新井さんのデビュー打席。

やっべ。出番が回ってきてしまった。


ついに俺のプロ野球選手としての初打席。


ネクストバッターズサークルからホームベース付近までが異様に遠く見える。


まるでその場所が別世界のような。そんな気がしてならなかった。


ここまで来るのに何年かかった? 野球を始めてからちょうど20年。8歳で野球を始めてから、20年経った今、プロ野球の舞台に立てるなんて想像出来たか?


半年前まで俺は何をしていた? パチンコ屋でアルバイトだぞ。時給1200円で。


負けた客が吐いた唾がべっとりとついた床を見つけてはそれを拭くようなそんな仕事をしていたんだ。


そんな俺がこんな場面で………。


そう思うと、ヘルメットをかぶった頭、顔が燃えるように熱くなるのを感じた。



「新井さん? 緊張してるんすか?」


後ろから柴ちゃんの声がした。彼は慣れた様子でネクストにやってきて、バットに重りをつけて振り始める。


「………はっ!? 緊張なんてしねえよ。1振りでサヨナラにしてくるから、バット振ってねえで、ボトルに水入れてベンチで待っとけ」


「そんな口が叩けるなら大丈夫っすね」


柴ちゃんにそう言われて、一気に心と体にのし掛かったものが晴れた気がした。


「アンパイア! そいつ、代打!!」





「北関東ビクトリーズ、選手の交代をお知らせ致します。9番中村に代わりまして、ピンチヒッター、新井。ピンチヒッター新井時人!背番号64!!」



よっしゃあ!! やってやるわ!!







1歩1歩バッターボックスに近づく度、沸き立つようななにかが俺の体から迸る。


打席の横で、1度屈伸をして、素振りをして、ピッチャーをこれでもかと睨み付けてやった。


サインは分からないし、どうせバントなんだろうけど、バッターボックスに右足だけを入れて、3塁コーチャーのサインを確認する。


「…………」


まあ、全然分からなかったが気を取り直して、打席に入る。


ぎゅっぎゅっとバットを握った後、どうしようか悩んだが、はじめからバントの構えをすることに決めた。


「バッターボックスには、 ドラフト10位ルーキーの新井が入りました。28歳の遅咲きルーキーです。これがプロ初打席になります。栃木県立白山高校から、こちらも栃木県のさくら製作所の硬式野球部に所属。半年で廃部になってしまったため、社会人野球時代のデータはありません。その後8年間アルバイト生活をした後、入団テスト生として、全体94番目。支配下選手としては最下位指名で入団した異色の経歴があります」


「そうですかー。しかし、プロデビュー戦がすごい場面になりましたねー」




「さあ、ここはビクトリーズベンチは新井にどんな指示を出したでしょうか。バントか強行策か」


「送れるなら送りたいですよねー。1アウト2、3塁に出来ればスカイスターズ側は満塁策にするでしょうからね。しかし、今日のビクトリーズはバント出来ていないんですよ。それがなんとなく嫌ですねー。失敗すれば、一気に流れを失いますから」


「2塁ランナーの鶴石は決して足は速くありません。3塁はフォースプレーになりますから、その分いいバントをする必要があります」



俺がバントの構えをすると、ファーストがジリジリと前進して来た。


なるほど。3塁でランナーを刺すつもりか。


ピッチャーがセットポジションに入り、わりとあっさりと投球してきた。


高めのボール気味のストレート。速い球でフライを上げさせようという魂胆だろうが、そんな事はお見通しよ。





コン!!





「これは3塁線いいところに転がった! ………サードがライン際………ボールを拾って1塁へ送球アウトです」

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