与える影響は計り知れないし、代打の神様という言葉があるくらい野球においては大きな意味を持つものなのだ。
「新井が初球を打っていきました!! セカンドのジャンプするその上を越えた! 右中間の真ん中、打球が転がっていきます!」
外角高め。見逃せばボールかもしれない変化球の投げ損ない。
高めにふわっと威力のないボールにバットをぶつけた。
バットの芯でボールの真ん中を捉えた木製バットならではのしっかりとした手応え。ボールの重み、球威というものを感じながらも、俺の振ったバットがその両方をも打ち返した、
打球はセカンドの頭上へのライナー。
タイミングよくジャンプするそのグラブの先を抜け、誰もいない右中間に白い打球が弾む。
俺は円を描くように大きく1塁ベースを回り、2塁へ向かう。
打球に追い付いたライトが逆シングルでボールを捕り、踏ん張りながら2塁へと送球。ベース上にワンバウンドのボールが返ってきたが、俺はニッコリと一瞬早くそのベースに足から滑り込んだ。
そしてスターンとスムーズに立ち上がり、カッコつけて2塁審判に両手を見せながらタイムを要求した。
別に腕や足に防具を着けているわけではないが、少しでも若い女性ファンに心配されたい心があるので、苦痛に顔を歪めながら、右足に指を這わせて状態を確認するフリをする。
そして、ヘルメットを外して審判と相手チームにお礼を言って、ちょっと妙齢な女性ファンも取り込みたいので礼儀正しいところもアピールしていく俺であった。
代打の俺が放ったツーベースに、やっとチームメイト達に火がついたのか、勇気づけられたのか、はたまた俺達がこのまま打てないのはまずいと危機感を感じたのか。
トップの柴ちゃんがここにきてやっと鋭いスイングを見せた。
インコースの速いボールを叩き、打球はライト線ギリギリフェアになる長打コース。
打球を見ながら、足に負担をかけずにゆっくりと俺は2塁からホームイン。
柴ちゃんも楽々2塁に到着した。
ナイス、ナイス。
1点返しても、まだ5点差あるのでもちろんガッツポーズなど出来ないが、ようやく1点取れたことによる多少の安堵感はある。
チームメイトやコーチに労いの言葉をもらいながら、ベンチに腰を下ろすと、川田ちゃんのバットからも快音が。
鋭いライナーが右中間に飛び、ワンバウンドでフェンスに到達。
2塁から柴ちゃんが返ってきて2ー6。
なおもノーアウト満塁。
これはいけるか! と思ったが、その後は赤ちゃんの内野ゴロの間にもう1点が入ってというところが精一杯となり攻撃終了。
9回表をベテランの奥田さんが無失点に抑えるも、3点差になったところで相手はセーブ王を狙うクローザーが現れ三者凡退で試合終了。
3ー6でビクトリーズは敗れ今シーズン最多の借金53となってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます