呼吸



 僕は可笑しい。

 それもこの小娘のせいだ。

 いや。クォーレ・アリエッタのせいかもしれない。

 とにかく僕は可笑しい。

 呼吸さえも自分のものではないかのような錯覚。

 そして、吸った空気と一緒に、別なものまで吸収しているような感覚。

 これは何だ?

 魔力の暴走とでも言うのだろうか。


「どうしたの?」  

 気がつくと薫が僕の顔を覗いている。

「何です?」

「いや、なんか苦しそう?」

 疑問型。質問したのは僕の方のはずなのに、発言した薫は自分の言葉に確信を持てていない様子だ。

「何もありません。いつもと同じです」

 そう。いつもだ。

 僕が可笑しいのははじめから。

「嘘」

「は?」

「あんた、辛そう」

 頬を両手で包まれる。

 温かい。

「泣きたいような、そんな顔。いっつもそうだ」

 そういう薫が泣きそうな顔をしているようにも見える。

 おかしな娘だ。僕が泣きたいような顔? それもいつも?

 一体僕のなにを見てそんなことを言っているのか。

「生きているのに死んでいるよう」

「は?」

「あんたは死んでるんだよ」

 薫はそう言って僕を抱きしめた。凹凸の少ない体のくせに僅かに柔らかく温かい。

「あんたは死んでる。心が」

 痛い痛いと悲鳴を上げているのに気付いていない。

 そう、この娘は言う。

「馬鹿なことを。離れなさい」

 突き飛ばした。

 けれども、薫は哀れみを持った眼で僕を見る。

 嫌だ。

 その目は嫌いだ。

 あの女と同じ目。

「部屋に戻りなさい」

「……うん」

 少しだけ、不満そうに返事をして、薫は部屋へ向かう。

 そう、これでいい。

 あのまま一緒にいたら殺していた。

 殺していた?

 殺せばいい。

 気に入らなくなれば殺せばいい。

 僕はいつもそうしてきたはずだ。

「僕が死んでいる?」

 四百年生き続けているこの僕が?

 馬鹿な娘だ。


 妙に似ている。 

 セシリオに。

 そしてあの女に。


「僕は……」

 どうかしている。

 考えるから良くない。

 呼吸と共に邪気を吸い込むみたいじゃないか。

「こういうときは酒ですかね」

 そうだ、いつもの酒場で気を紛らわせればいい。

 薫の部屋に鍵を掛ける。

 そして直ぐに出かける支度を。


「出かけるの」

 静かな声に問われる。

「ええ」

「そう」

 そっけない返事。

 特に気にも留めていない。

 このまま僕が一週間ほど帰らなければ餓死するかもしれないのに、薫はそれを気にしない。

 彼女は死を恐れない。

 既に受け入れている。

「帰らないかもしれませんよ?」

「うん。でも、ここしかいる場所無いから」

 鳥籠で飼い主を待つんだと、彼女は言う。

 本当に馬鹿な娘だ。

「脚を折ってしまおうか」

「それは痛そうだね」

「ああ、痛くする」

 歩けないように。 

 そうすれば、ずっと逃げられない。

 けれど。

「お前は最初から逃げようとしない」

「まぁね」

 そして、いってらっしゃいと短い言葉。

 ああ、調子が狂う。

 この娘は悲鳴の一つも上げずに、僕を恐れない。

 僕を蔑み、それでいて受け入れている。

 妙な娘。

 そうして僕を狂わせる。

 似ている。

 どうしようもないほど、僕を狂わせる彼らに。

 似すぎている。


 そうして、彼女は僕を壊していくのだ。






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