立ち込める暗雲
咲と翔が付き合い出してから、半年が過ぎた。
咲が自分の身体の異変に気付いたのは、この頃だった。
もう、2か月も生理が来てない。
翔にその事を話した時の、翔の反応は咲の期待したものではなかった。
あまり興味がない、と言った素振りを見せただけだった。
咲の身体を心配する事もなかった。
咲が産むと言った時にも、賛成も反対もしなかった。
当たり前の事だけど、この時翔はまだ16才だった。
しかし、相変わらず翔の人気は不動のものだった。
けれど翔の咲への愛が変わる事など、ありえないと思っていたのは、咲だけだったのかも知れない。
翔の心は少しずつ、咲から離れていたのだ。
咲の心を掴んだままで…。
咲のお腹に宿った小さな命も一緒に。
…---その日もいつもの様に翔と駅までの道を歩いていた。
そしてまたこれもいつもの事だったけど、翔は女の子に取り囲まれていた。
咲も慣れたのか、翔を過信していたのか、そのまま何もせずただ待っていた。
その短い間に、翔が他の女を誘っていたなんて、咲には予想すら出来なかった。
この日を境に翔の態度が何処かよそよそしく感じられた。
けど、咲は翔が自分を裏切るなんて、微塵(みじん)も考えなかった。
あの日、単車で事故ったという電話を翔から受けるまでは。
『でよ、俺今、小関医院に入院してっから、しばらく会えねぇから』
「入院?あたしお見舞い行くよ」
『い、いや。今日は来なくていいからよ』
翔の言葉に何かを感じ取った咲が、翔の入院している病院に行くと…。
そこには、見知らぬ女の子が翔と一緒にいた。
「翔君、大丈夫なの?これ、飲み物」
咲は敢えてその子が誰なのかを聞かずに、翔にはいつも通りに接した。
「咲、今日は来るなって、言ったのに」
「何で?あたしが来ちゃ、拙(まず)かったの?」
「い、いや別に。あ、この人俺の先輩なんだ。ちょっと下まで送って来るから」
そう言い残して、翔はその女の子を連れて出て行った。
残された咲に、同じ部屋のおじさん達が話し掛けて来た。
「あんた、あの男の彼女だったのかい?さっきいた女の子が彼女なんだと思ったがな」
「え…?それはどういう事ですか?」
「あの子朝からずっとつきっ切りでいたからね。飯なんか食わせて貰いながら仲良くいちゃいちゃしてたよ」
何それ…?
翔君やっぱりあたしを裏切ってたの?
じゃあ、先輩って言うのは、嘘?
「悪い事は言わない。あの男は諦めた方がいいよ」
「でも、あたしのお腹には今あの人の赤ちゃんがいるんです」
翔君だって、知ってた筈だった。
あたしが妊娠した事を。
そして産もうとしてる事も。
まさか…?
それが重荷になったの?
「そう言ってもなぁ、あんたが苦労するだけだよ」
「そうそう、あの男はひとりの女に留まっている様な男じゃ、ないよ」
そんな話しを、同じ部屋のおじさん達に聞かされてた時、翔が戻って来た。
「咲、ごめんな」
「ううん、翔君思ったより元気だし、あたしも帰るね」
翔が一緒に玄関まで送ってくれた。
でも、引き留めてはくれないんだね…。
「咲、後で電話するから。気を付けて帰れよ」
「うん、じゃあね」
この時が翔と最後になるなんて、思いもしなかった。
けれど、運命は時に残酷なまでの試練を、与えるものなのだろうか?
乗り越えられない試練は与えない、と言うけれど、咲はこの時程、運命と云う名の試練を呪わずにはいられなかった。
そして、赤井翔というひとりの男に取られたまんまの心を、取り戻す事すら出来ない自分の弱さに涙が零れ落ちて来た。
咲は、泣きながら帰っていった。
もう、翔君は戻っては来ないんだ、と。
心の何処かで気付いていたけれど、認めたくなかっただけだった。
その夜、翔から電話が掛かって来た。
『咲、昼間はごめんな。怒ってる?』
「別に怒ってないよ」
『そっか…良かったよ。また連絡するよ。じゃな』
短い電話…。
翔君は、どうしてあたしに謝(あやま)ったの?
謝った本当の訳は、もうあたしと別れるけど、ごめんな、って、そういう意味だったんじゃないの?
あの子を選んだんでしょう?
可愛い子だったね、翔君のタイプだよね。
あたしは捨てられたんだよね?
でも、あたしのお腹には、翔君の赤ちゃんがいるんだよ。
だから、あたし泣かないよ。
この子を産んで、そしたらいつか翔君戻って来るかも知れないから。
しかし、咲のこの脆(もろ)く儚(はかな)い夢も消えてしまう時がやって来る。
咲の母親が、翔の子を中絶させる為に、産婦人科に無理矢理連れて行ったのだ。
でも、咲は抵抗した。
泣いて、叫んで、悲鳴を上げながら泣きじゃくった。
「お母さん、これでは中絶は無理です」
医者も匙(さじ)を投げた。
そのまま何事もなかったかの様に、咲とその母は家に帰った。
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