おじさま、おばさまと戯れる新井さん

「8回表、北関東ビクトリーズの攻撃は、1番、指名打者、新井」


とは言ったものの。ヒットが出ないのはファンからすればやはり少し寂しいのか。


2軍戦。ケガから復帰した最初のゲーム。


目を慣らすのは最優先とは言ったものの、ここまで3打席凡退してしまったのだが。


その度に………。



「「あー……」」



「「あー……」」



「「あー……………」」



スタンドにいるファンから、俺が凡打球を放つ度に、すんごく残念そうなため息。




打席に立つ度に、いよっ! っと景気づけに送り出してくれた知らんおじさんが特に残念そう。子犬のようなまん丸の瞳を浮かべてすごくしょんぼりしている。



2軍特有の閑散としたスタンド風景だから、余計にその様子、1人1人のファンの反応ががよく分かるのだ。



今日はこの打席が最後になりそうだから、その知らんおじさんのためにヒットを打ってやろうかと、当初とは違う心構えになってしまったが、今はそんな気持ちになった。




「新井! 1本、頼むよ! 1本!!」



その知らんおじさんの声がよく響く。




そんな声が耳に届いた直後の初球だった。


左ピッチャーの外からストライクゾーンに入ってくる変化球。


反射的にバットを出した。



当たったのはバットのやや先っぽだったものの、打球はピッチャーの足元を抜けてセンター前へと転がっていく。



その瞬間に………。



「………うおおおっ!」



と、野太い歓声。



それに合わせて起こったパチパチパチとスタンドからの拍手をもらいながら、1塁ベースを回る。




よーし、やったぞ。




オーバーランした分の距離をゆっくり惜しむように1塁ベースに戻ると、すぐにベンチからヘルメットをかぶった足の速い選手が出てきてお役後免。



その代走選手と、バトンタッチしながらベンチに戻る。


軽く走りながら、スタンドの方に目をやると、知らんおじさんが立ち上がって俺に拍手をしていた。


「さすが! ナイスバッティング」



「どーもー」



俺はその知らんおじさんに手を振りながら、ベンチへと退いた。




試合が終わり、ダッシュで荷物をまとめてちゃっちゃっとホテルにバスに乗り込もうとすると……。


「すみません、新井さーん」



7、8人のおじちゃんおばちゃん達がとてとてと駆け寄ってきた。


多分スタンドにいたファン達だな。なんとなく見覚えがある。



「すみません、サインしてもらってもいいですか?」



「いいよー」



試合が終わってから、20分くらいかそこらだが、サイン色紙を持って俺を待っていてくれているなんて。



俺は背負っていた荷物を下ろしてさらさらさらーっと順番にペンを走らせる。


すると、バックネットで声を1番張り上げていたキャップのおじさんも最後尾に並んでいた。




そしてそのおじさんの番。



「新井くん、俺にもサインしてくれ!!」



そう言っておじさんは、着ている白のTシャツをグーンと引っ張る。


「ここに書くんすか?」



「他にサインできるところないからさ! さあ、一思いに」



おじさんはそう言ってさらに汗くさいTシャツを引っ張りながらニコニコ。



まあいいかと思い、言われた通りに油性マジックでその汗臭いTシャツに遠慮なくサインする。


胸の辺りに、平仮名でびくとりーずと書いて、その下に64。


後ろには、ARAIと書いて、背中にも大きく64。


ユニフォーム風Tシャツになった。



「おおー、ありがとう。新井くん! これからも頑張ってね」


「早く1軍上がってね、新井さん」


「サインしてくれてありがとう」


最後にまた全員と1人1人握手をして、俺はもう他の選手が揃っているバスへと乗り込んだ。





「中華街にメシ食いに行くひとー!!奢るよー!腹いっぱい食っていいよー!」


「はい! お供します!」


「行きます!」


「俺もいいですか!?」



試合後のホテルロビー。監督やコーチが目の前にいながら、ホテルに着くなり早速遊びにいく算段を立てる俺のひょうきんさに恐れをなしながらも、首脳陣の顔色を伺うようにして3人の若手選手が手を上げた。


プロ4年目、5年目の選手だが、年は俺より4つ5つ年下の奴ら。キャリアは彼らの方が上だが、年上の俺がルーキーでも目上になるらしい。


「そんじゃあ、15分後にまたここに集合な。ちゃんとシャワー浴びてこいよ。何があるか分からないからな! キャッキャッウフフがあるかもしれないから! 抜かるなよ」



「「はい、隊長!!」」




奴らは俺に向かってビシッとした敬礼をして各々荷物を抱えてエレベーターへと駆け込んでいく。


先輩と中華街までメシだって言ってんだから、まずは誰かタクシーくらい呼んでおきますかという先読みが出来るようにならないとね。



プロ5年目でも、まだまだですよ。




俺はそんな風に考え、軽くため息をつきながらスマホをいじり、エレベーターを待つ間に、タクシーを手配し、部屋へと向かい、念入りに下半身を中心に磨き上げて、髪型のバッチリ整えて、ちょいダサイ私服に着替えた。



完璧だ。



中華街なんかにプロ野球選手が繰り出したら、本当に何があるか分からんからね!





今日はなんかそんな気がする。

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