魔王の居城は、踏破不可能とされる険しい山に囲まれている。

 抜け道の洞窟を知っている者がいる、という噂を聞いた俺たちは最後の街、リゾルートを訪れていた。


 幸い、情報提供者はすぐに見つかった。なんでも、かつて勇者の祖父と冒険していた賢者らしい。そりゃ、抜け道を知っているはずだ。


 賢者と会ってから、俺たちは早くに宿屋入りすることにした。

 長旅の疲れを十分に癒してから洞窟へ向かう。そういう計画だ。


 だが、アラルガンドの幻影を見て以来、俺は迷っていた。

 このまま勇者とともに死地へおもむいていいのだろうか。

 骨も残らないような死に方は彼女にしてほしくない。すごくいい子だ。生き残って幸せになってほしい。


 とはいえ、魔王討伐を簡単に中止してくれるほど、彼女の意志は脆くない。


 じゃあ、これならどうだ。

 俺ひとりで魔王城に乗り込んで、ケリをつける。

 それでうまくいけば万々歳だし、うまくいかなかったとしても――賢者に後のことを頼めばいい。


 満月が空に昇った頃、俺はベッドから抜け出し、装備へと手を伸ばした。

 そのときである。

 こんこん、と控えめなノックが部屋に響いた。


 扉が軋みを上げてゆっくりと開く。

 げ。

 そっと室内を『しらべる』ネグリジェ姿の勇者と目が合った。

 俺の浅はかな企みなど、『賢さ』カンストの勇者はあっさりと看破していたのだ。


 彼女は大股に歩み寄ると、大層お怒りである、爪先立ちで俺の胸倉を掴んだ。

 張り倒される。

 俺は目を閉じた。

『力』のか弱い彼女の一撃など、大したことはない。

 でも、きっと痛いのだろう。


 そう覚悟して今か今かと待っているのに、衝撃はいつまでも訪れなかった。

 ふっと預けられる体と首に回される腕の感触に、俺は驚いて目を開く。


 勇者の顔がすぐ近くにある、と思った次の瞬間には、しっとりとした唇が俺の口に押し『しらべ』られていた。


 俺もたまらなく愛しくなって、彼女をしっかりと抱き締める。

 身勝手だとお思いだろうか。

 だが、本当は俺だって勇者とは離れたくない。生き残って幸せになってほしい? いいや、彼女を幸せにするのは俺以外の誰でもないんだ!


 勇者はぷはっと息継ぎをした。

 顔がのぼせているのは決して息苦しさのせいだけではないだろう。

 澄んだ瞳がこれ以上を求めて大きく揺れていた。


 男になるときだ。

 こうなったらもう、夜の『ガンガンいこうぜ』である。


 勇者を抱き上げてベッドに横たえる。窓から差し込む月明かりに照らされて、彼女の肢体はいつになく艶めかしかった。

 俺はごくりと喉を鳴らして囁く。


「やあ、今日はいい天気だな」


 彼女はこくりと頷き、自らネグリジェを『しらべ』て――


 ……。

 …………。


 朝の陽射しにもぞもぞと動くと、俺の胸板を枕にしていた勇者もぼんやりと目を開けた。


 あ、すまん。

 頭をぼりぼりと掻いた俺は彼女の背中に腕を回し、その温もりを思う存分堪能する。


 長旅の疲れを癒すはずが、ちょっとした長期戦になってしまったなあ。

 彼女もまた気恥ずかしげにはにかんで、俺を『しらべ』た。ええい、甘えん坊め。


 ……とまあ、なんやかんやあって。

 早くに宿を引き上げた俺たちは、妙ににこやかな宿の主人と賢者に見送られてリゾルートの街を発った。

 向かう先は魔王の居城。必ずふたりで生きて帰る、と誓い合って。



 ――え? 肝心の決戦はどうなったか、って?


 そのことについてはあまり語りたくないな。

 とにかく後味が悪かった。

 向こうには向こうの正義があったというだけの話だ。それが俺たち人間にとって善か悪かはさておきとして、な。

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